第158話 観測者は求める

「……そうですねぇ。胡蝶こちょうの夢ですか? すっごい気になりますね! あぁ、でもそれだと意識を支配される可能性もあるかぁ。残念だけど却下ですね。う~ん、だけど体験してみたいなぁ!」


 弾むような声が室の耳に届く。

 あの少女が居なくなってまもなく、話の最中でふと感じた異質な気配。

 やはりこいつだったのだと改めて室は確信する。


 とはいえ自分が観測者の『気配』として感じたのは、ほんのわずかなもの。

 ここまで気配を消すことにけている者は、そうそういるものではない。

 観測者に気づいていなかった沙十美が、どこからともなく聞こえる声にかなり動揺しているのがみてとれる。

 きょろきょろと見回しているが、おそらく観測者はこの周辺にはいないと室は考えていた。


「え? 声がするのに姿が見えないなんて、どういうことなのかしら」


 沙十美の戸惑いを含んだ声を聞き、説明をしようと室は口を開きかける。

 だが、それよりも先に観測者が嬉しそうに語りだした。


「やぁ、はじめまして。黒蝶のお嬢さん。室さんの言うとおり、私のことは観測者と呼んでくださればいいですよ」

「えぇと、だったら。……観測者、私と話がしたいらしいけど?」

「はい! 私、あなた方にすごく興味が湧いたので。だからお話したくなっちゃいました」


 どこを見て話せばいい分からないようで、視線をさまよわせながら沙十美は問いかけていく。


「な、なんだかずいぶん軽いのね? それで私は、何を話せばいいのかしら?」

「そうですね、あなたに起こった出来事や、その時のあなたの行動などが知りたいですね」

「私で答えられるならば話すけど。……つぐみが白日の人と一緒にいない所で話をしたいというのは、難しいのではないのかしら?」

「うーん、胡蝶の夢の力が使えないとなるとそうなりますよね。……あ! そうだ。千堂さん、やっぱり胡蝶の夢を使って下さい。私の意識を支配しない約束をしてくれるなら、代わりにこちらからある情報をお渡ししましょう。悪くはない条件だと思いますよ。それでどうですか?」


 観測者の言葉を受け、沙十美は小さく首を横に振った。


「条件も何も、私はあなたの意識を支配するつもりは無いわ。今でもこうして、私の存在を上に伝えずにいてくれているのでしょう?」

「まぁ、そうなんですけど。これは私の個人的な興味もあってですからねぇ。いつもの室さんからすれば『ふざけるな』と言われて、とっくに粛正されている事例ですよね。ふふ」

「……観測者、余計なことは言わなくていい」


 自分にとばっちりが来ているように感じ、思わず室は口を挟む。


「おい、千堂。こっちを見てにやにやするな」

「ぷぷっ、あのね。今ふと思ったんだけど……」


 自分を見つめながら、沙十美がにやにやとして話を続けていく。


「胡蝶の夢を使わなくてもつぐみを一人で来てもらうこと。……出来るかもしれない。私達は彼らに貸しがあるの。そのお返しでと言えば、その条件が通ると思う。あなたとしてもその方が心配が少ないでしょう? あ、でもそうするとこの状況をある程度は彼らに話してしまうかも。大丈夫かしら?」

「なるほど。確かに私としてもそちらの方がいいですね。室さんは気を遣って存在を知られたらと配慮してくれましたが、まぁ少々のことならお話しても大丈夫ですよ。とりあえずは白日の彼らに私の姿を見られなければ問題ないですかね」


 観測者の言葉に、沙十美が考え込む様子を見せる。


「姿を見られないように。つまりつぐみとあなたが話をするときも、こんな感じで話すと思えばいいのかしら?」

「はい、私はあくまであなた方とお話をしたい。それだけですから。なので当然ですがあなたにも彼女にも、危害を加えるつもりはありませんよ。……そちらから余計なことをしない限りは」


 観測者の言葉遣いは穏やかながら、後半の言葉からは声色が変わったことに室は気づき沙十美へと視線を向ける。

 彼女はびくりと肩を震わせ、おびえた表情を浮かべていた。


「おや、少し驚かせてしまいましたね。それにしても、なんだか私に好意的な条件ばかり出していただいていますね。千堂さんもなかなかのお人好しのようだ。冬野さんの影響ですか?」


