第5話 そこは小さな雑貨店

「私っ……、彼女を悲しませるつもりは無かったのに」


 沙十美はそう呟き、いつもより早めに足を進めていく。

 喧嘩別れをした親友の泣きそうな顔が頭から離れてくれない。


 つぐみから誘われたとき沙十美は純粋に嬉しかった。

 彼女から誘われるのは、本当に久しぶりのことであったのだから。

 時間の無さもあり断ろうとしたが、珍しく店の席が開いているという。

 それを伝えてきたつぐみの笑顔が変わっていないことに嬉しくなり、気が付けば行くと答えてしまっていた。


 ……少しくらいなら大丈夫なはず。

 そう考え、沙十美は構内の坂を下りていく。

 心の焦りがあるためか自分の足が自然と速くなり、それを見たつぐみが慌てて後ろからついてくる。


 つぐみとの会話は相変わらず楽しかった。

 自分を見つめる彼女の瞳には、以前には無かった寂しさが垣間見える。

 だが沙十美は、それに気づかない振りをするのだ。


 正直なことを言えば、自分もつぐみと過ごす時間を増やしたい。

 けれども今は、それ以上にしなければならないことが出来てしまっている。

 だから今はその気持ちを押し殺す。

 そして一方でつぐみを見て沙十美は思うのだ。


 彼女は本当に変わらない。

 自分と違って、とても素直でまっすぐだ。

 子供のように怖がりのくせに、必死になって否定するところ。

 そんな彼女に愛おしさすら感じるのだから。


 だからこそ、つぐみといるのが辛い。

 そんな矛盾した思いを自分は抱えることになるのだ。


 自分が失くしてしまった純粋さ。

 人を思いやる気持ちを持ち続けているつぐみを見るのが辛いのだ。

 いや、失くしたのではない。

『捨てた』のだ

 自分でそれを選んだのだから。

 もちろん沙十美にもその自覚はある。


 だからこそ笑って彼女と歩みながらも、この時間を楽しめずにいるもう一人の自分沙十美が嘲笑うのだ。

 そうしてそいつは、――もう一人の自分は言ってくるのだ。


『この時間、この瞬間にどんどん悪い方に変わっていくよ。こんな事してていいのぉ?』


(……うるさい、うるさいうるさい! 私だって頑張ってるじゃない! 現に周りの環境、私を見る人たちの目は確実に変わっているじゃない!)


『もっと変わらなきゃ、もっと、もっとさぁ』


(わかってるよ。だからお願いだから、少し黙ってて)


 焦り、もどかしさ、不安。

 沙十美の中で負の感情が、抑えられないほどに膨れ上がっていく。

 そして抑えられずにどろりと溢れ出して来たその感情を。

 自分はあろうことかつぐみにぶつけてしまった。


 ただ二人の時間を楽しみたいと思っていただけのつぐみに。

 何も悪くない彼女にだ。

 そして沙十美は、今にも泣いてしまいそうな彼女から逃げ出した。

 

 うつむき歩きながら、沙十美は思い知る。

 きっと彼女は自分を責めてくることはない。

 あの子は優しい子だ。

 むしろこの状況を招いたのはつぐみ自身だったと結論付けるだろう。

 本当は違う、責められるべきは沙十美だというのに。

 つぐみに謝りたい。

 明日会ったらきちんと謝ろう。

 そのためには自分はどうするのか。


 答えはわかっている。

 いつものようにいつもの場所に行くだけだ。



◇◇◇◇◇



 多木ノ町にある小さな雑貨店。

 沙十美はその前に立つと小さくため息を漏らす。

 店にかかっている「OPEN」の小さな看板を「CLOSE」へ変えて店へと入っていく。


 入り口の扉を開きながら、店長に言われたルールを頭の中で反芻する。

 彼は一人の客としか対応しない。

 だから他の人が入って来ないように、看板を客自身が変えて入店をすることになっている。


 沙十美は当初、随分変わったシステムだと思っていた。

 だがじっくりと品を選び、いろいろな話を聞いてもらうために確かにこれは都合がいい。

 しかしながらこんなやり方でお店の経営は大丈夫なのだろうか。

 ふと気になり、尋ねてみたことがあった。


「ほとんど道楽なので採算は気にしていません。それよりも私はお客様の人と生き方を知りたいし、良くなってほしい。幸いにして別のことで生活はできる程度に稼いでいますので。それに私、人の話を聞くのが大好きなのですよ」


