第3話 ここから始めましょう
変化があったのはいつからだろう。
「ねぇ! なんかすっごいお店、見つけたんだけど!」
ある日、沙十美が興奮した様子で
「
言葉と共に沙十美は、つぐみに向けて手をまっすぐに伸ばす。
華奢な彼女の手首には、可愛らしいパールが三つ付いたブレスレットが光っていた。
「つい買っちゃったよ~。店長さんがすごくイケメンでね。あなたにはこれがいいって言われたから」
とても上機嫌な彼女を見つめ「へぇ」とつぐみは呟く。
そんな薄い反応を気にすることなく、沙十美は嬉しそうに続ける。
「最初パールって、高そうだからいいですって断ろうとしたの。そうしたらこれ、コットンパールっていう模造真珠なんだって。だからそんなに値段も高くないし、せっかくこの店に来てくれたからって安くしてくれてね」
ハキハキとした沙十美の様子に、驚きながらつぐみはうなずく。
「何よりもまず、店長さんが本当にかっこよかったの。私の話をすごく聞いてくれるのよ。それで、私の目をじっと見ながらね」
沙十美は立ち上がり、つぐみの目をじっと見つめてくる。
どうやら再現劇場が始まるようだ。
「あなたがここに来たということは、とても大切なことなのですよ。えっと、あなたのかつ? かつ何とかが感じられるこの出会いに、感謝してもしきれないのですから」
「……いや、沙十美さん。あなた、肝心のところを忘れておられるようですが」
だが素敵な人に甘い言葉をかけられたのであれば、舞い上がり聞き逃してしまうのも理解できる。
苦笑いをしながらつぐみは言葉を返していく。
「な、なんかナルシストっぽい感じの店長さんなんだね」
「でもその言葉がもう本当に似合うというかねぇ。あ! でもナルシストといえば、お店の商品全部に変なキャッチフレーズみたいのがあってね」
思い出し笑いをしながら、沙十美は続ける。
「店長さんが全部、自分で考えました! って、すっごいどや顔で言ってた」
ブレスレットを指でなぞりながら、笑う沙十美につぐみは違和感を覚えた。
それは、昨日までの彼女からは感じられなかったもの。
でも『それ』が何なのかが分からない。
「へぇ。じゃあそのブレスレットは、どんなキャッチフレーズがあったの?」
その問いに沙十美は、首をかしげて考える様子を見せる。
「えーとね、『ようこそ、ここから始めましょう』だって!」
確かに彼女はそれから、「始まって」いったのだ。
翌日から彼女は、目に見えて明るくなり自分の意見をしっかりと言うようになった。
さっぱりとしたナチュラルメイクだったものが、少しずつ明るめのものに変わり彼女は輝いていく。
変わっていく沙十美と変わらないつぐみ。
次第に、二人は離れていくことになる。
沙十美は、坂田のグループに溶け込む時間が増えていく。
今までは、講義後は二人で帰っていた。
だが最近は何かと用事があるということで、二人が一緒に過ごす時間は次第に減っていく。
ただ沙十美はその時間を、坂田達と過ごす訳ではなく一人で帰ることが多くなっていた。
この事実がつぐみにとって、寂しくないと言ったら嘘になる。
だが日々、自信をもって眩しく変わっていく沙十美に幸せになってほしいという願いは何ら変わりはない。
だからこそつぐみは、少なくなった彼女との時間を大切に思い過ごしていたのだ。
◇◇◇◇◇
「お、あそこなら大丈夫かな」
つぐみは教室の窓際の席に座り、プリントと筆箱を取り出す。
今日は講師と生徒が一対一で行う口頭試問の日だ。
自分の順番が来るまでノートを見返したり、友達と想定問答をしたりと皆がそれぞれの時間を過ごしている。
教室に現れた沙十美は、坂田達のグループの方へ行くのかと思いきや、つぐみの隣にすとんと座った。
「想定問題、手伝ってくれるよね?」
鞄からファイルを取り出す沙十美の声かけに、嬉しさを隠し切れず笑顔がこぼれてしまう。
「ちょっと、テスト前にその緊張感のなさは無いんじゃないの?」
「え、いやいや! これは『朝の挨拶は笑顔でしよう』という、私なりのマナーでございまして!」
「……お初にお目にかかります、マナーでございますこと」
こらえきれず同時に、二人で吹きだしてしまう。
「あっはは、もう! こんなことしてる場合じゃ無いっていうのに!」
目の隅に涙を浮かべながら、見つめてくる沙十美につぐみはノートを渡す。
「このあたり、たぶん突っ込まれそうだよ。一度これを見ておく?」
「さんきゅ、ってあれ? こんな追加記述あったっけ?」
