第199話 タルトは甘い恋の様になりうるか その四

「ふふふ。嬉しいなぁ。綺麗に撮れたよ〜」


 スマホを眺めて嬉しそうにしているつぐみへ、クラムはそれ以上の笑顔をもって話しかける。


「そんなに上手く撮れたんだ。見せてよ」

「もちろんだよっ! 見てくれる?」


 子供のようにはしゃぐつぐみから、クラムへとスマホが手渡される。


 彼女は知らないだろう。

 この何気ない、ほんの些細な行動がクラムに幸せを与えてくれていることを。


 今だってそうだ。

 スマホを受け取るときに触れた指先に。

 少しひんやりとしたその指に触れただけで、クラムがどれだけの喜びを感じているかなどとは思いもよらないだろう。

 口元に自然と浮かぶ笑みを感じながら、クラムはスマホの写真をたどっていく。


 確かに様々な種類のタルトが、画面の中で色鮮やかに、互いを競い合っているかのようだ。

 クラムに見られても何ら困らない、彼女の素直さが表れているかのようなその写真達。

 そんな一部を、見ることができている。

 クラムはそれに幸せな気持ちを抑えることができない。


「美味しそうな料理ばかりだね。もっと写真を見せてもらってもいいかな?」


 断られるかもしれない。

 そう思いながらもクラムはつい尋ねてしまう。


「いいよ! でもそんなに面白いものとかはないよ〜」


 その言葉に、認めてもらえた幸せを感じながら、彼女の日常を切り取った写真達を見ていく。


 長く一人暮らしをしていると、以前に聞いたことがある。

 彼女が作ったであろう、数々の料理の写真で画面は埋め尽くされている。

 その中には手書きのメモと一緒に写されたものが多いことにクラムは気づく。


『これ美味しい! でも次は塩は少なめにしよう』

『もう少し次は、蒸らす時間を増やそう。でもすごく美味しかった』

 探求心が表れているその写真達に、クラムは微笑まずにはいられない。


 そうやってスクロールを続けていく、クラムの手が不意に止まる。

 そこには。

 料理が並んだ写真達の中に、明らかに異質な写真が一枚、収められていたのだ。

 クラムの表情が変わったことに気付いたつぐみから声が掛かる。


「クラム君、どうかした?」


『うん、どうかしてるのは君だよ』

 本日二回目のその言葉を飲み込み、クラムは考える。

 この写真の存在を、聞くべきかと。

 数秒間の脳内会議にて好奇心に負け、クラムは彼女に尋ねる。


「つぐみちゃん。この写真なんだけど……」


 クラムはスマホを返しながら、震える手で該当する写真を指差す。


 これはきっと『邪神』と呼ぶべき存在だ。


 そういったものにクラムは詳しくは無いが、明らかにこの世のものでは無い。

 いや、在ってはいけない機関車のような形状の『ナニカ』がそこには写されていた。


「あっ、やだー。そうだよね! いきなりそんな写真を見たら驚くよね!」

「はい、大変に驚きました」


 クラムがいつもと違う口調になっていることに気づかずに、つぐみは話を続けていく。


「これはね! えーと、私のバイト先の上司が描いた絵なの! すごいよね! 機関車を描いていたらこんな風になるなんて」


 バイト先、上司、機関車。

 この三つの言葉をどうやって繋げたら、こんな状態が出来上がるのだ。

 そして彼女は何を思い、この写真を残しておこうと考えたのだろう。


 ――魔除け、か?

 いや、むしろ魔を寄せてきそうなやつだよ、これ!

 いや待て! まず落ち着くんだ、汐田クラム!

