第135話 千堂沙十美と少女の場合

 どうしよう、どうしたらいいのだろう。


 つぐみがそう考えあぐねていると、沙十美が真っ直ぐに少女の方に向かっていく。

 そのまま彼女の正面に立つと、ぐっと顔を近づけた。


「聞きなさい、小さな私」


 突然の出来事につぐみも、少女も唖然あぜんとしてしまう。

 この時になってようやく少女は、自分と同じ顔をした沙十美を認識したようだ。


『私? あなたは大きな私?』

「まぁ、そう思ってくれていいわ。まずはあなたの話を聞かせて。あなたはどうやってここに来たの?」


 沙十美の問いに、少女は困惑気味に答える。


『私は、はじめにこの人の声で目覚めた』


 彼女はヒイラギを指差す。


『この人は助けたいとずっと言っていた。冬野を助けるんだって。その声で私は目覚めた』


 ……これは、肩代わりを発動した時のことに違いない


「なるほどね、つぐみの生命の危機。それに加えて私が元になった黒い水の『つぐみを守ろうとする念い』とヒイラギ君が行った肩代わり。これらが混ざり合ってこの子が生まれたというところかしら」


 そう語る沙十美を見つめながら、少女は話を続ける。


『目が覚めたら、この人の体の中に黒い悪い奴がたくさん暴れて彼を痛くしていた。ひどいことをするな。かわいそうだから出ていけって追い出したら、悪い奴は黒い蝶になって出て行った』


 シヤの話をつぐみは思い出す。

 明日人が行った、ヒイラギの治療。

 その際に、ヒイラギの指先から黒い蝶のようなものが出て行ったという。

 蝶の毒を、彼女が追いだした。

 つまり、この子がヒイラギを助けていたのだ。


『しばらくして、この人は疲れて眠ってしまった。眠りながらずっと皆がひどいことをするって泣くんだ。それなら、いじめるやつがいない場所にいればいい。そう思ったから、ここに一緒にいた』

