第273話 人出品子はふてくされる
「はい、冬野さんお疲れ様。これで全部、計測は終わったわ」
「ありがとうございます。先生はもう落ち着いた頃ですかね?」
「そうねぇ、私としてはちょっとだけ落ち込んでいると予想しているけれど」
つぐみは出雲と和やかに会話をしながら、隣の部屋へと戻って行く。
扉を開く前に、なんとなくこの先の光景は予想はしていた。
だがそれは甘い考えであったとつぐみは出雲と共に知ることとなる。
つぐみの視線の先。
そこには遠い目をして、ソファーに体操座りで腰掛けているやさぐれた品子の姿があった。
彼女の机の前には例の『気分上糖』コーヒーが五本ほど置かれている。
来る時にはこんなものは無かったのだ。
つまりは、あの駆け抜けて出て行った時の勢いで買ってきたということになる。
うち二本は、すでに飲み干されていた。
つぐみには品子の状況や表情から、それらがコーヒーではなくカップ酒のように見えてならない。
品子の隣には明日人が座っており、つぐみを見てにっこりと笑いながら「おつかれさま!」と元気に声を掛けてくる。
「状況はわかっているよ~。つぐみさん、大変だったねぇ」
「え? 先生から聞いているのですか?」
「ううん、違うよ~。君と品子さんの叫び声。それに飛び出して来た品子さんの表情。これですぐに分かったから~」
明日人の言葉に顔が赤く染まるのを感じながら、品子達の向かいに座っている惟之へと目を向ける。
「冬野君。まぁ、なんだ。……うん、お疲れ様」
とても優しげな笑みを、口にたたえた彼の配慮が心に痛い。
温かいを超えた、『なまあったか〜い』笑顔がそこには浮かんでいる。
「ふふっ、明日人。よく覚えておくんだぞ。人間の器は大きい方がいい。だから何か小さいものがあった方が帳尻があっていいってもんなのさ。……ふふ」
缶コーヒーをちびりちびりと飲みながら、品子は虚空を見つめ明日人へと語りかけている。
「あっはは~、何を言ってるか分かりませんね。でもその理論は面白~い」
明日人は聞いてはいるが、全く心に響いていない様子だ。
「さて、冗談はここまでにしておくか。品子、冬野君。明日人から話は聞かせてもらった。あと少し、二人に聞いておきたいことがある」
惟之の問いかけに、つぐみは改めて彼の方に向き直る。
すると後ろから出雲の声が掛かった。
「では惟之様。私はこちらのデータを届けに行きますので。これで失礼いたします」
「あれ、届けに行く? つまり、つぐみさんの採寸依頼は二条からではないということですか?」
明日人が、首をかしげながら出雲へと問いかける。
彼女へと視線を向けた惟之が、ゆっくりとうなずいた。
「……構わない。出雲、皆にも話してやってくれ」
惟之の許可を受け、出雲は語り出す。
「冬野さんの面談が終わってから三十分程でしょうか。一条の高辺さんより私の方に連絡が来ました。冬野さんが来週、里希様の仕事に同行することになった。ついては彼女のために服の用意をしたいのでその為のデータが欲しいと」
出雲の話を受け、明日人がしばし考えこんだ後に口を開く。
「ある意味、いやらしいタイミングですよね。蛯名様への同行はすでに決まっていた。ならば面接の直後に、採寸をしたいと伝えることも出来た訳じゃないですか? それなのに二条にその連絡が入ったのが、僕達が本部の入り口を出てしばらくしてからなんですよね?」
「つまり、あえてその時間を狙って出雲君に連絡を入れた。明日人はそう言いたいのかい?」
品子の言葉に明日人はうなずく。
「まるで品子さん達が、
ソファーに座ったまま、ぐっと体を伸ばすと明日人は惟之の方を向く。
「惟之さん、一条から他につぐみさんに関する話は何か来ているのですか? その同行の内容や場所などは聞いていたりとかは?」
「残念ながら俺には全く情報は無しだ。なにせ今日のことですら把握できていない状態だったからな。……冬野君。ずいぶんと君には迷惑を掛けてしまった」
見上げてくる惟之の表情は硬く、つぐみは思わず大きな声を出してしまう。
「そんな、靭さんが謝ることではないです! そもそもこの白日入りは私が希望したものなのですから!」
「いや、当初は君が清乃様の面接を受けて終わるはずだったんだ。だが俺達が君を推薦したことにより今回の件が起こっている」
「うん、惟之さんの言う通りなんだ。君を僕達の組織の事情に巻き込んでしまったんだよ」
惟之だけでなく、明日人までもが申し訳なさそうな表情で自分を見つめてくる。
「いずれにしても、今回は無事に終わらせているのです。だから皆さんが謝ったりすることは何一つありません。先生、そうですよね?」
つぐみの言葉に、場の空気を変えた方がいいと判断した品子が、うなずきながら答える。
「……そうだね、もう起こってしまったことは仕方がない。今はこれからどうしていくかを考えていくべきだろう。冬野君、里希から渡された紙には何と書かれているんだい?」
品子の言葉に、つぐみは鞄から紙を取り出すと内容を読み上げていく。
「えっとですね。『日時等は決まり次第、こちらから連絡する。君の試験であることを念頭に置いて、余計な介入等が無いように心がけよ』と書いてあります」
「う~ん。つまりは僕達は関わるなと釘を刺している。そういったメッセージですかねぇ」
「そうだな。さらにいえばその介入とやらがお相手に発覚した時点で冬野君を不合格にさせる。そういった
不機嫌そうに品子が顔をしかめて呟くのを聞き、惟之が言葉を続ける。
「出雲が聞いている通りならば、その日時とやらは来週中だということだろう。相手は一条だ、ここは俺達が動いて下手に刺激するよりは、大人しくしているのが冬野君にとって一番いいのだろうな」
「そうですね。それに私の為に準備される服が届くまでは、連絡は来ないでしょうから」
「でも一条のことだから、来週と言いながら『予定が変わった』とか言って急に呼び出す可能性もありますよね? う~ん、何か僕に出来ることがあればいいのだけれど」
腕組みをしてうなる明日人を見つめながら、ぱんと惟之が手を叩く。
「今日はこれで解散しよう。取りあえずは全員、冬野君のために目立つ行動は控える。そして冬野君は一条からの連絡が来たら、可能な限りこちらにもその情報を共有してもらいたい。それで良いだろうか?」
惟之の提案につぐみはうなずく。
それを合図に品子がソファーから立ち上がった。
「さて、では今度こそ帰ろうか。じゃあ私達はここで失礼するよ」
「はい、お疲れ様でした。僕はもう少し惟之さんと話をしたら帰りますね。品子さん、つぐみさん気を付けて帰ってくださいね~」
柔らかな眼差しで見送ってくれる二人に礼をしてつぐみと品子は共に部屋を出る。
来週に行われるであろう第二の試験に向け、いつでも行動できるように心の準備をしていかねば。
つぐみは改めてそう決意をすると、前を歩く品子の後を追うのだった。
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