第296話 彼女は水着に着替えるか 後編

「ふっ、ゆっ、のっきゅ~ん」


 一文字ずつ区切りながら、品子がつぐみの元へと近づいてくる。

 その両腕には二枚の水着が抱かれていた。


「君のことだから、大胆なものはダメって言いそうだからね。私なりに一生懸命、選ばせてもらったよ」


 水着を受け取ると、その場でつぐみは一枚ずつ眺めていく。


 一枚目は淡いグリーンをベースにオレンジのラインが入ったフィットネス用のセパレートタイプの水着だ。

 下はボタニカル柄のスカートになっており、ふわりと広がる裾が露出を控えめにしてくれるのがつぐみには好印象といえる。

 もう一方はブルーのタンキニ水着。

 ビキニということで抵抗はあるのだが、一緒に白いレースのトップスと黒のキュロットが付いている。

 これらを着てしまえば、肌の露出は抑えられるだろう。

 シヤ達の水着も青だったので、色をお揃いにするのもいいかもしれない。

 つぐみは品子を見上げ口を開く。


「さすがです、先生! 二つとも素敵なので迷ってしまいますね!」

「はっはっは! 君の為ならば数多あまたの水着の中から、ふさわしいものを見つけ出すことなどたやすいものさ。とりあえずは試着をしてごらんよ」

「ふふ、嬉しいです。先生が選んでくれたというだけでも楽しみです!」


 心と同様に軽い足取りで、つぐみは試着室へと向かう。

 まずは枚数の少ないグリーンの方を手に取り、着替え終わると前を向く。

 鏡の向こうの自分は、恥ずかしいながらも嬉しそうな表情を浮かべている。

 この空間は一人だけということもあり、ちょっとしたポーズを取ってみたり、後ろを振り返りどう見えているのかを確認していく。


「冬野くーん。着替え終わったかい?」


 試着室のカーテンの向こうから品子の声がする。


「一つ目のグリーンの方を今、着ています」

「どんな感じか見たいなぁ。カーテンを開けてもらってもいいかい?」


 人に見られるという緊張は少しあるが、やはり選んでくれた品子には最初に姿を見てもらいたい。

 