「そういうことね。ありがとう、小さな私。きちんと話してくれて」


 沙十美は優しく少女の頭を撫でる。

 突然のことに驚きながらも、嬉しさと恥ずかしさの入り混じった表情で少女はそれを受け入れていた。

 話が一段落したのを見届けたつぐみは、彼女達のそばに近づいていく。

 向かってくる自分を見て、少女が再び険しい目つきになる。


「落ち着きなさい、小さな私。この子があなたがさっき言ってた冬野よ。……彼と、私が守りたいと願う大切な存在」


 沙十美の言葉を聞き、つぐみを見つめる少女の瞳に動揺が浮かぶ。

 こちらもそうだが、それ以上にこの子は混乱しているのだ。

 少ししゃがみ、目線を合わせる。

 こちらを見つめ返してくる彼女に、つぐみは話を始めた。


「こんにちは、冬野つぐみです。小さなさとみちゃん、ヒイラギ君と私を助けてくれてありがとう」


 つぐみの言葉に、少女はきょとんとした顔をしている。


『助けた? 私はあなたに何もしていない。いや、噛み付いたから悪いことをしている』


 じっとつぐみの右腕を見つめた後に、うつむいて目を伏せてしまう。


「悪いことはしていないよ。あれはヒイラギ君を守ろうとしてやったこと。さとみちゃんは頑張ったんだよ」


 しゅんとしてしまった彼女を元気づけたい。

 沙十美がしたように、つぐみも彼女の頭をそっと撫でる。

 今までされたことの無い、頭を撫でられるという行為に驚いたのだろうか。

 彼女はこちらを見上げながら、顔を真っ赤にして手で自分の頬をごしごしとこすっている。


 可愛い。

 なんと愛らしいことか。


 その行動に、つぐみは場所と状況を忘れ、思わず彼女をぎゅっと抱きしめてしまう。


「ありがとう。助けてくれて。あぁ、可愛いなぁ。ありがとう」

「ちょ、つぐみ! あんた、何してんのよ! ちょっと小さい私。大丈夫?」

『く、苦しい。強い、力、強い!』

「お! ち! つ! け!」


 一文字ずつ区切りながら、つぐみは沙十美によって彼女から引き離される。


『冬野。冬野がここにいるということは、この人の「助けたい」は上手くいったんだね』


 ヒイラギを見つめながら、小さなさとみは思いを伝えてくる。

 以前のような大きな声でなく、穏やかな口調で頭に響く声。

 そこには幼さの中にも優しさが滲み出ている。

 小さな子に「冬野」と呼び捨てにされること。

 その新鮮さに、喜びを感じながらつぐみは答える。


「うん、そうだよ。ヒイラギ君とさとみちゃんが二人で助けてくれたんだよ。だから私は今、ここに居られるんだ」

『大きな私が大切と言った冬野が、助けられてよかった』


 ようやくさとみは笑みを浮かべる。

 思わず抱きしめに行こうとするつぐみを、沙十美は止めながら小さなさとみに尋ねた。


「さて、あとはヒイラギ君を起こせば完了ね。小さな私、彼を、……ヒイラギ君を起こしてあげたいの。ここの外で彼を傷つけない、彼をとても大切に思っている人達がそれを待っているの。だから……」

『……わかった。私はもう何もしない』


 小さなさとみは、静かに後ろへと下がる。


「じゃあ、つぐみ。後はあなたがヒイラギ君に起きてくれるように、きちんと伝えなさい」


 言葉を受け、つぐみはヒイラギの前に座ると彼の右手を握る。



 伝えよう、今の思いを。

 私の。

 いや、私達の彼への思いを。



『どうして? どうして俺のことを嫌うの?』


 彼の声が頭に響く。


「違うよ、ヒイラギ君。あなたを大好きな、とても大切に思っている人達が待っているよ。だから一緒に帰ろう」


『逃げうさぎなんて呼ばないで』

脱兎だっとの力は、「逃げ」ではなく行動力と判断力が優れているということ。ちゃんと私は知ってるよ。あの時は本当にありがとう」


 握る手に力を込める。


「ねぇ、ヒイラギ君、知ってほしいんだ。あなたは私達にとって、とても大切な存在だということを」


『マキエの子供なのに、力不足でごめんなさい』

「私の命を救った人が、力不足なんてことはあり得ないんだよ! それにね、命だけではなく、あなたは私の心も救ってくれたんだよ」


 大きく息を吸うと、つぐみは続ける。


「だから、だからどうか起きてヒイラギ君。私はその為にここに来たのだから」


『俺は……』


 ぷつりと、突然に頭に響いてきた声が途絶える。

 驚き、ヒイラギの方を見る。


「俺、は……?」


 聞こえる。

 頭にではなく、つぐみの耳から。

 ずっと待っていた声が、聞こえた。


「俺は、え? ここは何だ? なんでこんなに白いの? 俺は死んだのか? え? 何で冬野がいるの? お前も死んじゃったのか?」


 やつぎばやにくる質問に、つぐみは何一つ答えることができない。

 目の前が、世界がじわりとゆがんでいく。


「ひ、ひ、ひいらぎぐんよがったー。おきだー!」

「うわ、どうしたんだお前。めっちゃ泣いてるし。めっちゃ鼻水出てんぞ。それは女としてどうなんだ」

「わがんないー。でもよかっだー!」

「えぇ、何この状況。って千堂沙十美? あんたがどうして? つまり俺は、……やっぱり死んだのか?」

「いいえ、あなたは死んでいない。事情は後でゆっくりと起きてから、人出先生に聞いてちょうだいな。ヒイラギ君。あなたはどうやら時間のようだから」


 その声につぐみはヒイラギを見つめる。

 驚いたことに彼の体が、光を放っているではないか。


「沙十美、これって一体?」

「言ったとおりよ。彼が目覚めたのよ」

「え、これなんなの? 俺、どうなってるの?」


 自分の両手とつぐみ達を交互に見つめ、ヒイラギは混乱した様子で問いかけてくる。


「ヒイラギ君。そのまま目を閉じて待ってればいいわ」

「え、ええと、これでいいのか?」


 言われるまま素直に、ヒイラギは目を閉じる。

 ゆっくりと光は彼を包み、静かに光が消えるとその姿は完全に消えてしまっていた。

 目の前で起こった出来事なのに、とても信じられない。

 呆然としているつぐみに、沙十美が話しかけてくる。


「これで全ての目的は完了したわ。……さぁ、帰るわよ」

「終わった? そうか、終わったんだ! じゃあ、さとみちゃんにお礼を言わなくちゃ!」


 つぐみは少女の姿を探す。

 彼女は笑ってこちらを見ていた。

 だがその姿は、どうしたことか透けて見える。

 

『ばいばい、冬野』


彼女はそう呟き、つぐみに笑いかけていた。

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