第6話 くらいへやで2(カテノナ:A)★

「おや。お話をするのに、飽きてしまいましたか?」


 外からの光が全く届かない、暗い部屋に男の声が響く。

 光といえば、部屋の隅に置いてある一つのランプのみ。

 その光も十畳程の大きさのこの部屋では、頼りなく周りを浮かび上がらせるものでしかない。


 部屋の中央には、ぽつりと置かれた椅子。

 そこには二十半ばの年頃の女の姿があった。

 その顔には彼女の腰まである長く真っ直ぐな髪と共に、疲労と絶望が交ざり合った表情がこびりついている。


 女の足下には、椅子を囲うかのように一回りほど大きな水槽が置かれていた。

 高さ四十センチ程のその水槽の中で揺らめく水を、女の傍らで男は眺める。

 男は女に声を掛けるが反応がないため、彼女の両頬に手を添え、顔をそっと引き上げていく。

 柔らかな笑みを浮かべ男が女に目を合わせてみれば、「ひっ」と小さく声を漏らし、女は顔をこわばらせた。

 そんな彼女の反応を見て男は呟く。


「そんなに驚かなくてもいいのに。だってもう今まで、十分に驚いてきたでしょう? 普通に生きていたら経験できないことをあなたは今、ここで味わえていますからね」


 男の声が静かな部屋に響く。


「ねぇ、それってとても素敵でしょう? あなただから選ばれて。特別なあなただからここでゆっくりと。私達の為にあなたの全て、捧げてくれますよね?」


 男の言葉に女は怯え、体を震わせている。


「何だ、起きているではないですか。私の話が退屈で眠ったのかと思いましたよ」


 男は微笑みながら、まっすぐに女を見つめる。

 同じように見つめ返してくる、その青白い顔に浮かぶのは恐怖だと男は十分理解している。

 ――そして楽しんでいる。


「おや、随分と体調が悪そうですね。手当しないと。……あぁ、そういえば知ってますか?」

 

 男はそう言ってくすくすと笑い、女にどう話そうか考える。

 

 知らないなら、教えてあげるべきなのだから。

 知った時、彼女の顔に浮かぶのは恐怖? 絶望? それとも、……諦め?

 どの感情が、まず出てくるだろう。

 これから見られる相手の反応を思いながら、男は言葉を続ける。


「ほら、『手当』って言葉って、患部に手を当てて治療したのが由来らしいですよ。だからもうね、あなたは手当てができないんです。だってこうやって、私のように添える『手』が。今のあなたには、もうないのですから」


 男の言葉に女は目を見開き、おぞましいと言っても差し支えのない声を上げる。

 自分の耳に届く声を聞きながら、男は呟く。


「あぁ、醜い声だなぁ。ふふっ、でもとても心地いい」


 そっと女の頭に手を伸ばしていく。 


「だからね。もっと、もっと私に聞かせてくれませんか? 大丈夫ですよ、まだまだ時間はありますからね」


 慈しむように女の髪を撫でながら、その体に触れようと伸ばしかけた手が止まる。


「おや、もう下半身は無くなっていましたね」


 彼女が座っている椅子の下で、揺らめいている水を眺めた後に男は再び口を開く。


「私達の為にありがとうございます。どうかこのままゆっくりと過ごして下さいね」

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