第67話 人出品子は誘い寄せる

「はーい、ヒイラギ、シヤ集合ー」


 扉の方から聞こえた品子の声にヒイラギは顔を上げ、彼女のいつもと違う様子に気付く。

 

「あれ、品子。髪を下ろしてる? いつもは縛っているのに、珍しいな」

「まぁね~。さてさて、作戦が決まったよ。しっかり聞いてね。まずは、追加の情報。例の障壁は二つあるって。一つは店の前。もう一つは扉自体に掛かってる」

「な! あんなのが二つもあるのか? 一つ目はともかく、扉の方はどうすればいいんだ?」


 驚きのあまり声が上ずるヒイラギに対し、品子は冷静に答える。


「扉の方は、私が何とかするから心配いらない。このビルの前の、道路から見えにくい所でシヤとヒイラギが待機。店のドアが開いたら、シヤに合図を送る。そうしたらシヤはリード発動。そのリードに従って、ヒイラギが店に突入。とりあえずはこの流れで行くよ」

「品子姉さん。例の障壁は、どう考えているのですか?」


 シヤが品子を見つめながら問う。


「一応シヤとヒイラギが言ってくれたようにだね。障壁に向かって『壊してやる』という感情も、一緒に叩きつけてやってみて。それで抜けだしたらとっとと撤収。質問ある? なければ準備を始めるよ」


 品子は話を続けながら、ポーチから香水を出し自分の手首に付けている。

 まとっている雰囲気が違う従姉にヒイラギは違和感を覚え、隣にいるシヤに目を向ける。

 ヒイラギの視線に気づいたのか、シヤが見上げてきた。

 彼女の目にも自分と同様に戸惑いがあらわれている。


「じゃあ、ちょっと出かけてくる。二人は待機場所に行っててね~」


 慌ただしくそう言い残し、品子はバタバタと出て行く。

 ヒイラギはシヤの肩を軽く叩くと、後を追うように部屋を出るのだった。

 


◇◇◇◇◇



 一人の男が多木ノ駅から道一つ外れた場所を一人で歩いている。

 男の名は唐津からつ

 唐津の表情はとても険しく、知り合いでなければ決して声を掛けない。

 いや、知り合いですら声を掛けがたい雰囲気をまき散らしながら歩いていた。


 唐津は大変に立腹していた。

 その原因は昨日にさかのぼる。


 唐津は友人と四人で、多木ノ駅に来ていた。

 何をするでもなく、ただ四人でフラフラと街を歩くだけ。

 いつもはそれで終わり、その日もそのはずだった。


 途中まではいつも通りだったのだ。

 四人の前に突然、栗色の髪の少年が現れるまでは。


 唐津達の方へ、少年はただニヤニヤしながら近づいて来る。

 最初はただ気持ち悪い奴だと思うだけで、唐津は無視をしていた。

 だが少年は笑いを浮かべたまま、何を言って来るでもなく四人に付いてくる。


 さすがに、これは我慢がならないと四人は思う。

 知らない相手に対し不快な思いをさせてはいけない。

 こんな当たり前のことを知らないのならば、教えてやるべきだと唐津達は結論付けた。

 最初は四人で理解させようと話をしていたのだ。

 だが唐津以外の三人は興味を失くしたようで、その場を離れてしまった。

 唐津は自分が責任感のある男だと自負している。

 だから自分がこいつにマナーをわからせてやろう、そう考えたのだ。


 少年を何発か殴って、唐津は許してやろうとしたのだ。

 それなのに少年は、殴られながら笑っていた。

 その時を思い出すと、今でも心に突き刺すような寒気が襲ってくる。

 さらには、その最中に変な女が現れて邪魔をしてくるではないか。

 その女の姿を思い出し、にやりとした笑みを浮かべる。

 

「まぁ、ちょっと可愛い子ではあったな。ああいうショートカットの、ふわりとした雰囲気の子。正直、俺の好みのタイプだったからな。って、そんなことはどうでもいい!」


 その女に連れがいるという発言を耳にし、不本意だが逃げるようにその場を去ってしまった。

 その時の屈辱に、唐津の顔に浮かんでいた笑みは消える。


「どうして俺が逃げなきゃいけないんだよ! あぁ、嫌な気分だ!」


 家に居ても、心に生まれた苛立ちは収まるどころか募る一方。

 そのストレスを発散をしようと、昨日と同じように多木ノ駅に来ていた。

 昨日の少年が居たら今度こそ教えてやろう。

 そういった意図も抱えながら来たのは良いがその姿はない。


 唐津は周りを改めて見まわすが、今日の暑さもあり出歩いている人もそうはいない。

 だが外に出たことで、ある程度の解消が出来たのも事実だ。

 

