第136話 白い世界の終わりに
「さとみちゃん、体がっ! ……どうして?」
『この世界の主が出ていった。だからこの世界はもうおしまいなの』
小さなさとみは、まだ笑ってこちらを見て話している。
おしまいとはどういうことなのだ。
何より姿が消えようというのに、どうして笑っていられるというのだ。
「沙十美、どうして! あの子は消えてしまうの?」
叫ぶように問うと、沙十美は目を伏せ、話し始める。
「多分、あの子が自分の役割を終えたと理解したから。ヒイラギ君から生まれ、彼を傷つけないように作ったこの世界が、彼が出ていったことにより存在の意味が無くなっている。そして彼が強く願った、あなたを助けたいという望みが叶ったのを彼女が理解し、自分のすることが全て終わったと知ったから」
パラパラと音がする。
周りからまるで小さなキューブのような白い物体が降ってくる。
上を見上げるとあれだけ白かった世界がだんだんと黒く、まるで侵食されるように変化していく。
『大きな私、急いで。そろそろここはおしまい』
「えぇ、分かったわ。……ありがとう、小さな私。行くわよ、つぐみ!」
沙十美がつぐみの手を取り走り出そうとする。
だがつぐみはそっとその手を外すと、消えゆく小さなさとみの方へ走っていく。
『冬野、ここはおしまいなんだ。早くここから出ないと危ない。ありがとうはさっき言ってもらったから嬉しかった。ぎゅっとされたとき、苦しかったけどあったかくて気持ちよかった。頭を撫でてもらった時、一人のときには知らなかった気持ちが知れ……』
彼女が話しているにもかかわらず、つぐみは小さなさとみをきつく抱きしめる。
たどたどしくつぐみに向ける言葉の中には、彼女の優しさと嬉しさが伝わってきた。
(でも……。だからこそ、私はこの状況に納得が出来ない!)
「さとみちゃん、おしまいなんて言わないで。一緒にここから出よう」
強く、強く抱きしめながら伝える。
『……私は行かない』
「その言葉は、本当にそう思って言っているの?」
もし、少しでも違う気持ちがあるのなら。
「さとみちゃん。今、思っている他の気持ちを教えて?」
つぐみの問いかけに、小さなさとみは少し考えてから答える。
『この世界を作ったのは私。だからこの世界をおしまいにするのが私の最後の仕事。それに私を生んだ彼がもういない。そうなるとここは私一人だけ。もう、一人はいやだ。一人は、さみしい。さみしいは嫌。だから、……おしまいにするの』
彼女が伝えてくるありのままの気持ち。
一人は確かに寂しい。
だったら……!
「つぐみっ! 早く来て! 本当に時間が無いの!」
沙十美が駆け寄り、つぐみの手を強く握り走りだす。
引っ張られながらつぐみは小さなさとみに向かって叫ぶ。
「さとみちゃん、私と一緒になればいい! 私の体の中にもまだ黒い水が残っているはず。だから私と一緒になれるはず! 私のそばにいて!」
『冬野? 何を言っている?』
つぐみの突然の言葉に、小さなさとみは戸惑いを隠しきれない。
「私は願う! そして
小さなさとみは黙ってつぐみを見ている。
少し前まで真っ白だった世界は、黒く塗りつぶされたような景色へと一変している。
かろうじてつぐみ達の前に、か細く白い道が残っているのみだ。
これも恐らく小さなさとみがつぐみ達の為に残しておいてくれたのだろう。
「つぐみ、随分と無茶をしてくれたわね。おかげで私もあの子もこの道の確保で大変よ」
手を握り走りながら、沙十美が苦しそうに話しかけてくる。
「ごめんなさい。でも後悔はしたくなかったの。……ねぇ、あの子は私のもとに来てくれるかな?」
「それを決めるのはあの子自身。あなたがきちんと後悔なく気持ちを伝えたと言うのならば、あなたは待っていればいい。さぁ、ここを抜けるわよ。つぐみ、ここからは目を閉じて走って。私の手を離さないでね」
沙十美の声につぐみは目を閉じる。
触れている手の感触が、掴んでいるはずの感覚が。
前に向かって走っているはずの体が、だんだんとあやふやになっていく。
なぜだろう?
それなのにつぐみには、全く恐怖の感情はない。
沙十美が手を握ってくれているから?
ここがさとみちゃんの作った世界だったから?
二人の沙十美が、いま自分を守ろうとしてくれているから?
ならば私もそれに答えよう。
皆のような力はないけれど。
私なりの念いを、感謝を、願いを。
聞こえないかもしれない。
聞こえてなくてもいい。
「沙十美、一緒に居てくれてありがとう」
握った手をぐっと握り返された。
さっきまでのあいまいな感覚とは違う、確かにここにある感触。
そのまま強く体を引かれ抱きしめられる。
「つぐみ、私を必要としてくれて嬉しかった」
涙声で呟く彼女の声が聞こえる。
あやふやな感覚は消え、彼女の存在が。
声が、気持ちが今、はっきりとつぐみには感じられる。
「もう大丈夫。でもそのまま目は閉じていてね。怖がりのあなたには辛いだろうけど。あなたは、人出先生に起こしてもらうことになるから」
「怖くないよ。だって沙十美がいるから。自分でも不思議なのだけど。……ちっとも怖くないんだ。あのね、さっき沙十美が言ってたように、私を必要とする時があったなら。どんな事があっても、必ず力を貸すからね! ううん、違うな。絶対に助けるから!」
話をしながらこんな時なのに、つぐみの中に喜びが芽生えていくことに驚く。
彼女と言葉を交わすことの出来るがゆえの喜びなのだろうか?
ひしと抱き合い、柔らかな髪がつぐみの頬にサラサラと触れるのを感じながら、静かに流れていくこの時間を愛おしくすら思う。
どれだけそうしていたのだろう。
そっと彼女が離れる。
「先に行くわ。もう少しだけ待っていなさい」
そう言われ、つぐみの頭を軽く撫でる感触を最後に訪れる静寂。
目を閉じたまま、彼女の手の感覚の余韻につぐみは浸る。
先程まで触れてくれていた場所に、重ねるように自分の手を乗せつぐみは待つ。
一人で待ちながら、小さなさとみのことを考える。
彼女はずっとこうして一人で居たのだろうか。
待っていれば迎えが来てくれる自分と違い、どれだけ寂しかったことだろう。
どれだけ心細かったことだろう。
出来る事ならば。
いや、今は。
……彼女が答えを出すのを、今は待っていよう。
不意にぽんと頭に触れられる感触。
風を感じる。
優しく流れる風。
(あぁこれは、先生の発動だ)
何故か心にあるほんの少しの名残惜しさを感じながら。
つぐみは体が浮かび上がっていくような感覚に身を任せた。
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