 黒縁の眼鏡をかけた端正な顔立ちの男性は、そういって優しく微笑む。

 店長の奥戸透おくととおるは慣れた手つきで話をしながらも沙十美の前に次々と商品を並べていく。


 ふわりとした髪をセンターで分けた大人の雰囲気をまとう姿。

 男性のものとは思えない、白く細長い指。

 きらきらと輝かんばかりのこのお店のアクセサリーにも負けていない、しなやかな指の美しさに沙十美は思わず見とれてしまうことが何度もあった。


 来店を重ねるにつれ、当然ながら奥戸のことも知りたいと沙十美は感じていく。

 当初は何度か尋ねたこともあったが、「私のことは恥ずかしいので聞かないでください」と困った様子で言われて以来、その話には触れていない。


 話を聞くのが好きというだけあって、奥戸はとても聞き上手だった。

 沙十美は学校のこと、好きな人がいるということ、その人に相応しい人間になりたいということ。

 さらには親友のつぐみのことなどを話してきた。

 そしてそれらについて、とても有用なアドバイスを今まで貰ってきたのだ。

 だから今日も、特に今日はいつも以上に勇気をくれるようにお願いしよう。

 そう願い、いつもより強めに扉を開き店へと入っていく。

 きっと奥戸ならば、素敵なアドバイスをくれるはずと信じて。


「あぁ、いらっしゃい。……ってどうかされましたか? ずいぶん顔に元気がないようですが」


 店の奥から現れた奥戸は、驚いた顔で沙十美を迎える。

 そして、近くにあった椅子に掛けるように促してきた。


「そんなにひどい顔していますか?」

「えぇ。この世の終わりの少し前みたいな顔していましたよ。これで何もないと言われても誰も信じませんよ」


 いつものように柔らかく微笑み、彼自身も椅子を用意して沙十美のそばに座る。

「さて」と小さく呟くと、奥戸はおもむろにぱんと手を打った。

 その音に驚いた沙十美の顔を見つめ、にっこりと笑いかけてくる。


「よし、これで世界の終わりの一日前くらいの顔になりましたね。どうしたんですか?」

「……ありがとうございます。少しだけ元気が出てきました」

「いえいえ。ここ最近はお話を聞く限り問題なく、というかとても順調だという感じでしたが?」


 穏やかに促してくる奥戸の声にすがるように、沙十美は言葉を続けていく。


「友達と喧嘩をして、謝りもせず逃げてしまいました。もちろん明日謝るつもりなのです。でも勇気が出なくて、また逃げ出してしまいそうで」

「なるほど、そうですか。喧嘩はもちろんよくないことですが」


 すっと目を閉じ、奥戸は言葉を続けていく。


「では話の角度を変えて考えてみましょう。なぜ、彼女と喧嘩をしたのですか?」

「それは。……多分、羨ましかったのだと思います。確かに私は以前に比べてずいぶん変わりました。でもその一方で変わらない彼女を見ていると、よく解らない悔しさを感じてしまうのです」


 ぽつりぽつりとしか話せない自分の話を、奥戸は静かに聞いている。


「自分が失くしたものをずっと持ち続けている彼女が、羨ましいという感情も湧き出て来るのです。自分がとても醜い心を持っているような気がして。……少し苦しいのです」

「なるほど、分かりました。言い出しにくい感情を頑張って、私に話してくれましたね」


 いつにも増して優しい笑顔が、沙十美へと向けられる。

 それだけで、沙十美の胸の中にあった嫌な感情が少しずつ消えていく。


「そうですね、やっぱり奥戸さんは聞き上手ですよね。いつもならこんな風に言葉にすら出来ずにいたままだったと思います。ずっと心の奥でグズグズとした重い感情をどうしたらいいか判らずに、もがいているだけだったでしょう。言葉にして出すって大切な事なのですね」

「そうですよ、言葉はとても大事なものです。言わなくても伝わるなんてよく聞きますけど」


 眼鏡越しに、いたずらそうな目をして奥戸がにやりと笑う。


「それこそ喧嘩なんて起こらないのではないんですかねぇ。あ、そうだ!」


 彼は、ぽんと手を叩く。


「まだ勇気が足りないって思っていますか? ならばこういう切っ掛けを差し上げましょう!」


 奥戸は立ち上がると、少し離れたショーケースへと向かう。

 そこからブレスレットを二つ持ってくると、沙十美の前に差し出して来た。


「わ、可愛い。着けてみてもいいですか」


 嬉しそうにつぶやく沙十美に、奥戸は優しくうなずくとブレスレットを着けてくれた。

 アンティークゴールドの小さな星のチャームのついたブレスレットは、沙十美の手首で柔らかく揺れ動いている。


「星は暗闇で迷ったときに明るく照らす道しるべ、というモチーフがあるのですよ。チャームの星の四方に広がっていく光が、二人のこれからも照らしてくれる。見ての通り、ステンレスのチェーンなのでお値段も抑えてあります。これならお友達が金属アレルギーでも大丈夫ですよ」

「ん~、さすが商売上手奥戸さん! 包装お願いします!」

「はい、元気な声で何よりですね」


 沙十美は綺麗にラッピングされた小さな包みを受け取ると、大切に鞄の中へとしまう。


「今日はこれで時間ですね。続きはまたいずれ」


 その声に沙十美が思わず時計を見れば、随分と時間が経っている。


 今日はこの買い物で時間を使ってしまった。

 だが焦りは全くない。

 むしろ明日の勇気を貰えて、自分の胸の内はとても穏やかだ。

 爽やかな気持ちで沙十美はそう思い、奥戸に礼を言う。


「ありがとう奥戸さん。私、明日これを渡してきちんと謝ってみます」


 奥戸はうなずきながら沙十美に答える。


「また結果を教えてくださいね。いい結果でも悪い結果でも、今回の出来事はきっとあなたを成長させてくれるでしょうから」

「もう、悪い結果って何ですか?」


 ぷうと沙十美が頬を膨らませると、奥戸は白い歯を見せ悪戯っぽく笑う。

 同じように笑い返しながら、先程までなかった自信が溢れていくのを自覚していく。

 鞄の中にある勇気の源に指先で触れ、沙十美は思うのだ。


 ――大丈夫、きっとうまくいく。

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