「あ、それ私が追加した。応用で出してきそうな感じするから」
「うわ! 文章構築を変えるか? あぁ、昨日まではきちんとまとめてあったはずなのに。今の今で頭の中がまとめきれてない」
沙十美は机に突っ伏していくのを、つぐみは笑いながら見届ける。
「まだ時間はあるからさ。落ち着いて考えてみなよ」
「はいはーい。……つぐみはこういうのって得意だよね?」
隣で沙十美がため息をつくのが聞こえる。
「得意ではないよ。ただ先生は、一定の距離感を保ってくれるからね。おかげであまり緊張しなくて済むから。その安心感が冷静に対応できているように、先生には見えているみたい」
「そうだねぇ。つぐみは同級生とかの方が、緊張して話せなくなるタイプだもんね」
「うっ、人の悲しい短所を改めて言わなくても」
「あはは、一矢報いたり~!」
「あ、千堂さん。見つけた! ちょっといい?」
後ろから声がかかり振り返れば、同じクラスの鈴木が近づいてくる。
彼女は坂田のグループの子だ。
目立つグループの人間が、自分のそばに来るだけでつぐみは緊張してしまう。
思わず資料を読む振りをして、下を向く。
にこにこと笑顔で沙十美の横に来ると、鈴木は持っていたポーチからマニキュアを取り出した。
「これ、すっごく良かったわ。貸してくれてありがとう。返すね!」
「ね、それ発色がすごくいいでしょ? 鈴木さん色白だから、寒色系の色が向いていると思ったんだ」
「私も買いたいんだけど、どこで売っているの? 千堂さんセンスいいからね。今度、一緒に買い物に付き合ってよ」
これは下を見続けるのも気まずい位に長くなりそうだ。
そう判断したつぐみは、机に腕を交差させうつ伏せになる。
こんな時こそ、『私は仮眠を取っていますよ』大作戦だ。
どうか私の存在は気にせずに、話を存分に続けてください。
そう願い目を閉じる。
こんな性格だから、人と接するのが苦手なままなのだ。
ぼんやりそんなことを考えながら、彼女達の話をつい聞いてしまう。
「……の三階にあるお店だよ。他にも買いたいものが多そうなら、会員登録しておくとメールで新作の連絡も来るし。……のサイズが合うかもあるからやっぱ……」
女の子の声というのは聴き心地が良い。
次第につぐみの頭がふわふわとしてくる。
「ライトカラーを使えば、ハイライト無しでもいけるから朝は助かるよね、……が欲しくてこの間も」
空から降ってくるような、とぎれとぎれの言葉。
これは本当に眠ってしまいそうだ。
「……ってね、千堂さんならこれっていうネックレス見つけたの! 絶対、似合うと思うから今度さ、一緒に買いに行こうよ」
「あ、ごめんね。アクセサリーはちょっとこだわりがあるから、決めた店でしか買いたくないの」
沙十美の声のトーンが下がった。
うとうとしていたつぐみの頭が、それに反応する。
「え、そうなの? でも千堂さんのお気に入りのお店かぁ、すごい気になる! 行きたいな。どこにあるの?」
鈴木は彼女の変化に気づかずに、話を続けている。
「ん~、じゃあ近いうちにお誘いするわ。ごめん、そろそろテストの準備をしたいから」
「あ、本当。だいぶ話し込んじゃったね。ごめんね! じゃあまた」
話が終わり鈴木の足音が遠のいていくのが聞こえる。
つぐみとしてはそろそろ顔を上げたい。
だが何となく、今はそれをしてはいけない気がするのだ。
やがて沙十美の席から、感情を一緒に吐き出すかのように、ふぅっと大きく息をつくのが聞こえた。
まもなくして、つぐみの肩が揺り動かされる。
「ほーらー、いつまで寝てんのよ」
「……ふぁい、おはようございます」
さも今、起きたかのようにつぐみはゆっくりと顔を上げた。
沙十美は立ち上がると、つぐみの顔を見つめてくる。
「さて。私はそろそろ順番だから行ってくるわ。つぐみはもう少し後だっけ?」
「うん、行ってらっしゃい。頑張ってね」
「ありがと。あなたも自分の順番までに、その頬についた寝跡が取れるように頑張ってね」
「……へ?」
つぐみが頬を押さえると、指先に幾つもの凹凸が触れる。
鏡を見るまでもなく、これは相当くっきりと付いているものだ。
「じゃあ、ね」
くすくすと笑いながら沙十美は去っていく。
その声はいつも通りの声になっていた。
ほっとしながらも、先程の沙十美の変化に戸惑いが残る。
その答えが出せないまま、つぐみは頬をこすると再びノートへと目を向けるのだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます