第2話 冬野つぐみと千堂沙十美

「私達ってよく言えばおっとり。悪く言えば、ぼーっとしてる感じだよね。人に合わせなきゃ、場の雰囲気を壊さないようにしなくちゃ。そう思って今までは行動してきたけど」

 

 その言葉に冬野ふゆのつぐみは、読んでいたテキストから視線を外し、隣りにいる人物へと目を向けた。

 並んで座る親友の千堂せんどう沙十美さとみもまた、同じように課題を片付けながらつぐみを見つめ返してくる。

 思わず微笑むつぐみに、眼鏡の奥の瞳を細めて彼女もまたくすくすと笑う。


 沙十美はつぐみが大学に入って出来た初めての友達だ。

 二人が通う鳥海ちょうかい大学。

 ここは某政令指定都市から車で四十分ほどの距離の、戸世とせ市にある自然豊かな学校だ。

 自然豊かな学校と響きはいいが、つまりは山の中ということ。

 そのため、学校まではそれなりの坂道を登らなければならない。

 そんな場所で二人は出会った。


 隣にいる沙十美をつぐみはつい見つめてしまう。

 さらさらとした首筋をくすぐるような真っ直ぐな黒髪が、彼女の穏やかな性格を表すようにその細面の顔にかかり踊るように揺れている。

 小さな顔の輪郭から、零れんばかりに溢れる笑顔は本当に可愛らしい。


 沙十美とは同じ学部だったということや、人とかかわることが苦手という共通点があり、すぐに二人は仲良くなった。

 テキストの重さと課題の多さにうんざりしながらも、二人は学校生活を楽しんでいる。


「まだこうして出会って間もないのに、つぐみとはそんなこと考えなくていいのよねぇ。本当に一緒にいて楽しい。ここを卒業して、お互い社会人になっても。結婚してもおばあちゃんになっても。あなたにはずっと友達でいて欲しいと思うよ」


 沙十美はそう言って、よくつぐみの手を握ってくる。

 その柔らかい手は、つぐみの手と心を温かく包み込んでくれるのだ。


 つぐみはそれがとても嬉しかった。

 友達を作るのが苦手な自分を、こんな風に思ってくれる存在がいること。

 他の人なら当たり前と思えるであろう出来事を、あまり経験することのなかった自分には本当に嬉しく愛おしい体験であったのだ。


「人」と触れ合えること。

「冬野つぐみ」として見てもらえる喜びを、沙十美は会うたびに教えてくれる。

 彼女と出会ってから、毎日が幸せに流れていくのがつぐみには感じられるのだ。


 そうして穏やかな時は優しく紡がれ、紫陽花が美しく雨に輝く頃。

 誕生日が近い二人は小さなリボンのついたチャームを作り、それをイヤリングにして互いにプレゼントとして贈りあった。


「リボンのチャームって、お互いを結ぶ絆の証らしいよ。あー、つぐみが男の子だったらよかったのに!」


 イヤリングを眺めながら呟く沙十美を見て、つぐみはくすくすと笑う。


「いや、男の子はイヤリングしないでしょ……」


 つぐみは知っている。

 沙十美には、絆を結びたいと思っている男の子がいることを。


 彼の名は坂田さかた

 グループ課題の際に一緒になった男の子だ。

 無邪気な笑顔と豪快な気質で、彼はグループをあっという間にまとめていった。

 彼は二人に資料集めなど、他人との関わりを持たなくて済むような仕事を自然に振ってくれる優しさを持ち合わせた青年であった。

 構内で会うたびに、彼はいつも二人へと眩しい笑顔で挨拶をしてくれる。

 そんな彼に沙十美が惹かれていくのは、つぐみにも十分に理解が出来るものであった。


 そんな彼の周りにはたくさんの人が、それこそ男女関係なく集まって来る。

 その中に沙十美が入るのは、消極的な彼女にとっては潰えてしまった可能性なのだろうか。

 彼女の魅力が他の人に比べて、見劣りするというわけでは決してない。

 あと一歩、勇気があればとつぐみは思う。

 ずっと一人きりだった自分を、見つけ出してくれた。

 その温かくて見ているだけで凍えきった、寂しかった心をたちまちに溶かしてくれたその笑顔を。

 そう、それをもっと他の人にも見せれば、十分にあの輪の中にも入ることができるというのに。


 折につけてつぐみは沙十美にそう進言する。

 しかし彼女は顔を真っ赤にしてこう言うのだ。


「無理! えーっと、そう! この笑顔はつぐみ限定です。どうぞ大切にご鑑賞くださいませ」


 沙十美は頬に手を当てながら、その限定をふわりと披露する。

 そうしてまた、いつものふわりに誤魔化されてしまうのだ。


 正直、とてももったいないとつぐみは思う。

 だが限定のこの恩恵が嬉しくて、つい笑って終わらせてしまうのだ。

 この笑顔を自分だけで独り占めをしたいという気持ちは我儘わがままだろうか。

 他の人から見たら、独りよがりと言われるものだろうか。

 この時間は、幸せで大切な時間とよべるもの。

 彼女が許してくれる限り、こうしていたいとつぐみは願ってしまうのだ。



◇◇◇◇◇



「……でもね、つぐみはずるいと思うの」


 ある日の昼食中に沙十美は、弁当の卵焼きを一口でぱくりと食べるとつぐみに言ってくる。


「私の好きな気持ちすぐに気づいたし。観察力かなぁ? 他の人より鋭いよね。この間もクラスの佐藤さんと瀬尾君が付き合っているんじゃないか、というのも本当にそうだったし」

「うーん、それはたまたまそうかなぁって思っただけだよ」

「じゃぁ、そうかなぁって思った理由は?」


 箸を置き、お茶に手を伸ばしながら沙十美はつぐみに尋ねてくる。


「え、えーとまず。二人とも何かにつけて、目が合ってこっそり笑いあってるところだね。私達もそうだけど、一緒のものとか持っていたりするでしょう? ほら、例えばシャーペンとかね。同じ種類じゃないんだけど、同じ色のものを二人とも使っているなぁっていう所を何日か見かけたん……」


 沙十美の反応がないことに気付いたつぐみは言葉を止める。

 驚いた表情を浮かべる沙十美を見て、つぐみは自分の行動に後悔を抱く。

 人とのかかわりが消極的な分、人の行動や言動を観察してしまう。

 他の人が気付きにくいものを見る癖がつぐみには出来てしまっているのだ。


「ご、ごめん。気持ち悪いよね?」


 慌てて話しかける声に、沙十美はようやく我に返り首をぶんぶんと横に振った。


「いや、なんかそういう観察眼は坂田君もあるよね! つぐみも気づいたことを坂田君みたいに出していけば、もっと素敵になれると思うよ!」


 彼女なりの精いっぱいのフォローに、つぐみは甘えさせてもらう。


「はいはい、ありがとう。頑張ってみるね。坂田君にもっていくあたり、本当に彼のことが好きなんだね」


 つぐみは笑顔を返すと、彼女がかつて自分に掛けてくれた言葉を思い返す。


『あなたにはずっと友達でいて欲しいって思うよ』


 そうあってほしい。

 どうか続きますようにと、沙十美を見つめながらつぐみは願うのだった。

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