冬野つぐみのオモイカタ

とは

第一章 冬野つぐみのオモイカタ

第1話 くらいへやで1(カテノナ:S)★

「怖い? 怖いよね。怖くないわけないですよねぇ」


 嬉しさを隠そうとしない男の声に女は顔を上げた。

 満足そうな笑みを浮かべ、男が顔を近づけてくる。


 男を見上げる女は、まだ二十歳にも満たない。

 それにもかかわらず大人びた雰囲気と美しさが彼女には表れていた。

 世の男性ならば振り返らずにいられない。

 そんな魅力をたたえた女は今、捕らえられこの部屋に閉じ込められていた。


 かすかな光を浴びた中性的な顔立ちの男。

 その眼鏡のレンズに、女は、ぼんやりと映る自分の姿を見やった。

 女は目を閉じ、瞼の下でさらに部屋よりも暗い闇を作る。

 闇に慣れてから目を再び開き、慣れたくもない体を見下ろしていく。


 閉じ込められた部屋の中央にある椅子に、自分は座らされている。

 肩から下はまるでミイラのように、布でぐるりときつく巻かれた状態にされていた。


 自分の体は強く拘束されている。

 それにも関わらず痛みは全くないのだ。

 痛みという感覚も、見下せばそこに本来あるはずの『足』と呼ぶ存在ですらも。


 女の『それ』は、もはやこの世には存在しない。

 足があるはずだった部分には、くしゃりと絞られたように潰された布があるのみ。

 体の一部を失ってしまったという恐怖や悲しみの感情。

 それすらも女の中からは消え失せていた。

 痛みの感覚と共に、目の前の男によってそれを奪われ、失くしてしまったのだろうか。

 ぼんやりとした頭でそう考える。


 部屋の隅に置かれたガラスのテーブルランプの灯火が、女の直下の水の揺らめきを照らす。

 定期的にぴちゃりという水の音が耳に届く。

 女の座る椅子の下には透明の水槽のようなケースが置かれている。

 水槽の中には、自分の体を「使って」作られた黒い水が、一滴一滴と落ちる度に表面を震わせていた。


「まずは先端からなんですよ。手と足。頭部は残しておくのです。なぜだと思います?」


 知らない、そんなこと。

 知りたくもない。

 冷ややかな目線を男に向けながら女はそう思う。

 

「もちろん同時にって、やっていた時期もあるんですよ。でも頭だけ最後に残したら、今までの方達はずっと言うんですよ。酷い、助けてくれ、どうしてこんなことにって。……でも」


 自分の緩いウエーブのかかった顎までの長さの髪に、男がさも愛おしそうに触れ語る声が聞こえてくる。


「あなたは違いますねぇ。何を考えているのやら。でもその顔はとても美しくて素敵ですよ。初めてお会いした時は物静かで内気なお嬢さんだったのに、今では心も体もその美しさは輝かんばかり。その輝き、変わった姿を。それを周りから羨望の眼差しでみられるのは楽しかったでしょう?」


 ゆっくりと男を見やり、女は口を開く。


「そうね。この部屋に来るまでは、こんな風に変われたきっかけをくれたあんたには感謝していたわ。だけど今のあんたには、真逆の感情しか抱けないわね」


 反応を見せたことで、男の顔に喜びの笑みが浮かび上がる。


「怒っている顔ですら、噛み付いてきそうな目つきも思わず見とれてしまいますよ。あぁ、あなたは本当に綺麗だ」


 夢見心地と言わんばかりの表情の男を、正反対の感情と表情で見つめ口を開く。


「えぇ、怒っているわ。私にこんなことをしていること、それもある」


 だがこの男を許せないのは別の理由からだ。


「楽しいですね。いなくなったあなたを探して、お友達が来てくれるのを待つのは」


 男の言葉にびくり、と女の体が揺れた。


 ――自分自身のことよりも、この男に触れられたくない大切な人。

 その存在を軽々しく呼ばれたことに心が大きく揺らぐ。


(あぁ、……つぐみ。ここに来てはいけない。どうか、どうか私のことは……!)


 巻き込んでしまった、巻き込みたくなかった大切な友の姿を女は思い浮かべる。

 溢れる感情をこらえきれず、頬には涙が次々と伝い落ちていく。

 男が小さく笑うと、女の直下にある黒い水を自分の指ですくい上げ口に含むと女を見上げてきた。


「ありがとうございます。あなたという存在が私の、私達が生きていくための糧になってくれる。感謝しますよ」


 歯を食いしばり、心からの叫びと言わんばかりの声で女は声を上げる。


「その糧とやらは私だけでいいでしょう! あの子は関係ない!」

「いいえ、欲しいのですよ。彼女もあなたも。……さて、最期までよろしくお願いしますね。一緒に楽しくお話しましょう? あなたが完全に、この水となるまで」


 女に向かい男は恭しく一礼をすると、口元に緩やかな弧を描き女の名を呼んだ。 


「……ねぇ? 千堂沙十美さん」

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