「もちろんですよ。では開けますね」


 落ち着かない心臓の鼓動を感じながら、ゆっくりとカーテンを開ける。

 そこには自分を見て穏やかな笑みを浮かべた品子が立っていた。

 スカートに触れながら「どうでしょうか?」と尋ねれば、つぐみよりも嬉しそうな表情が品子の顔に広がっていく。


「やっぱりかーわいい!」


 品子は抱きつきながら、わしゃわしゃとつぐみの頭を撫でる。


「そうなるとラッシュガードも欲しいね。ちょっと見てくるよ。好みの色やデザインはあるかい?」

「いえ、特にはないです。先生の選んでくれたものなら喜んで着ますよ!」

「ふふっ、嬉しいことを言ってくれる。わかったよ! 二枚目を試着しながら待ってて〜」


 つぐみの返事を待つことなく、品子は駆け出していった。

 慌ただしく去っていくのが、自分のためだということに。

 人に思われるという幸せをかみしめながら、二枚目のブルーの水着へと着替えていく。

 再び鏡に向かい合い眺める姿は、トップスとキュロットをまとえば、水着と分からない見ばえだ。

 くるりと回ればつぐみに合わせて、キュロットの裾がひらひらと踊る。

 その可愛らしさに見とれていると、再び品子の声が聞こえて来た。

 カーテンを開けば、品子が綺麗に畳まれた白いラッシュガードをそっと差し出してくる。


「冬野君、……選んでみたよ。気に入ってくれるといいなぁ」


 いつもの品子とは違う、戸惑いがちな声。

 気に入らなかったらと心配をしているのだろう。

 そんな必要などないというのに。

 元気づけようと、つぐみは受け取りながら弾んだ声で答える。


「先生の選んでくれたものですもの! 私、喜んで着させてもらいますよ」

「ほ、本当かい?」

「えぇ、もちろ……」

「冬野君、女に二言はないね? じゃ試着したらカーテン開けてね!」


 物凄い早口と共に、カーテンが品子の手によって勢いよく閉められる。

 ラッシュガードを抱えしばし呆然としてしまったが、せっかく選んでもらえたのだ。

 畳んであったラッシュガードを広げると、何かがひらりと落ちていく。


「ん? ひらり?」


 見下ろせば、そこにあるのは二枚の小さな布地。


「こ、ここっ、これはっ……!」


 目に映るのはビキニの水着。

 淡い水色と白のボーダー柄のこの水着は、誰がどう見ても明らかに。


「このビキニ、布地の面積が小さいっ……!」


 カーテンの向こう側からは、機嫌よさそうな誰かさんの歌声が聞こえてくる。


「ないねぇ~、ないよ~、二言はないさ~」


 自らの発言と、品子の歌声が見事に逃げ道をふさいでしまっている。


 ……仕方ない。

 これをさくっと着て、品子が満足したらすぐに脱ごう。

 そう考えたつぐみはビキニを手にする。


「し、試着だけ! 試着だけだもん! 買うわけではないから。……うぅん、胸がきついよぅ」


 呪文のように『試着だけ』と連呼しながら、せめてもの抵抗としてラッシュガードをはおる。

 大きく息を吐き、つぐみはゆっくりとカーテンを開く。


「き、着替え……、ました」


 最後の方は消え入りそうな声で、前にいる品子に報告をすれば。

 にんまりと。

 実に邪な笑みを浮かべた品子と目が合ったと思った瞬間。

 ぐいっと手を引っ張られ、つぐみは試着室から外へと出てしまう。


「せっ、先生ぇぇぇ!!!」


 自分でも驚くほどの大声を出し、つぐみはその場にぺたりとしゃがみ込んでしまうのだった。



◇◇◇◇◇



 そんなつぐみが大騒ぎをするほんの少し前。


 汐田クラムは、大きく感情を揺らしていた。

 自分にとって強い存在感を持つ女性である冬野つぐみ。

 クラム自らが『いん』という契約を施した、その彼女に何かが起こっているのを感じたからだ。

 この印は契約対象者が激しく動揺した際や、強い衝撃を受けた際にクラムが把握できる力を持っている。


 彼はその日、野小納やこな市のとある店で買い物をしていた。

 そんな中、契約者であるつぐみの異常に気付く。

 彼女の急激な心拍の上昇。

 探知をしてみれば、どうやら近くのショッピングモールからのようだ。

 ただの買い物だろうとは思うのだが、どうも気になってしまう。

 気のゆるみを招きかねない、彼女との接触は避けようと考えてはいた。

 だが万が一、つぐみに何かあるなど許されないこと。


 様子を見るだけ。

 無事を確認したら帰ろう。


 クラムはそう考え、発動による風の力を使い、一気に彼女のいるモールへと移動する。

 気配を追い、たどり着いた場所は水着売り場。

 どうやら水着を買いに来ているようだ。

 だが、つぐみに自分の姿を見せるわけにはいかない。

 おりしも彼女は試着室に入っている。

 少し離れた場所で再び発動を行うと、聴力を強化し彼女とその連れの会話を聞き取ることにした。

 

