第152話 十年前の昔話 その8

「ここなら、大丈夫だろうか」


 小屋から数メートルほど歩いた所で惟之が急に立ち止まる。

 不意の行動についていけず、後ろを歩いていた品子は、彼の背中に顔をぶつけてしまった。


「あいたた……。先輩、どうされました?」

「一度ここで発動が出来るか試させてもらう。今は見たところ人はいなさそうだが、お前の家に戻るまで。少なくとも一条の管理地を出るまでは、人に会わないように移動する必要がある」

「確かに、この場所に私達が居たことが他人に知られるのはまずいですね」


 惟之はうなずくと、その場で静かに目を閉じ佇む。

 千里眼を使って、周りに人がいないか確認をしてくれているのだろう。

 品子はその様子を黙って見つめる。


「うん、この辺りは問題ないだろう。品子、今から俺は発動を継続して周囲を探りながら進む。だからお前には後方を警戒してほしい。一条の管理地を抜けるまで頼めるだろうか?」

「もちろんですよ。それ位しか出来ないのが、……申し訳ないです」


 今の品子の発動能力は、全く役に立たないものしかない。

 惟之ばかりに負担をかけている。

 その思いが品子の心を占めていく。


「そういう時もあるさ。発動能力が違うんだから、足りない所はあるだろうし。それならば、違うところで互いに補っていけばいいんじゃないのか?」


 話をしながらも、品子を振り返ることもなく彼は先を歩いていく。


「ん、こっちには人がいるな。品子、少し遠回りするぞ」


 行く方向を指し示すと、そのまま彼は歩き出す。

 先程から惟之は、全く品子を見ようとはしない。

 周囲を伺いながらの行動。

 だから仕方が無いとは分かってはいる。


『自分が足手まといになっている』


 別に言われたわけではない。

 だがその気持ちが、足取りを次第に重くしていく。


「品子、まだ回復が出来てなかったか? 辛いなら、もう少しゆっくり歩くぞ」

「……いえ、すみませんでした。大丈夫です」


 足を早めながら、品子には疑問が浮かぶ。

 歩みが遅れたのが分かるほど、彼は後方も把握できている。

 ならばなぜ、自分に後方警戒をさせるのだろうと。


 今までの行動を振り返り、それに対する品子なりの答えが出る。


「先輩、このあたりに今、人はいますか?」

「いや、誰もいないが?」


 ならば少し位、ここに留まっても問題ないだろう。

 確認をする為に、惟之の背中に後ろからそっと触れてみる。


「品子、どうした?」


 想定外の動きに、惟之から戸惑いの声が出る。

 だが惟之は振り返らない。

 背に触れたまま、品子は尋ねる。


「先輩、こちらを向いてもらえませんか?」

「……」


 惟之は何も言わず、動きを止めたままだ。

 同じように品子も何も語らず、その大きな背中に触れたまま、彼が答えを出すのを待ち続ける。

 ふぅと小さくため息をつくのが聞こえた。

 ゆっくりと振り返った彼と、品子は目を合わせる。


 こちらを見つめるその目。

 その左の瞳が金色に輝いている。

 そして対となる右の瞳は。

 まるで持ち主の心を表すかのように、深くくらい色を品子に見せていた。


「見ての通りだ。俺は今、片目のみの発動しか出来ない」


 無理やりに作ったであろう笑みを片頬かたほうに浮かべたその顔で。

 ぽつりと呟き、惟之は目を逸らす。

 品子は彼を見据えたまま口を開く。


「これを知られたくなくて、私に後ろをずっと歩かせていたのですか?」

「そうかもしれないな。気を悪くしたか?」

「そうですね。私に隠し事をしたのがまず気に入りません。あえて言いますよ。ばーかばーか、先輩ばーか」


 発言がよほど予想外だったのだろう。

 大きく目を見開いたまま、惟之は再び品子に向き直る。


「片目が発動しないからって何なんですか? 視力検査だって目薬だって片目ずつでやるじゃないですか。……ってああ、もう! 自分で何を言ってるかわからない!」


 恥ずかしさをごまかすように。

 目を閉じたまま品子はただ話し、願うのだ。

 惟之が先程のような顔をしないように。

 もうさせないようにと。


「とにかくですよ! 先輩は私を助けてくれた。これは間違いのない事実です。そんなしょぼくれてないで、もっとふんぞり返って『助けてやったぞ、品子。さぁ、チョコ寄こせ』位に思ったり、私に言ってこればいいんですっ!」


 目を開くと品子は惟之を見あげる。

 今度は目を逸らすことなく、彼は自分をまっすぐに見つめてきた。

 青白く照らしてる空に、静かに浮かぶ金色の光。

 その瞳を見つめ、品子は口を開く。


「今の先輩の左目は月のようですよ。先輩のその光で私の命は救われたのです。それではいけませんか?」


 ……なんと恥ずかしいことを、自分は口にしているのだろう。

 だが品子は本当にそう思ったのだ。

 その言葉を口にして何が悪い?


