第4話 行方不明とタルト

「よかった、席は空いているって!」


 電話を切ると、つぐみは興奮気味に沙十美へと伝える。

 沙十美はへぇという表情をつぐみへ向けた後、ぽつりと答えた。


「そう、なら向かいましょうか」


 そうつぐみへと声を掛けながら、構内の坂を彼女は足早に下っていく。

 七月も終わろうとしているある日、つぐみはかつて二人で通っていた喫茶店に思い切って沙十美を誘ってみた。

 学校に近いその喫茶店は、当然のように学生が押し寄せる。

 いつもは満席で入れないことが多いのだが、今日は空席があるという。

 神様はつぐみに、少しの優しさを分けてくれたようだ。


 学校の入り口の守衛室にいる守衛に、二人で会釈をしながら歩いて行く。

 つぐみは、嬉しくてにやけた顔を隠さずに学校の門を通過する。


「なんだかとても機嫌がよさそうね?」


 沙十美と過ごせることが嬉しくて、つぐみは元気に答える。


「そりゃそうだよ! だってだって! 久しぶりに沙十美と一緒だからね。嬉しすぎてそこの守衛さんと、ダンスでも踊りたい気分だよ」


 その場でくるりと一回転するつぐみの姿に、沙十美は口元に小さく笑みを浮かべて見つめてくる。


「ばかねぇ、つぐみは」

「えー、ばかじゃないよぅ」


(あぁ、かつては毎日のように交わしていた会話だ。今は、……もうないな)


 ふと感じた寂しさが、つぐみの顔に出てしまったのだろう。

 沙十美が自分の顔をのぞき込んできた。


「つぐみ?」


 その様子に慌ててつぐみは口を開いた。


「いやぁ、クラスの子が言っていたんだけどね。あのお店の今月の新作のタルトがイチジクとマンゴーらしいよ。どちらを選べばいいか、実はさっきからすっごい悩んでて……」


 心配をして損をした。

 そう顔に書いてありそうな表情で、沙十美はつぐみへと声を掛けてくる。


「そんなの二つとも! 二つ頼めばいいのよ! ちなみに私はチョコタルト一択だから。あと、その新作は一口ずつ頂戴。どうせあなた両方いけるでしょ?」

「はい、いけます。なんならチョコタルトを一口ください」

「欲張るんじゃありません」


 柔らかな空気が戻り、二人でくすくす笑いながら歩いている横を一台のパトカーが通過していく。


「え、学校で何かあったのかしら?」


 不安そうに沙十美が呟くのを聞き、つぐみは続ける。


「……たぶん大丈夫。警告灯を点けずに向かっているから、緊急のものではないと思う」


 守衛室の横で止まったパトカーから、二人の警官が現れる。

 それを見た守衛が、慌てて守衛室から飛び出して来た。

 そのまま二、三分ほど話をすると、警官は一礼をしてパトカーに戻る。

 その場でUターンをすると、再び二人の横を通り過ぎ去っていった。


「何だったんだろう?」

「さぁ。でも中まで入らなかったから、何かしらの注意喚起とかかなぁ?」


 その言葉に沙十美は「あっ!」と大きな声を出した。


「私、聞いたことがある! 最近この周辺で行方不明の子達がいるって!」


 彼女の声に、驚きながらつぐみは言葉を返していく。


「行方不明? そんな話は聞いたことがないけど。それに沙十美。あなた『行方不明の子達』って言ったけど、それって複数の人がっていうことになるんだけど……?」

「そうなのよね。私も最初にその話を聞いたときに、周りで行方不明の子がいるわけでもないから変な話だなって思っていたのよ。しかもこの話が更にとんでもなくてね……」


 沙十美が唇に人差し指を当てつぐみへと囁いてくる。


「その行方不明になった子の服だけがね、いなくなってから二、三日後に見つかるの。それでその服に、必ず黒い水がべっとりと付いてるんだって」

「な、なによそれ。怖すぎるんだけど」


 ぞくりと背中に震えが走り、思わずつぐみは首をすくめた。


「で、でもおかしいよね? そんな行方不明やら黒い水やらなんて。ニュースでも見たことないよ。第一それなら学校から、何か注意喚起なり来ているはずじゃない?」

「そう、そうなのよ。だから多分これは都市伝説的なやつなんだと思う。ほらそういう悪ふざけ好きそうな人って、この大学っていっぱいいるし。夏の怪談話的な?」


 沙十美が両手の甲をつぐみへと向け、じっと見つめた。

 そのままゆらゆらと手を揺らしながら、お化けのポーズをする。


「う~ら~め~し~や~。あ、でも私達はう~ら~た~る~と~かしら?」


 そう言って沙十美はつぐみへと抱き着いてきた。


「顔色が悪いわね、ごめん。あなた怖い話は苦手だったものね」


 ぎゅっと抱かれ、頭を撫でられる。

 その行動につぐみは嬉しさを隠すために、照れ隠しで叫んでしまう。


「いや、小さな子供ではないので。あやされなくても大丈夫ですけど!」

「はいはい、わかりましたよ。あっ、確かあのお店、テイクアウト出来たわよね? イチジクタルト、私も持ち帰りで買おうかしら?」


 大学からその店までは、歩いて十分ほどだ。

 狭い道路のため歩道も狭く、二人で並んで歩くことができない。

 そのためつぐみは沙十美の前を意気揚々いきようようと歩く。

 少し強めの風がたまに吹くのを幸いに、会話の返事が聞き取れないと言っては沙十美の方を何度も振り返る。


「あなた、ずいぶんおばあちゃんになってしまったみたいね。確かに強い風が吹いているけどね。車も通らない、周りに人もいないから十分聞こえているはずだけど?」

「いやいや、人もいないっていうけど、……ほら! 後ろに人いるじゃん?」


 つぐみは慌てて自分達の後ろを歩いていた二人組を指差す。


「……まぁ、確かに後ろに二人ほど人はいるわね。でもあの子達と私達は、かなり離れているように見えるんだけど? たぶん三、四十メートルは離れているように見えるのは、私の気のせいかしら?」

