第210話 靭惟之は思い返す

「関係者が全員いなくなった、ですか? えっと、それってつまり……」


 明日人からの問いかけに、惟之は答えていく。


「その事件が起きた数日後。品子以外の事件関係者は全員、行方不明になったんだよ。あぁ、ちなみにだが。品子はその間はずっと自宅にいた。当時の品子は、精神的にとても不安定な状態だったんだ。常に誰かしらが傍についていないといけない位に」

「それはつまり品子さんが、関係者達に何かしたわけではないということですよね?」


 不安げな明日人の視線を惟之は受け止める。


「少なくとも本人が直接に、という点においてはだけどな。あいつがそれこそ妖艶を使い誰かを操る。そうして関係者に危害を加えることも可能なわけだからな」

 

 自分は正しく明日人に伝えられるだろうかという不安を惟之は覚える。

 今から語るのはもう十年も前になる話。

 マキエの事件から一年経ち、ヒイラギ達が自分をまた名前で呼び始めてくれた頃の、……随分と前の話だ。

  


◇◇◇◇◇



 当時、惟之は二十歳になったばかりだった。

 同僚達から成人祝いという名の飲み会に連れまわされる日々が続き、気持ちは嬉しいが、胃も財布も疲れつつあったある日のことだ。

 その日も誘いがあったものの、溜まった事務処理もあり二条の自室で報告書と戦うこと数時間。

 ようやく片付いた書類を手に二条内の事務所に向かえば、何やら騒がしい様子ではないか。

 時計を見れば夜中とまではいかないが、かなり遅い時間だ。

 その場にいた男性にどうしたのかと尋ねれば、とある任務中に品子が問題を起こしたと報告が入ったのだという。

 

