第290話 松永京は意見を述べる

「ところで里希様。これなんですけれども」


 その声に里希は松永に視線を向ける。

 彼はくいくいと自らのスーツを指差すと再びにこりと笑う。

 凛々しい眉にすっきりとした切れ長の目元。

 ヒゲを生やし、長めの前髪を無造作にかきあげるその姿。

 スーツを着ているとはいえ、野性的な印象を皆が抱くことだろう。

 子供の様な笑みをうかべ、松永は胸ポケットからひびの入ったメガネを取り出した。


「あの時に発動を少し食らったのでジャケットが破れちゃいました。あと浜尾さんと遊んでいる時に、メガネも割れちゃいましてね。これでは俺、外を歩くのが恥ずかしいです。新しいものを調達したいのですが、もちろん経費で……」

「何を言っているの? あの程度のものすら避けられないなんてだめでしょ。自分の不手際ふてぎわを僕に押し付けないでくれる?」


 里希の言葉に松永は、きょとんとした表情を浮かべる。


「え? でも発動を持っていない一般人の俺がここまで頑張っているのってすごくな……」

「別に無給で働いているのではないでしょ? 買い替え時だったんだよ、きっと」


 里希の言葉に「そんなぁ」と呟き、松永はがっくりとうなだれている。


「今回はこの子の試験と、あなた達の人事考課も兼ねているって言ったよね。浜尾さん、あなたが手配した彼女への服装。そして松永さん、戦闘時における銃の使用により彼女にこれが芝居だと悟られていたよ。次回からの反省点としておいて」


 里希は本部に戻る道へと向かいながら、そう二人に声を掛ける。


「やるべきことは終えた。僕は帰らせてもらうよ」

「あ、結果は出たんですね。浜尾さん、彼女は合格したの?」

「それは……」


 言いよどむ浜尾に代わり、里希は振り返り答える。


「松永さん、彼女は不合格だ。この子は一条にふさわしくない」

「あら~、そうなんですか。せっかくかわいい子が一条に来ると思っていたのに。ちぇ~」


 浜尾によって抱きかかえられたつぐみと里希を交互に見つめ、松永が口を開く。


「この子は里希様を守るために自分の危険をかえりみず、俺と共に崖から飛び降りようとしていました。こんな決意を持てる子なんて、そうそういないでしょうに。いいんですか? 彼女を白日うちに入れてあげなくて」

「……何? 松永さんまで。あなたまで浜尾さんみたいに三条さんじょう四条しじょうに入れてあげてなんて言うつもりなの?」


 里希の言葉を受けて松永は「うーん」と呟く。


「浜尾さんはそう思ったのかぁ。まぁ確かに、一条に入れるのは俺はちょっと怖いから反対ですけど。三条や四条ならいいのではないですか?」


 松永までもが予想外の発言をしたことに、里希は思わず相手の顔を見上げる。

 だが彼は浜尾とは違う理由のようだ。


「怖い? それって一体どういうこと?」


 松永はつぐみをしばし見つめた後、里希へと向き直る。


「この子ね。俺ごと崖へ飛び込もうとした時に笑っていたんです。やけっぱちになっていたからなのか、あるいは動揺を狙ったのか。まぁその通りに俺、びっくりしちゃって初動が遅れたんですけどね」

「……確かにあれは、想定外の行動だったね」


 倒れるふりをした里希を、一度も振り返ることなくつぐみは駆け出した。

 松永の表情でようやく彼女の意図を察した里希は、手のひらをかざし『眠れ』と叫んでいた。

 あそこまで加減も考えず発動したことなど、ここ数年では無かったこと。

 その行動の未熟さをかき消さんと、里希は普段よりも冷たい声を松永へとぶつける。


「そうだね、次からはもっとしっかりしてね。僕が彼女に発動を施して、松永さんにぶつかる寸前で意識を失わせたからよかったけれど。あのままの勢いだったら、二人そろって落ちていたんじゃないの?」

「正直、不意をつかれましたからね。そこは否定できないです」


 乱れた髪をかき上げながら、彼は言葉を続ける。


「でもその後の里希様ってばひどいですよねぇ。せっかく飛び込んできた彼女を俺が怪我しないようにと抱きとめたのに。つじつまを合わせるためにとか言って、そのまま引き倒してあの子の頭にコブまで作っちゃうんだもん」


 その時のことを思い返しているのだろう。

 自身がされたわけでもないのに、彼は自分の後頭部をなでている。 


「他に方法が無かったのだから仕方がない。むしろ落ちなかっただけでもありがたいと思ってほしい位だね。それで、理由はそれだけ?」

「あぁ、あと怖い理由はもう一つありますよ」


 人差し指をゆらゆらと左右に動かしながら、松永は言葉を続ける。


「彼女は素直で本当に純粋な子です。こんな子が近くにいて仕事をしているとね。心が引っ張られるかもしれないなって思いました。仕事にためらいが生じたり、この子と親しくなることによって、そばで生きていたいなんて感情が芽生えてしまいそうでねぇ」


 彼が動かした視線の先。

 それは果たして冬野つぐみか、それとも彼女を抱きかかえた浜尾へのものなのか。


「あの子は危険です。命に執着を持たせる存在です。……それゆえには、彼女の一条所属の不合格については同意いたします」

 

 いつもの口調とはうってかわり、強い意志を感じさせる言葉。

 里希へと向けられる松永の眼差しは、貫かんばかりに鋭い。

 だがそれもほんの少しの間だけ。

 へらりといつも通りの笑い顔を浮かべると、松永は再び話し始める。


「ですが彼女が高い能力を持ち、評価を得ているのも事実。なので、俺も一条以外だったらいいのではないかと思いますよ。俺の意見は以上ですね」

「ありがと。僕はもう彼女に用はない。浜尾さん、冬野つぐみを引き渡しておいて」

「……! 里希様、どうかお考えを改め……」

「僕は先に帰る。高辺さんがいろいろとする前にその子をさっさと惟之さんに渡しておいて」

 

 里希は浜尾の返事を聞くことなく帰路へとつく。

 後ろで里希の意図を察した松永が、浜尾に何だか嬉しそうに説明しているのが耳に入る。

 その声が弾んでいるのが、里希としては少々気に入らない。


「品子先輩、今回は貸しを一つ作ってあげます。……感謝して下さいよ」


 これからする自身の行動に、言い訳をするかのように里希は呟く。


「……さて、面倒だが行動開始といこう」


 この先で待っているであろう相手は、今の話をどこまで聞いていただろう。

 ――どこまで察していることだろう。


 三条管理室での会話で里希は気づいたことがある。

 どうやらながらくの間、自分はある人の手のひらで踊らされていたようだ。

 だがまだ、確証はない。

 だから今は、大人しくしているつもりではある。


「でもさ。ちょっとくらい僕だって、その手のひらを踏んでみたっていいんじゃない?」


 そう呟きながら本部の建物へと向かう里希の前に一人の人物が現れる。

 外にいるにもかかわらず、暑さなど全く感じていないような顔をして、里希を待っているその人。


「お疲れ様でした里希様。結果をお伺いしても?」


 艶やかな笑顔をたたえ、彼女はこちらへと近づいてくる。

 

 では、始めよう。

 ささやかな僕の意趣返しを。

 もちろんあなたは受け取ってくれるよね、……高辺さん。

 里希はそう考えながら彼女へと言葉を返していく。


「冬野つぐみは不合格だ」


 そう言って里希は彼女に笑んでみせた。

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