「もちろん気のせいに決まってませんよ。はいはい、つぐみおばあちゃんは耳が遠くてねぇ」


 げふんげふんとつぐみは、これ見よがしに咳をする。

 沙十美は仕方がないなぁという顔をしながらも、ふうわりとつぐみをみつめ笑ってくれる。

 その眼差しは前と全く変わらない。

 以前と違うのは、つぐみを見る瞳が眼鏡のレンズ越しではなくなったこと。

 自分と一緒に過ごさなかった時間に、コンタクトに変えたということを。

 それを伝えてもらえなかった事実を、その瞳はつぐみに見せつけてくるのだ。


(少し前まではきっと誰よりも先に、話してくれていたことなのに。……寂しいな)


 浮かびかがって来るそんな思いを、つぐみは振り払い前へと足を進めていく。

 ようやく道路が広くなり、二人で並んで歩きだす。

 吹いてきた強風で、乱れてしまった髪を整えようと沙十美が髪をかきあげた。

 その耳には、つぐみが見たことのない蝶のピアスが輝いている。

 切り絵のような美しく黄金に輝く蝶のピアスが、彼女の耳で踊るように揺れるのを目にしたつぐみは思わず声を掛ける。


「あれ、新しいアクセサリーだね?」


 つぐみの問いかけに、沙十美は一瞬だけ表情をこわばらせた。


「え、えぇ。……そうね」


 沙十美は目も合わせず答えると、おもむろに足早になる。


「お店が近づいてきたね。早く店に入ろう」


 沙十美はつぐみを置いていくかのようにどんどん先へと進んでいってしまう。

 慌てて追いかけながら、つぐみは話を続ける。


「例のお店の商品? ならまたキャッチフレーズがあるの? だったら教え……」

「……いいじゃないの、そんなことは」


 前を歩いていた沙十美が足を止めると、低い声でつぐみへと言葉を放ってきた。


「ど、どうしたの? 急に?」


 振り返って来た沙十美の目に、怒りが含まれているのにつぐみは気づく。


「……たまには、と思っていたけど。やっぱり私、つぐみとは合わなくなってきているみたいね」


 沙十美の言葉がつぐみの耳に、心に響く。

 いつもと違う口調に、つぐみは呆然と彼女を見つめることしか出来ない。

 

「あ、私は……」


 つぐみの心に生まれる動揺。

 告げられた言葉の意味を心が受け入れられない。

 その心が、言葉を発することを恐れている。

 言葉を紡ぎたいのに、喉が苦しくてたまらないのだ。


「――悪いけど今日は帰るわ」


 沙十美はつぐみを一度も振り返ることなく去っていく。

 声を掛けることもできず、つぐみはただその場に立っていることしかできなかった。



◇◇◇◇◇



 そこから離れた、そう距離にして『三、四十メートル程』離れた場所で。


「――どうだ?」


 半袖のカッターシャツに、グレンチェックのスラックスの制服を着た少年が、癖のある前髪をいじりながら隣の少女に問う。

 涼し気な一重まぶた。

 その目は一見、冷たい印象を周りには与えるだろう。

 だが今は、その目は柔らかく慈しむように少女を見つめていた。


「少し風の音で邪魔されたけど大丈夫です。女性同士の喧嘩って殺伐さつばつとしていて、……嫌になる」


 二本の白線にパープルグレーのスカーフのセーラー服に、紺のスカートの少女が抑揚のない声で答える。


「へぇ、喧嘩別れですか。女って怖いねぇ」

「――それは私とすべての女性に対する、挑戦状とみなしてほしいということですか。兄さん?」


 年頃に見合わないさめた表情を浮かべ、少女が呟く。

 顎までの長さの黒い髪を耳にかきあげ、切れ長の目でゆっくりと少年を見すえた。

 凛とした声。

 その声に相応しい整った目鼻立ち。


 自身にも似た、だが自分以上に鋭い視線を持ち合わせた少女を、少年はしどろもどろになりながら見つめ答える。


「うっ、違っ……。とにかく! 『見つけた』ということでいいんだろ!」


 慌てた様子で、少女の肩をポンポンと軽く叩きながら、少年は続けた。


「それじゃ、行動開始といきますかね?」

「そうですね、でも……」


 少女は少し考えてから、少年を見つめると口を開く。


「今日はここまででいいと思います。あと、あの喫茶店のイチジクとマンゴーのタルト。とても美味しいと先程あの二人が言っていました。兄さん、テイクアウトで買ってきてください。私は校則で寄り道は厳禁なので」


 にこりともせずに、少女は告げた。


「んなっ、なんでそんなことにな……」


 少年は顔を真っ赤にさせ、反論しようとする。

 だがそんな少年に、無表情のままで少女は言葉を放った。


「さもないと先程の発言。いつもの素敵なメンバーに、お伝えすることになりますけど?」

「あっれれー? 俺、すっごくマンゴーのタルトが食べたい気分になっちゃったなぁ! ……いってきます」


 とぼとぼと歩き出す少年について歩きながら、少女はぽつりと呟く。


「……私からすれば。あの二人の、どちらだっていいんですけど」

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