第137話 木津ヒイラギは知る

 自分は一体、どうなってしまったというのだろう?


 つぐみへの肩代わりをした後に、明日人が治療をしてくれていたようだが、そこからの記憶がヒイラギには全く無い。


 そんな中で、声が。

 ……誰かの声が突然、ヒイラギの耳に届いたのだ。

 だが、何を話しているのかわからない。

 年齢も性別すらもわからない声。

 まるで水の中にいるかのようなぶれた音声が、自分の耳に聞こえてくる。


 わからない、わからないのだが。

 ただその相手が、とても強い願いを込めて話しているのはなぜか理解できた。

 不思議な声が響き続ける中で、じんわりと自分の右手が温かくなるのをヒイラギは感じる。

 まるで誰かに両手でくるまれているような、柔らかく優しい感覚に、次第にヒイラギは幸福な気持ちで満たされていく。

 そしてその聞き取れない声が耳に届く毎に、自分の胸がどうしょうもない程、苦しくそして同時に嬉しくなるのを感じていくのだ。

 この矛盾した感情の出処でどころがわからないまま、ぬくもりを感じている手のひらに戸惑いながら。

 ヒイラギは、相手が何を言っているか聞き取ることにただ集中していた。


 変化は突然だった。

 まるでふわりと体が浮かび上がるかのような感覚の後に目を開く。

 ただ真っ白な世界の中にヒイラギは存在していた。

 自分の置かれた状況が全くわからない中、感じていた右手の温かさの理由を知ろうと見た先。

 そこには彼の手を握り、目をこれでもかと見開いたつぐみの姿があるではないか。

 考えがまとまらないままに、話し出したヒイラギを見たつぐみは文字通りの大号泣をして「ヒイラギ君が起きた」とつぶやき続けている。

 つぐみの言葉を聞き、自分は眠っていたのだとようやく理解をすることができた。


 少し落ち着いたので、ヒイラギは周りを見渡してみる。

 そこには死んだはずの千堂沙十美と、白い服を着た小学生位の少女が自分を見ているではないか。

 目の前の予想外の人物達に再び動揺したヒイラギに、さらに追い打ちをかけるように体が光り出していくという出来事が起こり始める。

 混乱の極みの中、千堂沙十美に言われるままにヒイラギは目を閉じる。

 感じるのは、目の裏側にまで入り込んできそうな眩しさ。

 それが徐々に消えていくのを確認すると、ヒイラギは再び目を開ける。

 すると今度は、見たことのない白い天井が目に入ってきた。

 天井があるということは室内のようだ。

 ぼんやり考えながら体を動かすと、左腕に引きつるような感覚がくる。

 驚きながら見た左腕にはチューブが繋がれ、さらに聞き覚えのある声が上から降ってきた。


「ヒイラギ、ヒイラギっ! 惟之っ、来てぇ!」


(あぁ、品子の声がする。呼んでいたから、惟之さんも一緒にいるのかな?)


 そう考えていると、二人の驚いた顔が目に入ってきた。

 驚かなくてもいいよ。

 そう話そうと、開きかけた口が止まる。


(あれ? 声を出すってどうやるんだっけ?)


「あ、しな……、惟之……、さん?」


 喉の奥が硬直したかのような感覚ながら、かろうじて出した自分の声のか細さにヒイラギは驚く。


「お目覚めか? ヒイラギ。ここは病院だ。お前はずっと眠っていたんだよ」


 先に落ち着いたであろう惟之が、笑いながら頭を撫でる。

 やめてよ、とヒイラギは言おうとするのだが、先程のような声を出すのも恥ずかしい。

 とりあえずは黙ってなすがままにしておこうとヒイラギは考える。

 何よりも『病院、眠っていた』という単語に今の自分の頭が理解できないというのもあるのだ。


(……そういえば千堂沙十美が、事情は品子に聞けって言っていたな)


 思考を続けるヒイラギの耳に品子の声が聞こえてくる。


「私は医者に連絡してくるよ。惟之、その間に冬野君をソファーに移動させておいてくれるか」

「あぁ、そうだな。しかし彼女の右腕、手当位はしてもいいだろうか?」

「そうだねぇ。しかしその歯形、どう見ても子供だよね……」


 二人の会話に、ヒイラギは白い少女の姿を思い出す。


(……そうだ。そこに冬野がいた! でも今、品子がソファーに移動とか言っていたが)


 ゆっくりと首を横に動かすと、惟之がつぐみを抱きかかえ、ソファーにそっと座らせているのが見える。


「あ、ふゆ……」


 再び出た、か細い声に二人が反応する。


「ヒイラギ、とりあえず後でいろいろと説明はする。今はお前が起きてくれたことを喜ばせてくれ」


 品子がそう言ってヒイラギの頬を撫でた。

 その手の温かさに目を閉じ身を任せる。

 しばらくそうした後、手が離れた感触を機にヒイラギは再び目を開ける。

 品子は部屋から出て行ったようで姿はない。

 ソファーに目を移す。

 つぐみはどうやら眠っている様だ。

 つまりは彼女もずっと眠っていたのだろうか。

 いや違う。

 もしそうならば自分と同様にベッドにいるはずだ。

 そう考えたヒイラギは、再び戻ってきた惟之に手を伸ばし、慌ただしく話しかける。


「あいつが、冬野がい、いたんだ、死んだは、はずの千堂沙十美と一緒に。あと、知らない、女の子も、……一緒に」


 伸ばした手を、惟之が両手でそっと握ってくれる。

 安心させるように目を合わせると、ゆっくりとした口調で惟之は話を始めていく。


「話を聞きたいところだが、まずはお前の状態の確認だな。品子がじき医者を連れてくるだろう。お前は一週間ほど眠っていたんだ」

「一週間? そんなに長いあいだ、……も?」


 ヒイラギに浮かんだ驚きの表情を見て、惟之は強く手を握り言葉を続ける。

 

「皆、みんなお前が目を覚ますのをずっと待っていたんだ。ここに居ないシヤと明日人も本当にお前を心配していた。……お帰り。ヒイラギ」

「た、ただいまでいいの、……かな? 俺さっきまで見た、ことの無い世界に、……いて」


 喉が貼り付いたかように、言葉が上手く出て来ないのは、混乱のせいなのか。

 あるいは久しぶりに喉を使っているためなのか。

 確実にわかるのは惟之の手の温かさと、心配をかけてしまったということだけ。


「惟之さん、心配かけ……、ごめんね」


 惟之はヒイラギの頭を撫でる。


「だったら今度、お前の作った飯を食わせてくれ。……さて、医者も来たようだし俺はシヤと明日人に連絡してくるよ。少し休め」


 惟之は嬉しそうに笑うと、部屋を出ていく。

 話しすぎたせいだろうか。

 妙に喉がひりつく。

 医者が来たら水分補給をお願いしよう。

 そう思いながらヒイラギは、ソファーで眠るつぐみをぼんやりと眺めるのだった。 

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