第295話 番外編 彼女は水着に着替えるか【前編】

「えっと、プールの先行入場券ですか?」


 くつろいだ様子の惟之につぐみは麦茶を届けると、両手で盆を抱え彼に問いかける。


「あぁ、隣の野小納やこな市にもうすぐ出来るのは知っているよね? 白日うちもちょっとした関わりがあったからね」


 惟之は手に持っていた封筒を前に座っている品子へと渡すと、麦茶を一気に飲み干していく。

 いつも通りの木津家のリビング。

 最近は宿題を自室ではなく、リビングで済ませているヒイラギ達を眺めながら惟之は話を続けていく。


「プレオープンだから、そんなにたくさんの人がいるわけでもない。ゆっくり楽しめるのではないかな?」

「いいじゃん! さとみちゃんがすっごい喜びそうだな。惟之、たまにはお前もいい仕事するな!」

「……ありがとうよ。褒めて頂けて、俺も光栄だよ」


 満面の笑みの品子と苦笑いの惟之。

 いつも通りの二人を、つぐみは嬉しそうに眺める。


「うん、チケットはたくさんあるみたいだね。惟之、お前も一緒に連れていってもいいぞ。だから現地での費用はお前に支払わせてやろう! どうだ、嬉しいだろう?」


 とんでもない品子の言葉にも、惟之が動じる様子はない。


「予定が合えば参加させてもらおうかね。ついでに言わせてもらえば、お前との価値観は何があっても合わないということが理解出来た。そこだけは俺も嬉しいよ」


 長い付き合いを感じさせる会話のキャッチボール。

 つぐみがその雰囲気に羨ましさを感じていると、品子がヒイラギ達へと視線を向ける。


「ヒイラギもシヤも夏休みだし、別にいつでも大丈夫だろう?」


 品子からの質問に二人はうなずく。


「あ、でも私の水着が少しきつくなってきているのです。新しいスクール水着を買っておきたいですね」


 シヤの意見に品子の目がキラリと光る。


「ちっちっち〜! シヤ、無粋ぶすいなことを言うんじゃないよ。まぁ、ワンサイズ大きなスクール水着は買うとしてだね」


 ずいっと一歩、シヤの方へ近づくと品子は続ける。


「せっかくのレジャーのプールなのだよ。そうだっ! スクール水着ではないものを買って、それを当日は着ようじゃないか。大丈夫っ! 私がっ! 私が選んであげるからなっ!」

