第272話 冬野つぐみは秘密を知られる
出雲に促されつぐみは品子と共に部屋に入る。
そこは小さな倉庫のような六畳ほどの部屋だった。
部屋の真ん中には六十センチ角の小さなカーペットが敷いてある。
採寸をする場所だと気づいたつぐみがそちらに向かう。
「じゃあ、靴を脱いで立ってくれるかしら? 結構いろいろな部位をはからせてもらうことになるわ。リラックスして待っててね」
「はい、よろしくお願いします。で、でも服はどのくらいまで脱いだり……、するのでしょうか」
つぐみは話しながら自分の顔が熱くなっていくのを自覚する。
さすがに女性だけとはいえ、人前で服を脱ぐのは恥ずかしい。
「大丈夫よ。下着の採寸という訳ではないのだから。ジャケットを脱いでくれるだけでいいわ。そこにあるポールハンガーを使ってね」
カーペットの隣に添える様に設置されているポールハンガー。
つぐみはそこにあるハンガーにジャケットを掛け、真っ直ぐに背筋を伸ばし出雲を見つめる。
「いつもながら緊張しているみたいねぇ。前回の深呼吸、させちゃおうかし……」
くすくすと笑いながらつぐみの前に立つ出雲だったが、突然に言葉を途切れさせると真顔になる。
「出雲さん? どうしたので……」
声を掛けたつぐみの後ろから突然、両手がにゅっと現れる。
さらにはあろうことか、胸をムニムニと触ってくるではないか。
「にゃ、にゃ! 胸ぇぇぇ!」
本来ならば、『な』と言いたかったはずの言葉。
つぐみはあまりの動揺に、言葉を噛んでしまう。
こんなことをしてくる相手は一人しかいない。
たがその人物はつぐみの叫び声の後、ぴたりと手を止めたまま動こうとしない。
おそるおそるつぐみが振り返れば、案の定というべきか。
顔をうつむかせたままの品子がいた。
だがなぜだろう、その肩は震えている。
「せ、先生?」
つぐみの声かけに品子は顔をぐっと上げた。
その目にはどうしたことか、深い悲しみがあふれている。
「先生? 突然どうしてこんなこ……」
その言葉を最後まで聞かず、品子は己の体をがばりと抱く。
「冬野君、私はね。ちっぱいではないのだよ! ちょっとお胸が控えめなだけなんだぁぁぁ!」
そう叫ぶとくるりと向きを変え、扉の方に駆け出していく。
品子がばたんと大きな音を立て扉を開き、出て行くのをつぐみと出雲は呆然と見送ることしか出来ない。
扉の向こうからは、明日人の声が聞こえてくる。
「あっ、品子さーん! どこ行くんですかぁ~?」
どうやら品子は、隣の部屋に落ち着くつもりは無いようだ。
思わず出雲の方を見れば、彼女は何とも言えない顔をつぐみへと向けてくる。
「ま、まぁ、確かにね。冬野さん、あなた普段は隠しているけど結構、胸が大き目よね」
「え、そういうことなのですか? 先生が泣きそうになっていたのって、胸のサイズのことなのですか?」
思わず扉と自分の胸を交互に見ながら、つぐみは問うてしまう。
「うーん、品子様の言動は一旦、忘れましょうか」
困った様子で頬に手を当てながら、出雲はため息をついた。
「どうやら、あなたにはその大きさがコンプレックスみたいね。冬野さん、あなた。……無理やり小さめのサイズを着用しているのではないのかしら」
やはり女性同士、ましてや相手は視野の広い出雲なのだ。
気づかれたことに、思わずつぐみはうつむいてしまう。
兄との事件以来、自分が「女性」であるということを強く意識してしまう、この胸という部分。
コンプレックスであり、成長と共に次第に大きくなっていく存在は、つぐみにとって苦痛なものとなっていた。
顔を伏せたまま、つぐみはかつての自分の行動を思い返す。
自分は隠そうとした、押さえ込んだ。
怖かった思いや、家族から離れた悲しみをそれに押し込むように。
痛みがあっても、きつくても構わず続けた。
痛みはこの原因を招いた自分への罪だと思いながら。
こんなことをしても意味がない。
そう理解はしながらも、この行動を止めることがつぐみには出来なかったのだ。
出雲は情報解析である二条の人間だ。
つぐみの家庭事情は、以前の調査で知っているだろう。
隠し切れないと悟り、つぐみは素直にうなずく。
「ごめんなさい。出雲さんのおっしゃる通りです」
「あ、別にあやまらなくていいのよ。私は怒っていないわ。そこはまず伝えさせてちょうだいね」
見上げてきたつぐみの顔を見て、出雲はゆっくりと話を始める。
「恥ずかしいとか、人に見られたくないって思って適したサイズを着用しないとね。ワイヤーが当たって痛くなったりするし、胸を圧迫するから色素沈着のもとになっちゃうんだから」
人差し指を立てて、左右に振りながら出雲はウインクをする。
「出雲さん、詳しいのですね」
「ふふ、女子たるもの自分を磨くことは忘れてはダメだもの」
エッヘンと言わんばかりに腰に手を当て、胸を張る出雲がいつもと違って何だか可愛らしい。
出雲が和ませようとしてくれているのはつぐみにもわかる。
自分がこんなことをした理由も、きっと察しているであろうに。
それでも変わらずこの人は接してくれている。
その優しさに感謝をしながら、つぐみは言葉を続けた。
「分かりました。これからは、きちんと自分に適したものを着けるようにしますね」
「そうしてちょうだい。あとあなた、品子様とのことでこの後が大変そうだなぁって思っているでしょう。なるべく私からもフォローしていくからね」
正に苦笑い、といった表情を浮かべ出雲はつぐみを見つめてくる。
考えてみれば、先程の品子の不可思議な行為。
実はあれも、つぐみが気にしないようにするために、あえて取った行動だったのかもしれない。
つぐみにはそう思えるのだ。
自分を見守り、間違いがあればそれを正しい方へと導いてくれる。
なんと幸せなことなのだろう。
この人達は、つぐみが一人ではないということを知らせてくれる。
言葉に出さずとも、ここにいてもいいのだと教えてくれるのだ。
ふわりと溢れてくる嬉しい気持ちを抱え、つぐみはうなずき返す。
真っ直ぐに姿勢を正し、カーペットの上に立つと「お願いします」と声を掛ける。
「両手を上げてくれる? うん、そうそう。じゃあ始めましょう」
出雲の指示に従い、手を上へと伸ばす。
二人で会話を楽しみつつ、穏やかに計測は進んでいくのだった。
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