 先程から先生と呼ばれている女性が、かいがいしく彼女へ水着やラッシュガードを届けている。

 どうやら着慣れない水着に緊張していただけのようだ。

 いつもと違う彼女を見てみたい気持ちもあるが、気づかれては元も子もない。

 何もないことを確認し、その場を去ろうとしたその時、クラムの鼓膜につぐみの声が響く。


「このビキニ、布地の面積が小さいっ…!」


 その言葉にクラムは振り返ると同時に叫んでしまう。


「なんだと! 僕のつぐみちゃんが、ビキニを着るなどあっていいのか?」


 そもそもそんな種類を、彼女が好んで着るなんてありえない話だ。

 自分でも信じられない速さで巡る思考をクラムは落ち着かせていく。


 前後の会話から例の先生とやらが企んだものであろう。

 試着室の前でのんきに鼻歌を歌っているあの女。

 つぐみを困らせるのならば排除してしまおうか。

 そんなことを考えているクラムに、更につぐみの声が届く。


「うぅん、胸がきついよぅ」

「……その言葉は僕の理性にもきついな、つぐみちゃん」


 思わずつぶやいてしまった言葉に慌てて周りを見渡す。

 自分のそばに誰もいないのを確認しほっと息をつく。


 直後に聞こえたカーテンが開く音に、クラムは思わず視線を向けてしまう。

 彼が立っているのは、試着室から見て横からの位置になる。

 そもそも彼女が試着室にいる以上、正面にでも立たない限り自分はその姿を見ることは出来ないのだ。

 それなのに思わず起こしてしまった行動に、自嘲じちょうの笑みを浮かべたその時。

 先生と呼ばれた女性が、試着室の中へと手を伸ばすと彼女を引っ張り出すではないか。


 白のラッシュガードを身に着け、バランスを崩しながら出てきた彼女。

 悲鳴を上げ、ぺたりと座り込んだその姿に。

 クラムはもう目を離すことができない。

 白くてきれいな肌。

 ラッシュガードから垣間見える、すらりと伸びた手足。

 立ち上がると先生に背を向け、今の動きでトップスがずれていないかを確認するために、彼女がこちら側を向きラッシュガードをはおり直す。


 少し離れていること。

 さらには彼女が自身の胸元にばかり意識を集中させていることもあり、クラムの存在には全く気付いていない。

 青と白のボーダー柄の水着は、彼女の初々しさを引き立て、普段は服で隠されていた肌を惜しみなく自分へと見せつけてくる。


 驚きと怒りの表情をたたえ、再びつぐみは先生へと向き直ると両手をぶんぶんと上下にさせ怒りはじめた。

 本人には申し訳ないが、なんと可愛らしいことか。

 そう考えながらも、彼女の周囲に男性がいないかをクラムは探る。

 幸いにして辺りにいたのは数人の女性のみ。

 どうやら無駄な暴力は振るわなくて済みそうだ。

 会話が終わったようで、くるりと向きを変えつぐみは再び試着室へと飛び込むように戻って行く。

 それを見届けたクラムは、ショッピングモールの出口へ向かう。

 思うのは先生と呼ばれていた女のこと。


 つぐみを困らせる存在を排除するつもりだった。

 だが今日は見逃してやろうと寛大な心でクラムは思う。


「うん、あれはむしろグッジョブというべ……」


 言い掛けた言葉を飲み込み、クラムはふとある懸念けねんを抱く。


「まさか、……お前、いないよな? 観測者」


 呟いた言葉は夏の空に溶け込んでいく。


「……ふん、いくらなんでも考えすぎか」


 両手でばちんと両頬を挟み込むように叩くと、クラムは駅への道を歩み始めるのだった。



◇◇◇◇◇



「ふふふ。皆さん初々しいですねぇ。……さっきの汐田さんの問いかけ。『はい、いますよ』って答えていたらもっと面白かったかなぁ」

 

 誰も知らないその場所で。

 一連の出来事をみていた観測者は、目を閉じるとゆっくりとそれらを振り返る。


「やっぱり冬野さんの周りは面白い人達が集まるなぁ。さて、あまり時間がないみたいだけれど。……いや違うな」


 口の端が上がっていくのを、観測者は止められない。


「むしろ彼女の行動でだけれど。あの子は僕の助言をどう活かしていってくれるのかな?」


 響くのは、くすくすという笑い。

 

「そろそろ大きな動きもありそうだ。白日も落月も、次は私にどんな素敵な出来事を見せてくれるのだろう。皆さん、……楽しみにしていますからね」


――――――――――――――――――――

お読みいただきありがとうございます。

引き続いても番外編となります。

次話タイトルは、「或る男の昔話」です。

ちょっぴり予想外の人物の過去編となります。

そして番外編なのにシリアスです。

楽しんでいただけますように!

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