第114話 皆で夕食を

 木津家の台所の賑やかな様子を、惟之はぼんやりと眺める。


「つぐみさーん、このお吸い物おいしい! 卵がふわっふわだー!」

「ありがとうございます。お吸い物はお寿司に合いますからねぇ。でも味見だけお願いしたのです。あまり先に飲み過ぎたら、あとで困るのは井出さんですよ」

「お代わりしてもいい?」

「私の話を、聞いていないですね。まだお寿司来ていませんよ? お腹がいっぱいになりますよ?」

「大丈夫! 僕のには、お麩をたーくさん入れてね!」

「井出さんはお麩が好きなのですね。わかりました、ではこっそり皆より多めで」

「えー、明日人だけずるいじゃん。聞こえちゃったから、私のも増量してー」


 惟之の隣に居た品子が、台所に駆け出していく。


「はい、では先生の分も、こっそり皆より多めで」


 これだけ聞こえていたら、こっそりと言っていい話ではないと思うのだが。

 三人が台所で、がやがやと話しているのを眺めながら惟之は思う。

 シヤは寿司の出前が来るまで、自室で宿題をすると言っていた。


 つぐみと顔を合わせるのが気まずいのだろうというのは想像できる。

 シヤはリードで、彼女と犯人の男の会話を聞いているのだから。

 つぐみは平静を装っているが、シヤはまだ中学生だ。

 ……さて、どうしていったものか。

 そんな惟之の考えは台所の声にかき消される。


「ちょっと、品子さん! そんなに味見したら、みんなの分が無くなっちゃうでしょ! つぐみさんに怒られるよ!」

「少し前の自分をかえりみるということをした方がいいぞ、明日人」

「大丈夫ですよ。追加で作れますから。でもあんまり飲み過ぎたらせっかくのお寿司が……」


 ……とりあえず様子を見よう。

 シヤもあの三人をドタバタ劇を見て、普通にふるまうのかもしれない。

 託すように、少しだけ羨ましさを抱え惟之はそう結論を出した。



◇◇◇◇◇



「先生、大変です。この大トロ噛んでないのに溶けましたー! 脂身の所が私の口で勝手にー!」

「冬野君、そんな君に私が食べさせてあげるよ。はいあーん」

「いけません、先生! これウニじゃないですか! こんなぜいたくしたら私もう……」

「ふふふ、いいんだよ、もう戻れなくていいじゃないか。大丈夫、さぁ口を開けてごらん。」

「……あぁ、お、おいひい。私、生きててよかったです」

「そうだろう、そうだろう。いいんだ。全て惟之のおごりだ」

「……おい。なんだ、この既視感きしかんは」


 思わず惟之は口に出してしまう。


「なぁ。このくだり、以前にも聞いたことがあるんだが……」

「え、惟之さん僕におごってないですよ! ひどくないですか?」


 明日人がショックを受けた顔をして、惟之を見る。


「明日人。お前が入ると、ちょっと面倒になりそうだ……」

「ひどい! 明日人はただ、惟之におごってほしいだけなのに!」

「シヤちゃーん、お吸い物お代わりいるー?」

「大丈夫です。つぐみさんこそ、お代わり持ってきましょうか?」

「あ、大丈夫! もう少しお寿司を、堪能たんのうしてからにする!」


 高々とお椀を掲げ、明日人が叫ぶ。


「じゃあシヤさん。僕、お吸い物のお代わり欲しい!」

「はい、お持ちしますね。品子姉さんも要りますか?」

「うん! シヤは気が利くいい子だね! 大好き!」


 だがこの大騒ぎのおかげか、シヤとつぐみの距離感はいつも通りのようだ。

 いつも以上に明日人がはしゃいでいるのは、彼なりに皆が余計なことを考える時間を無くそうとしてのことだろう。


「あとは、俺の財布の今日の支出分だけを考えていればよさそうだな。……しかし、次こそは」


 そう呟き、惟之はポケットに入れた領収書の金額に憂う。

 次こそは、品子に料理の注文を任せるという危険な行為は……。


「もう、絶対にやめよう」



◇◇◇◇◇



「今日は、ご馳走様でした。でも良かったのでしょうか? こんなに豪勢ごうせいなお寿司を靭さんだけの支払いって……」


 食事が終わり、シヤは皆の食器を洗っている。

 玄関先で別れの挨拶を済ませようとした時、つぐみが惟之へ申し訳なさそうに言ってきた。