 それに中途半端や少しでも偽りの含んだ言葉などもってのほかだ。

 彼はきっとその目でそれを見抜くだろう。

 

「……凄いな、そんな言葉が真顔で言えるってのは」

「凄いでしょう? 今から一分以内なら笑っても怒りませんよ。どうぞ?」

「いや。笑いはしないが、そうだなぁ。……足りないものを補ってもらったのには感謝する」


 惟之は空を仰ぐ。

 空には満月ではないものの、明るく二人を照らす月が浮かんでいる。

 静かに浮いている月を。

 返された言葉の意味を考えながら、品子は隣で眺める。


「……さて、少し時間を取ってしまった。急いで戻らないとな」

「はへ? あぁ、はい!」


 すっと前を見据え、惟之は歩き出して行く。

 虚を突かれた品子は、間抜けな返事をしながらも慌てて彼を追いかける。


 惟之の言った『足りないものや補ったもの』とは何なのだろう。

 問うてみたい気持ちはある。

 だがその答えによっては、自分の発言の恥ずかしさがぶり返してきそうだ。


 ちらりと惟之を見る。

 先程までと違い、迷いのない足取り。

 何より自分がいる場所が、後ろではなく横で一緒に歩んでいるという変化。

 これはやはり喜ばしい。

 馬鹿正直で恥ずかしい、自分の『凄い』言葉はきちんと彼に届いたのだ。

 にんまりと笑い品子は思う。



 大丈夫! だから後は……。

 後、……は……。

 あと、……は。



「せっ、先輩? 家まで送ってもらって、というかもちろん玄関まで入ってくれますよね? まさか家の前までで「はい、さようなら」なーんて言わないですよね。も、もちろん事情を一緒に説明してくれますよね? さもないと私……」


 惟之の前に回り込み、顔を見上げながら品子は懇願する。 

 その表情で、この後の展開を察した惟之は、にやにやとしながら続けていく。


「悪いが俺は今のような月明り程度なら問題ないが、明るい所に行くと痛みが走る。残念だが……」

「いやいや! だって隣でいたいけな少女が恐怖に震えているのですよ。だったら人として助けないといけないでしょう?」

「心配ないだろう? なにせお前には心を閉ざして引きこもっていた人間を、表まで引きずり出しちまう。人の心を動かせるとても強い力があるんだから」


 惟之の予想外の言葉に、今度は品子が目を見開き驚く。


「片目の能力を失ったと最初に知られた相手。これが失望や表面だけの同情の言葉を掛けるような相手ではなく、やれふんぞり返れだの視力検査だの言ってくれるお前で良かったよ」


 そういって再び歩き出した惟之の横に慌てて並ぶと、品子は彼の顔を眺める。

 目を合わせてはくれないが、嬉しそうに口元がほころんでいるのが見えた。

 

「……それ、褒めてるようで褒めてませんし」


 たしかにその言葉は嬉しい。

 だが品子には、この後の危機を乗り越える必要があるのだ。


「今の私には、避雷針ひらいしんという名の先輩が必要なのですよ」

「いや、お前の本音が漏れ過ぎてる。完全に人任せにするつもりじゃないか」

「だって状況を知っているのは先輩だけなんですよ。助けてくれたっていいじゃないですか」

「助けただろうよ。ほら、一条の管理地は抜けたぞ。もうここからならお前一人でも大丈……」

「やだやだやだっ! 先輩が一緒に行かないなら私、ここから動きませんっ!」

 

 そのまましゃがみこむと、逃がさないように惟之の服を掴む。


「ちょ、危ない! 落ち着け、品子!」

「これが落ち着いていられますか! こちとら引き続き命が掛かっているんですからね!」


 服を掴まれ、動きに制限がかかり惟之はよろめいている。

 逃がすものかと再びしっかりと服を握ろうとすると、彼のジーンズのポケットに何かが入っている手ごたえを感じる。


 思わず動きを止め再び触れてみる。

 軽くて比較的、小さな物のようだ。


「先輩、ポケットに何か入っていますけど?」

「ん? あ、あぁ。……まぁ入っては、いる」


 とても歯切れが悪い。

 つまりは「見られたくないものです」と言っているようなものではないか。

 無意識のうちに、にやりと笑っていたのだろう。

 ポケットに向けて伸ばした手はあえなく掴まれる。


「いや、別に見せてくれたっていいじゃないですか! ただ私はそれを利用してうまいところ脅迫して、一緒に家まで行ってもらおうなんて思っているだけなんですから!」

「まずお前は人間として間違っているということを知れ。……別に見られて困るものでもない。ここに来るまでに使わせてもらったものだ」


 そういって彼が取り出したものは、品子が引き出しに入れておいたサングラスだった。

 

「部屋を出てから何度か使わせてもらった。確かに痛みは軽減された。感謝する」

「!……その、……ご、ごめんなさい」


 サングラスを使ってくれていた嬉しさが品子の中で満ちていく。

 同時にそれを利用して、無理やりついて来てもらおうとしていた自分。

 それを恥じる気持ちが顔をうつむかせていく。


「……まぁ、お前の紙に書いてあった通り、責任として一緒に説明はするよ。だからそんなに落ち込むな。ほら、立てよ」


 言葉と共に自分へと伸ばされた手。

 品子が見上げた先にあるのは二つの月。

 そのうちの一つの月の持ち主の手を握り、品子はゆっくりと立ち上がるのだった。

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