 いわく、任務中に全く兆候の無かった品子の新たな発動が、突然に開眼かいげんしてしまった。

 その混乱の為、任務に失敗してしまったというものだった。

 事件当日は惟之はそれだけしか聞いておらず、品子が依頼に失敗するなど珍しいこともあるものだ。

 しかし新たな能力が発現したというのならば、悪い事ばかりではないなという程度にしか思っていなかった。


 その後のあらましを聞いたのは、それから二日後。

 二条に井藤いとうが惟之を訪問し、事件の内容と清乃きよのからの伝言を届けに来たのだ。

 伝言は、一言。


「見舞いに来てくれ」


 たったそれだけ。

 普段なら決して、惟之になど頼み事などをしない人物からの言葉。

 戸惑いながらも、惟之は取り急ぎそのまま人出家を訪れた。


 品子は今は自室には滞在せず、応接室で三条の女性に交代で付き添われているという。

 勝手知ったる他人の家ということもあり、玄関で品子の状況をしてくれた三条の職員の案内を断り、惟之はそのまま応接室へと一人で向かう。

 目的の場所に近づくにつれ、自分が妙な緊張を抱いているのに惟之は気付く。

 部屋の前までたどり着き、何とかこの緊張を落ち着かせようと目を閉じて何度か深呼吸を繰り返す。

 その間にも部屋の中からは聞き覚えのある、穏やかな三人の女性達の声が聞こえてくる。


 入室の許可を得ようと、惟之は扉をノックする。

 自分のノックで静かになった部屋から、「……どうぞ」と品子から声がかかった。

 惟之は扉をゆっくりと開き、部屋を見渡す。

 部屋の中から、まっすぐに自分を見ている清乃と目が合う。

 部屋に足を踏み入れ、会釈をして口を開こうとしたその時、清乃が席を立つと惟之へと告げる。


「少し話し相手になってやってくれ。私は何か新しい飲み物を持ってくるよ」


 清乃は、サイドテーブルにあった小さな盆を手に取る。

 そうして自分達が使っていた、全てのコップを片付けていく。

 ことんという盆にガラスが当たる音を二つ響かせた後、清乃は部屋を出ていった。

 しんとした部屋の中、窓際に移動して空をぼんやりと見ている品子へと惟之は目を向ける。

 いつも通り、髪を結い立っている姿。

 涼し気な紺と白のチェックでVネック半袖のパジャマをゆったりと着こなし、窓からの光をその全身で受けている。

 その立ち姿はいつも通り。

 いつもと違うのは手足や顔に、多くの擦り傷やあざが残されていること。


「先輩。私のお見舞いに、来てくれたのですか?」


 そう言って品子は振り返り、惟之へと微笑んでくる。


「あぁ、そうだよ。ただ、土産を忘れちまってなぁ。次に来るときには今回の分と合わせて、二つ持ってくることにするよ」

「そうですか。……もぅ、きちんと素敵なものお願いしますよ。変なもの持ってきたら私、怒りますから」

「大体、お前にはチョコレートを持ってこればいいんだろ? 次までに、喜びそうなものを探しておくさ」


 惟之の言葉を聞き、口元に手を当ててくすくすと品子は笑う。

 その姿は、いつもの品子だ。

 だが惟之は気付いている。

 彼女は、いつもの人出品子を『作っている』のだと。

 そしてそれを分かっていて、惟之はその作られた品子と話を続けていく。


 その後も、二人のとりとめのない会話が続く。

 その話に時に品子は笑い、惟之は笑うでなく淡々と返事をして時間を過ごしていく。


 十分ほど経ち、扉をノックする音の後、静かに扉が開く。

 中に入って来た人物と、その人が手にしている盆の上に綺麗に並べられたチョコレートをみて、品子が口元に笑みを浮かべるのを惟之は目にする。


「お母さん、先輩ってばね。手土産もなく、お見舞いとか言っているのよ。もう、信じられない!」


 清乃によって片付けられ、何も無かったテーブルに柔らかな香りの紅茶と鮮やかな包装紙に包まれたチョコレートが並べられていく。

 三つのティーカップを届け終え、品子の隣へと座った彼女の母親からは愉快そうな笑い声が零れていく。


「ふふふ、品子ちゃん。大丈夫よ。こーちゃんの事だもの。次に来るときに、二倍のお土産を持って来てくれるわよ。……そうよねぇ?」

 

 その言葉を合図に、二人して惟之を見つめてくる。


『次に来るときに、何も無かったら許さないぞ』


 そう言わんばかりにこちらに圧をかけてくる、四つの瞳に思わず惟之は苦笑する。

 結局、必ず次は何かいいものを持ってくると、二人に半ば無理やりに惟之は約束させられてしまった。


 その後、五分程だが三人で話をして品子が疲れたと言ったのを機に、惟之はいとまを告げて人出家を後にした。


 再び本部へ戻る道中、惟之は先程までの出来事を反芻はんすうする。

 テーブルの上の、並んだチョコレート。

 誰も手を付けることなく、それらは綺麗に整列したままだった。


 自分が大好きだと。

 毎日ひとつは食べないと死んでしまう、とまで彼女が言っていたもの。

 普段あれだけ大好きだと公言してはばからないチョコレートですらも、今の品子には受け入れられないのだ。


 そして何よりも、彼女の瞳だ。

 笑いながら時折、冗談を飛ばしながらも惟之を見ていたその瞳。

 それは惟之にはとても見覚えがあるもの。

 ……そう、それは自分がよく知っているものだ。

 目の前のものは捉えている、認識している。

 だが、実際には何も見えていない、見ていない。

 

 自分はあの瞳を、ずっと見てきた。

 一年前に、毎日、毎日、毎日だ。 

 鏡を見る度にその向こう側から、こちらを見返してくる瞳。

 一年前にさんざんみた自分の瞳と、今の彼女の瞳は全く一緒だ。

 人を拒み、さりとて何をしたらいいのかもわからず、ただただ時が過ぎていくのを待つだけ。


 だが品子は、当時の惟之とは違う。

 人も何もかも全てを拒み続けた自分とは違い、品子はそれを他人に見せずに表面では普通を装っている。

 心配をかけまいと、今までの品子を『作っている』のだ。

 そして周りも、その品子の気持ちに気づいている。

 だから皆でそれを作り続けているのだ。


「……でもそれでは、だめなんだ」


 ぽつりと、惟之の口から思いが零れだしていく。


「それではいつまで経っても先に進めない。俺はそれを知っている。……ならばどうすればいい? どうしてほしかった? どうすれば、進めるんだ?」


 惟之は考える。

 答え方を、認め方を、……進み方を。


 辿り着いたのは一つの結論。

 正しいかどうかは、分からない。

 だが立ち止まるよりはましだということだけは分かる。

 答えを確認すべく、惟之は自らの決意を口に出す。

 

「引っ張り出してやる。あいつが作った偽物なんざ、俺が全部ぶっ壊してやるさ」

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