第288話 冬野つぐみは覆す

 里希からの反応をつぐみは待つ。


「……理由を聞こうか、そう思った訳を。僕に尋ねるに至った根拠を」


 否定からではない言葉。

 少しだけつぐみには時間が与えられたようだ。


「始まりからなぜだろうと感じることはありました。まず支給されたこの服装です。白日の女性の皆さんはスカートなのに、どうして自分はパンツスーツなのだろうと。これだけたくさん険しい道を歩かされたり、動き回ることになるのだったら。その前提があるからこその服装の選択だったのだと」

「ふむ、まずはそこからなのか。初手からこちらが甘い判断を下していたということか」

「とはいえこの服の話は、今までの行動があってこそ導けたお話です。当初は気付いておりませんでした。私が違和感を覚えたのはもう少し後になります」


 袖口に触れながら自分の姿を見下ろしていく。

 支給されたスーツは、一連の出来事で砂やほこりがいたるところに付着している。

 背中の部分は血で赤く染まっていることだろう。


 今の里希からの言葉で『こちらが甘い判断を下していた』という言質げんちを取った。

 さらに言えば、先程の浜尾のことを語った時の言葉。


『……浜尾さん。彼は十年間、僕の護衛を


 亡くなっていたのならば、ここは『務めてくれていた』と言うはずだろう。

 つまり彼はまだ生きているのではないかという希望をつぐみは抱く。

 同時に一連の出来事は、里希により仕組まれたものではないかという思いが強まっていく。

 だが今のままでは、情報が足りない。

 もう少し確認が必要だと考え、つぐみは里希から語られる言葉を待つ。

 

「では改めて問おう。どこで君はおかしいと思ったんだ?」

「浜尾さんが襲撃をされた際です。蛯名様に対し『不慮の事故』を装いたいのであれば、彼を撃つべきではないからです。蛯名様の滑落を事故として処理をしたいのであれば、彼が銃で撃たれて亡くなっているのはあまりにも不自然です」


 つぐみの答えに里希は、考え込む様子を見せる。


「そして私は浜尾さんが亡くなったのを直接、確認しておりません。足元で倒れていた浜尾さんの様子をうかがおうとした時、蛯名様に見る必要はないと目を塞がれましたから。犯人の姿を見ないことにより、私は蛯名様にいました。ですがそれは裏返せば」


 つぐみは目を閉じる。

 そこに生まれるのは何も見えない暗闇の世界。

 

「私は何も見ていない。蛯名様によって真実が隠されていても、私はということでもあるのです」 


 品子は言っていた。

『里希は私と同じく、人の記憶や行動を操る力を持っている』と。

 彼はつぐみに触れた際にこう言ったのだ。


『僕の言うことだけを聞くんだ、……いいね?』

 

 当初は浜尾の姿を見ることにより、つぐみが動揺しないようにという配慮からだと思っていた。

 たがこの言葉は、違う意味にもなりうるのだ。

『決して彼の言葉を疑わないように』と。

 知らぬうちにつぐみは、彼の行動に違和感を抱かないようにと暗示をかけられていたのだ。


「……なるほどね。つまり、命をかけて守った君に僕は疑われているわけだ。とても残念だよ」


 掛けられた言葉に目を開けば、悲しげな表情を浮かべた里希の姿がある。

 つぐみの心を今、ちりりとさいなむのは罪悪感と呼ぶものだろう。

 だがここで引けば、記憶は消されてしまうのだ。

 ならば自分は、ここで攻めの姿勢を貫くのみ。


「申し訳ありません、ですが蛯名様。知りうる限りでも二度、私に発動を施しておりましたよね?」


 目は逸らさない。

 どんな小さな変化であろうが、見逃すわけにはいかないのだから。

 ほんのわずかだ。

 彼の目に、口元に。

 表れるもすぐに消え失せた感情は『動揺』だ。


 だが静かに柔らかく。

 その動作を否定するように、彼の口元には笑みが浮かぶ。


「ならば聞こう、冬野つぐみ。その二度の発動はどこで感じた」


 冷たく突き刺さるような言葉に、怯みそうになる心をつぐみはぐっと抑え込む。


「一つ目は、浜尾さんの生死を確認しようとした際の目を覆われた時。そして二つ目はこの崖で私に発動の風を送った時だと考えております。そして二つ目をかけた理由は、私が手を噛んで声を抑えた際に、その痛覚により発動が解除されることを懸念したため。……私の判断はいかがでしょうか」 