「気持ちは嬉しいですが、鼻息が荒いです。落ち着いてください」


 二人のあまりに違う温度差を眺めながら、つぐみはふと気づいたことを口にする。


「あ、そうなると。さとみちゃんの水着も必要ですね。ちょうどバイト代も頂きましたし、可愛いものを買ってあげたいなぁ」


 品子の秘書としてのアルバイト代を、つぐみは先日もらったばかりだ。


「さとみちゃんは今、お散歩中でしたね。私からプレゼントしたいなぁ。何色が好きなんだろう?」

「ふふっ、はり切ってるねぇ。じゃあ参考資料がいるね」


 品子は、自身のスマホを取り出し検索を始める。


「うわぁ、今の子供の水着も色々あるんだねぇ。ワンピース型もいいけどセパレートも可愛いなぁ!」


 品子はつぐみへとスマホの画面を見せる。

 そこには可愛らしくポーズを決め、水着を着た女の子たちが笑顔の花を咲かせていた。

 二人でへらりと笑っていると、ヒイラギの声が後ろから聞こえてくる。


「そうなると、キャップとゴーグルがいるな。物置から引っ張り出してくるとするか」

「あぁ、そうしてくれ。私も家に取りに行かなくちゃなぁ。皆、いつでも行けるように準備しておいてくれよ」


 楽しみで仕方がないのだろう。

 弾んだ声で品子が皆へと声をかけている。


「そうですね。私も前の部屋から水着を持ってこなくちゃ。去年、着たきりだから一度サイズ確認が必要ですねぇ」

「ほぅ、冬野君はどんなのを持っているのかなぁ。清楚せいそな君は白とかかなぁ?」


 にやりという言葉が似合いそうな表情で訊ねる品子につぐみは答える。


「もう先生ったら、そんなものは校則違反になりますよ。私は紺色の水着ですね」

「いやいや、スクール水着の話でないよ。君のレジャー用の水着の話さ」

「え? それは持っていないですね」

「「「「え?」」」」


 つぐみ以外の全員の声が重なった。



◇◇◇◇◇



「あの……。さとみちゃんの水着はともかく、私は別に今のものがありますので」

「だーめっ、せっかくのレジャーなんだから! ここは私に任せてくれたまえ!」


 どん! と音がしそうなほどに胸を叩いた品子に引きずられるようにしてつぐみが連れて来られた場所。

 それは野小納やこな市にある大型ショッピングモールだった。

 シヤとさとみは二人で子供向けの水着のコーナーへ。

 そしてつぐみと品子はレディースコーナーでそれぞれが水着を選んでいた。

 特にこだわりがない自分としては、新たに買う必要はない。

 つぐみはそう考えており、様々な商品を手にとるものの、「これだ!」という一着は見つからないままだ。


 そんなつぐみに今度は後ろからどん! と衝撃が来る。

 驚いて振り返れば、さとみがつぐみの腰に手を回し抱き着いているではないか。


『冬野、しなこ! このひらひらがいい! おねえちゃんといっしょの青のひらひらっ!』


 つぐみから一歩はなれてにんまりと笑い、片手で水着を高々と掲げてはしゃぐ姿。

 その可愛らしさに、つぐみはさとみの頭を撫でずにはいられない。

 さとみの後ろには、シヤが優しく目を細めながらつぐみ達の方へと歩いてくるのが見える。

 シヤの手にも同じ青色の水着が握られているのがつぐみの目に入った。

 お揃いのものを買ったのだろう。

 嬉しそうな二人を見て、つぐみと品子にも笑顔が広がっていく。


「さとみちゃん、どんな水着にしたの? 私にも見せておくれよ」


 品子の言葉に、さとみは両手で水着を掲げ披露ひろうを始めていく。

 鮮やかな青のワンピースの水着は、ふわりとしたスカートが可憐かれんなシルエットを作り出している。

 ウエストについたリボンがまるで蝶の様に彼女の動きに合わせて揺れていた。


「わぁ、可愛いのを選んだんだね! プールに行く日が楽しみだぁ」

 

 つぐみの言葉に、さとみはにっこりと笑顔でこたえる。


「さて。可愛い二人組はもう選んだことだし、大人組も早く決めなければな。シヤ、さとみちゃんと一緒にフードコートでアイスでも食べて待っていてくれるかい?」


 品子の提案にシヤはこくりとうなずき、さとみと手を繋ぎフードコートへと向かって行った。


「冬野君、好きなものを選んでと言っても決められないのは分かった。それならばさくっと私が候補を上げていこうではないか」

「う~ん。そうですね、……分かりました」


 それほどこだわりもなく、自分にはセンスがある訳ではない。

 ならばいっそ、選んでもらった方がいいのではないかとつぐみは考え始めていた。

 ふと選んでもらうという行為に、つぐみは気付いたことを口にする。


「私、『選んでもらった水着を着る』って今までに経験したことが無いので。……ちょっと嬉しいかもです」


 顔を赤らめて伝えた言葉に品子は大きく目を見開くと、ぐっとつぐみを抱きしめてから頬ずりを始めた。

 かなりの速さだ。

 このままだとシヤの速度と変わらなくなる日も近いだろうと、つぐみは痛みと共に覚悟をする。


「もうもう! 冬野君ってば可愛いことを言うのだね! 任せてくれたまえ。君に似合う水着を届けてみせようではないか」


 背中に羽根でも生えたかのように足取り軽く、品子は彩り鮮やかな水着達の間をあちらこちらと飛び回っている。

 そんな様子にくすりと笑いをこぼしながら、つぐみもぶらりと水着を眺め歩く。


 それほど太っているわけではないが、出来れば肌の露出は控えておきたいところだ。

 つぐみの性格を品子は知っているはずだ。

 大丈夫だとは思うが、もしビキニやホルターネックを持ってこられたら。

 

「……どんな手段を使っても絶対に断ろう」


 強い決意を抱き、つぐみは品子の姿を見つめるのだった。

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