 観測者の声が柔らかく戻ったことに安堵した沙十美が、自分へとちらりと視線を向けてからためらいがちに口を開く。


「うーん、どうなのかしら? でも確かにあの子みたいに自分に良くしてくれた人には返したい。そういう気持ちは普通に持ち合わせているわよ、私」

「ある意味、義に弱いというところですかね。そうそう! 室さんからあなたのことを上に知らせないで欲しいと頼まれた時には、本当に驚きましたよ。なにせ私、初めて彼から『お願い事』をされましたからね。……そう言った意味でも、お二人はとても似ていらっしゃるようで」


 観測者の言葉に沙十美が大きく目を見開き、改めて自分を見てくる。


「……千堂、こちらをいちいち見るな。あくまで俺は、お前と取引をしているからそれを履行りこうしているだけだ。観測者も観測者だ。余計なことは口に出さずともよいだろう」


 まず、このじゃじゃ馬と同等扱いは気に入らない。

 そう考えた室は思わず大きくため息をつき言葉をこぼす。


「一緒にされるのは心外だ」


 室の言葉に沙十美はムッとした表情を浮かべている。


「そうね、それについては私も同意するわ」

「……ふふ、やっぱり仲がいいですね。さて、その件について調整をお願いできますか?」

「わかったわ。あら、でもどうやってあなたとコンタクトを取ればいいの?」

「呼んで下さればいいですよ。なにせ私、観測者ですから」

「え、それって常に見張られているということ?」

「別に悪いことをしていなければ困る話でもないでしょう? ……それでは」


 突然に、観測者の気配が消えた。

 気配が消えたことに気付かず、まだ周りをきょろきょろと見渡している沙十美へ室は声をかける。


「もう、居ないぞ」

「え? そうなの。観測者の気配って全く分からないわ。来た時も去ったときも……」


 戸惑い気味に沙十美が室を見ている。


「あの人ってそんなに悪い人ではないの? 胡蝶の夢を使ってもいいとか、私が意識を支配しないってこちらの言葉を信じてくれていたりしていたけど」

「そんなわけないだろう。おそらく何かしらの保険をかけてから来るだろう。例えば数時間以内に自分の意志や自由が利かないとなった時点でこちらの、あるいはお前の大事な冬野つぐみに何かしら起こるように細工ぐらいは仕込んでくるだろうな」

「それはつまり、こちらが彼の条件を飲まざるを得ないということなのね」


 選択肢がないことを認識した沙十美が、小さくため息をつく。


「ああそうだ。白日とのことはお前が責任をもってやれよ」

「もちろんよ。でも、どちらにしてもあんたがそばに居ないと話にならないわ」

「俺は離れた場所で待機している。あとはお前が話を進めればいい」

「分かったわ、……えっと。……あのね、厄介やっかいごとに巻き込んでごめんね。あと、ありがと。……約束とか、まっ、守ってくれて」


 予想外の言葉に、室は思わず沙十美を見る。

 その彼女は、真っ赤な顔で自分を見つめていた。


「……」

「な、何よ! 私だってちゃんと感謝くらいするわよ。守ってくれていたことを、し、知っていたらもっと早くに……」

「結果的には俺自身を守ることだからしているだけだ。感謝される必要はない」


 室はソファに座り、目を閉じる。


「感謝しているなら、小さい方にもう少し静かにするように言っておけ。……少し休む」

「ん、分かった」


 返事とともに彼女は、自分の座っているソファの後ろ側へと回り込んでいく。

 背もたれに小さな振動が来る。

 最近はその場所が気に入っているのか、室がこの部屋に居る時は彼女はソファの背面にもたれかかり、じっとしていることが多い。

 そんなところに座りこんで何がいいのかは分からないが、必要以上に関わる事も無く、自分としても干渉する理由もない。

 それもあり彼女の好きなようにさせているのだが。


 そうしているうちに、後ろから規則的なすうすうという寝息が聞こえてくる。

 先程までのことなどなかったかのように、よく眠れるものだ。

 半ば呆れ、半ば感心しながら、室は隣室からブランケットを運び沙十美の体に掛ける。


 時計をちらりと見る。

 ――今日の『猶予時間』はあと十分程。

 室は再びソファに座り、傍らのテーブルに置いてある本を手に取り開く。

 ページを繰る指の感触と音が心地よい。

 それに合わさるように後ろから聞こえる穏やかな寝息。

 それを聞きながら、ただ静かに流れていく世界に室は没頭していくのだった。

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