「……うん、判断力は実に結構。君には驚かされるばかりだね、ただの一般人だったとはとても思えないよ」


 一転して穏やかな口調になると、里希はつぐみの元へとやって来る。

 あまり時間がない。

 もう一つの行動力を早く見せなければ。

 彼が目の前に来たら、そこで終わりだ。

 

「蛯名様の発動は風による攻撃と、人の心や記憶を操る能力と自分は考えております」

「それに関しては返答は避けておくよ。さて、今までお疲れ様。実に良い所まではたどり着いていたのだがね。さぁ、お別れの時間だ」


 こちらへと向かってくる手。

 顔に触れる直前、つぐみは彼の腕を両手で掴むと叫ぶ。


「行動力の判断について、私は納得がいきません! ですのでせめて、最後に試してはいただけませんか?」


 声も手も。

 みっともなく震わせるつぐみに里希は問う。 


「……どういうことだ?」

「今から私の行動力を試す質問をして下さい! 私は! 私は約束しているのです。『先生の元に笑顔で帰る』と。だから最後まであがきますし、諦めません。どうか私の答えを聞いてから処分を、……お願いします」


 卑怯な手ではあるが、つぐみは彼が執着していると思われる品子の名前を出す。

 どのみちもう選択肢が無いのだ。

 逆鱗げきりんに触れたのならばそれまで。

 にらみつけるような目で見すえること数秒。

 ゆっくりと里希は手を下ろしていく。


「捨て身の行動で行動力をみせている。君はそのつもりなのか?」

「いいえ、違います。あくまで蛯名様から出された問いに私がどう答えるのか? そしてそれがあなた様の望む答えであるのかを見て頂きたいのです」


 向けられた冷たい視線から目を逸らすことなく、つぐみは里希を見上げる。

 しばしの沈黙の後、彼は口を開いた。


「……そうか、ならば答えてみろ。ある男がある人物に一つのチョコレートを貰った。だが男はもらったチョコレートを食べることなくゴミ箱へ捨てた。なぜならば、それが彼だけに向けられたものではなく、誰にでもあげていいものだったからだ。そんな男のことを君ならどう思う?」

「え? チョコレート、ですか?」


 戸惑うつぐみの顔を見て、里希は眉をひそめる。


「質問をしろと言ったのは君からなのだが。さぁ、僕の望む答えとやらを聞かせてもらおうか」


 全く予想外の問題に頭は混乱するばかりだ。

 貰ったもの、チョコレート、自分だけのものではないから捨てた。

 たとえ話のように語っているものの、実は彼自身の経験ではないのだろうか。

 これは品子と里希に起こった本当の話ではないかとつぐみは考える。

 ならば彼が欲しい答えとは、品子だったら何と答えるのかであろう。

 

「早くしてくれ。僕は気が長い方ではない」


 苛立ちを隠さない言葉に焦りながらも、自分なりの答えをつぐみは出していく。


「私は……」


 喉の奥が、はり付いたかのように声が出て来ない。

 つばを飲み込み、ゆっくりと言葉を出していく。


「私ならば、捨てる前に自分に寄こしなさいと言います。そして食べ物を大切にしなければいけないと、その人にきちんと怒ります」


 言葉を噛みしめるかのように、彼は目を閉じ動かない。


「……蛯名様?」

「なるほど、ではそれに対する僕からの答えだ。冬野つぐみ君」

  

 言葉と同時に、つぐみの目は彼の手によって覆われる。


「さようなら、君はやはり一条にふさわしくはない。君は不合格だ」


 顔に風が当たると共に、耐えがたい眠気がつぐみを襲う。


 ……上手くできなかった。

 自分は失敗してしまったのだ。 

 観測者からの言葉が蘇る。


『あなたの大切な人が二人程「いなく」なります』


 自分は、その二人の未来を守りきれなかった。

 次々と浮かぶのは大切な人達の顔。

 彼らと過ごした思い出が、日々が。

 頭の中に次々とあらわれては消えていく。


 まぶたの上から里希の手が離れ、彼の顔が目に入る。

 どうしてだろう。

 彼の表情はとても寂しそうで。


 彼を見たつぐみの口から。

 思いが、言葉が紡がれていく。


「蛯名様、私からの最後のお願いです。その考えを持った男の人にどうか伝えてください。私はあなたのその心は、とてもまっすぐで純粋で綺麗だと思います、……と」


 自分から出たとは思えない、か細い声。

 里希には届いたのだろうか。

 それを知ることもなく、つぐみの意識は深い闇の中へと落ちていった。

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