「だーいじょーぶ。こいつ独り身だし、趣味とかも無いからお金は持ってるよー。彼女に使う金も、その彼女のあても無いしな。……ぷぷっ」

「品子、その言葉そっくりそのまま、お前に当てはまるのを忘れるなよ」

「あははー、二人ともブーメラン刺さりまくってますよー」

「……明日人、覚えておけ。今は笑っていても、すぐにお前だってこっち側に来るんだからな」

「はーい、じゃあそれまでに僕は、頑張って彼女を探しておきまーす」

「ふーんだ! 別にいいもん。私は冬野君を、お嫁さんにするから問題ないし!」


 品子がつぐみに抱きつく。


 いつもなら顔を真っ赤にして「お、お嫁さんっ……」と言い出しそうな彼女は、真剣な顔つきで皆を見つめている。


「どうしたんだい、冬野君?」

「あの、皆さん。今日は勝手な行動をしてしまい、申し訳ありませんでした」


 つぐみは、深々と頭を下げる。


「自分が皆さんと違い、何も力を持っていないのに一人で飛び出してしまいました。それにより、ここまで迷惑を掛けて……。反省すべき点は沢山あります。これからは自分一人で、こんな無茶をしないように心がけます。だから……」


 皆を見上げてつぐみは言葉を途切れさせる。

 謝りたいのに、言葉が上手く紡げない。

 その思いは惟之にも伝わってくる。

 惟之はつぐみの頭に、そっと手を乗せた。

 おずおずと見上げてきた彼女に、ゆっくりと言葉をかけていく。


「そんな心配はいらない。見方を変えればその三人組のこれ以上の被害者を出さないように、止める可能性が出てきたとも言えるしな」


 かつてのつぐみであれば、ここで泣いていただろう。

 初めて会った時、品子に尋問した後の大泣きしていた彼女の姿を思い出す。

 だが今は違うことを、惟之は知っている。


「君は成長しているよ。ただ今回は、少し焦り過ぎたところはある。もう少しゆっくり歩くことも覚えなさい」

「……はい、ありがとうございます」

「冬野君、私は美味しいお寿司が食べられたし、惟之に経済的大ダメージを与えて満足だから、大いに許すよ!」

「僕も! お吸い物とっても美味しかったよ。あと惟之さんに彼女いないことを笑って、精神的大ダメージを与えて面白かったからね! 大いに許すよ!」

「……品子、明日人。今からちょっと、外に出ようか?」

「「えー、一人で行ってくださーい」」

「……あはは」


 つぐみからこわばった表情が消え、笑顔がこぼれていく。

 その様子にほっとしているのは、どうやら自分だけではないと、隣りにいる二人の表情をみて気づく。

 

 品子が以前に言っていたことを惟之は思い出す。

 ――あの子には発動なんか無くても、皆を元気にさせる力がある。

 それで十分ではないか。


「靭さん。今日は本当にごちそう様でした。あんなに美味しいお寿司を食べたのは私、生まれて初めてです」

「それは良かった。俺も楽しい時間をありがとう。じゃあ明日人、帰ろうか」

「はーい。おやすみなさい。品子さん、つぐみさん。またね!」

「はい、おやすみなさい。気を付けて」

「明日人、帰りに惟之にひどいこと言われたら、すぐに私に言うんだよ」

「はーい、すぐに報告しまーす!」

「……なぁ、最近お前たち二人、妙に仲良くないか?」


 そもそも三条、四条と言う派閥を超えて、仕事以外でこういった交流をすること自体、今までなかった出来事だ。

 やはりこれも彼女の存在が大きい。

 惟之は改めてつぐみの存在に驚かされる。


 しかしそうなると、例の三人組はいち早く見つけて確保しておいた方がいいということになる。

 先にこの二人がそいつらを見つけてしまった場合。

 少々洒落しゃれにならないことに、なりかねない雰囲気がある。

 あまり情報を流さないように、出雲にも言っておかねばなるまい。


「惟之さん、どうしました?」

「なんだ惟之、電池切れか?」


 声をかけてきた品子と明日人が、そろってきょとんとした顔で惟之を見あげてきている。


「いや、何でもない。さて帰るとしよう」


 彼ら二人の変化に。

 そして自身の変化に戸惑いと小さな喜びを感じながら惟之は皆へと笑いかけた。

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