 そんな思考に陥りながら、クラムは彼女に笑顔を向け必死に考えをまとめようとする。


 まずは動揺した心を、落ち着けるべきだ。

 クラムはそう結論を出し、水を飲もうとテーブルへと目を向けた直後、思考はさらに停止することになる。  


 少し前まではテーブルに六つのタルトがあったのだ。

 それらが全て空の皿へと変化しているではないか。

 確かにクラムも少しは口にしていた。

 だが六つのうちの二つのタルトを一口ずつ食べて、それから写真を見ていたのだ。


 クラムは改めて彼女を見る。

 おしぼりで口元を拭きながら、自分を見つめてくる姿。

 その顔には『満足です!』とでも書いてあるようだ。


 確かに彼女の笑顔は本当に可愛い。

 でも今だけそれを素直に思えないのは、先程の魔寄せの写真の影響ではないかとすら思えてくる。

 あるいは彼女の胃袋の強靭さに、自分が動揺しているだけかもしれない。

 クラムは納得はできないものの、かろうじてそう答えを出していく。

 さらにクラムの思考を遮るかのように、スマホが振動を伝えてくる。


 ――残念だが、『お仕事』の時間がやってきてしまった。


「……ごめんね、つぐみちゃん。僕、もう帰らなければいけないんだ」


 席を立ちながらクラムの口から出てきた声は、自分から出たとはとても思えない沈んだ調子だ。

 予想以上に、自分はこの時間を楽しみ、求めていたようだ。

 そんなクラムを見上げながら、つぐみは優しく口を開く。


「そうなんだ。あのね、今日はとてもとても楽しかったよ。美味しいものって大切な人と食べると、何倍にも美味しくなるんだね。それを今日、改めて知ることが出来たよ! ありがとうね、クラム君!」


 ――何てこと言ってくるんだよ、君は。

 どれだけ君は、僕に……。

 クラムの胸に押し寄せる感情。

 それらを溢れないようにと、とどまらせながらクラムは口を開く。


「……そうなんだ。じゃあ、僕からも」


 クラムは目を閉じて、すぅと息を吸う。 

 そうして彼女が今、言ってくれた言葉を静かに胸の中にしまい込んでいく。

 もう少しで、自分はこの子の知らない。

 絶対に知られたくない場所へいくのだ。

 目を開ける。

 そこには、自分を見上げてくるつぐみがいる。

 自分の事を大切な人と言ってくれた、大好きな彼女がここにはいるのだ。     


「……ありがとう。凄く楽しくて、すごく困って。……とても大切で愛おしい時間を、僕に与えてくれて」

 

 クラムの言葉につぐみは、きょとんとする。

 だがすぐさま、顔を真っ赤にしてしどろもどろになりながら彼女は答えてくれる。


「え? ごめんね! 困ったの? あれ? でも愛おしいって、わわわっ」


 つぐみは頬を両手でごしごしと擦るようにして、くるくると表情を変えていく。

 そんな小さな子供の様な姿を見てクラムは笑う。

 彼女も自分を見て笑ってくれる。

 そうしてクラムは思うのだ。


 ――自分は今日、この紡がれた時間を決して忘れないと。

 

 

◇◇◇◇◇



「汐田様。お約束の時間は、もう少し前のはずでしたが?」

「申し訳ありません。今後は気を付けます」


 棒読み、かつ敬語で答えたことで相手が怯んでいるのをクラムは感じる。

 その態度に少々腹が立ったが、遅れたのは事実。

 早めに仕事を済ませようと、クラムは相手に視線を送り続きをうながす。


「わ、分かって頂ければよろしいのですよ。それで今回のお話になりますが。この先にある指定場所で、三名の中級発動者の処分をお願いしたいのです」

「了解したよ。最近、多いね。この処分のお仕事」

「普段、担当していただける方が都合がつかなくなりましたので……」

「……あぁ、室さんかぁ。そういえば少し前に『対象者』になっていたっけね。物好きだねぇ、室さんも」


 自分ならば決して挑戦はしないだろう。

 一週間、一日三十分の休憩のみで命を狙われ続けるなど。

 

「で? 室さんて何日目で死んだの?」

「いえ、しっかりと『対象者』をやり遂げました」

「な! ……本当かよ」


 これにはクラムも驚かざるを得ない。

 あの仕事をやり遂げる人間がいるとは。

 仮眠すらままならないで、一週間を良く乗り切ったものだ。


「そういえば、なんだか変な噂も流れていましたねぇ。彼が待機していた場所には黒い幽霊がいて、そいつも一緒に襲って来るとかなんとか……」

「ばっかじゃないの。幽霊なんているわけないじゃん。どうせ襲撃した奴らが失敗したのが悔しくて変な噂を流したんだろうな」

「そうですよね、幽霊なんているわけないですし。……では汐田様、時間となります。予定としては?」


 クラムは資料に目を通していく。

 一人目、二人目、……三人目が少々、面倒臭そうだ。


「うん、四十分。いや。一応、保険で一時間後にお願い」

「承りました。では一時間後、こちらに迎えに参りますので」

「はいはーい。着替えもよろしくね」


 クラムは資料を返すと、目的地を眺める。

 思い浮かべるのは、先程までの満ち足りた時間。

 進めていくのは、先程までとは異質な狂った時間だ。


「さぁ。お仕事、開始だね。僕自身の生存を祈って」


 クラムは両手でほほを軽くたたき、全てを消し去る準備を整えていく。

 では、はじめるとしよう。

 思い浮かべたものを、ヒマワリの女の子も。

 頭の中からを全て消し去ると、クラムはゆっくりと歩き出した。

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