「まぁいいや。そろそろ帰るとす……」


 そう呟き歩いていると、いきなりどん! と後ろから衝撃が来た。


「なっ、何だ?」


 慌てて振り返る。

 そこには長い髪の女が息を切らして、うつむいたままで立っていた。

 慌てて走ってきて、自分にぶつかってきたのだと唐津は理解する。


「おい、人にぶつかっておいて……」


 その声に女が、顔を上げる。

 そこには、今まで見たこともない綺麗な女がいた。


「あ、あの。ごめんなさい」


 控えめな声なのに、妙に艶めかしい声が唐津の耳に届く。

 それに伴い、ふわりと漂う香水の香り。

 心臓が、一気に跳ね上がっていく。


 スラリと伸びた長くて綺麗な足。

 タイトな黒のロングスカートのスリットが、その美しさを垣間見せている。

 そのまま視線を上げていく。

 白のVネックのノースリーブTシャツから見える肌。

 走ってきたこともあり、赤みを増して彼女の妖艶さを強調するかのようだ。

 胸の大きさは少々控えめだが、それがまたしなやかな体つきを映えさせている。

 テレビで見る女優のような。

 いやそれ以上ではないかと感じてしまうほどの美しさが、唐津の目の前にあった。


「あのっ! すみません。電話をお借りできませんか? 大変なんです」


 青ざめた顔で女はそう言うと、唐津の手を握ってきた。


「え、どうしたんですか一体?」


 触れてくる柔らかい感触。

 己の手に絡み付くように握られた手に、唐津は動揺しながらも尋ねる。


「弟が! 突然、知らない人に連れていかれてしまって。どうしよう、怖くてっ……」


 しなやかなラインを描いた肩に、目が吸い寄せられていく。

 震えながら伝えてくる彼女に安心してもらおうと、そっと肩に触れる。

 肩に手を乗せると同時に、見上げてくる彼女の瞳。

 柔らかい髪が、唐津の手をくすぐるように揺れ動く。


 あぁ、なんて綺麗な人なんだ!

 この人の為なら何でもしてやれる。

 そんな思いに唐津は支配されていた。


「弟さんはどこ? 良かったら俺が一緒に行きますよ?」


 唐津の口が勝手に動き出す。

 自分の行動に違和感を覚えたが、女が見つめてくる瞳にその感情は一瞬にして消えさっていく。


「本当ですか! あぁ、よかった。こちらの方なんです!」


 女は唐津の手を掴むと、小走りで奥の路地の方へ進んでいく。

 それよりもまず危険な相手かもしれないから、警察などを呼んだ方がいいのでは。

 唐津の頭に一瞬、その考えがよぎった。

 だが、この人の柔らかい手の感触。

 これだけで、もう何も考えられなくなってしまう。

 広めの道に出ると、彼女は一つの家を指差した。


「あの家なんです。あぁ、あの子は大丈夫なのかしら……」


 女は、すがるような目で見つめてくる。

 唐津は芽生えてくる思いのまま語り掛けていく。


「俺が、俺が見てきますよ。大丈夫。あなたはここで、待っていてくれればいい」


 唐津は気合を入れ、彼女が示した家まで歩き出していく。

 扉の前にたどり着き、くるりと女の方を振り返る。

 女は胸の前で手を組んで祈るようなポーズをして、心配そうに自分を見ていた。

 その表情に先程まで小さくなっていた恐怖心がぶわりと膨れ上がる。

 だが同時に心を占めるのは彼女にいいところを見せたいという男の意地。


「こっ、ここでいいところを見せれば。俺の人生に、大きな転機が訪れるんだ!」


 その期待が、声を出すことによってぼんやりと感じていた恐怖心をかき消していく。

 期待を腕の力に変え、唐津は大きく目の前の扉を開いていった。

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