第37話 くらいへやで6(カテノナ:S)★
体が、全く動かせない。
沙十美は、この状況に浅い呼吸を繰り返しながら周りを見渡す。
動くのは拘束されていない首から上だけ。
視線を下に向ける。
信じがたい光景が目に映る。
足がない。
いや、足だけではなく自分の下半身は消え失せてしまっている。
だが今の沙十美には痛みは全くない。
相当にきつく拘束されているにもかかわらず、最初に締め付けられた感覚を最後に何も感じなくなっていた。
頭によぎるのは、つぐみに語った話。
黒い水のついた、行方不明者の服だけが見つかる。
まさか、自分がその話の当事者になろうとは。
この部屋に運ばれた当初は大声を出したり泣き叫んだりしたが、今はその気力は残っていない。
聞こえるのは、足元から時折する水の滴る音だけ。
絶望の足音といわんばかりに、部屋の扉の方から音がする。
現れた人物を、沙十美は睨みつける。
「随分と嫌われてしまいました」
口調だけは寂しそうに、だが口元には笑みを隠しきれていない男が沙十美の前に現れる。
「何で……。何でこんなことをするのよ!」
「これは心外ですねぇ。最初に約束したではないですか?」
その男は。
彼女が奥戸と呼んでいた男は、嬉しそうに手を上に大きく広げて沙十美へと笑みを向けてくる。
「私はあなたの望むように変わる力を貸してあげます。だからその願いが叶う、あるいはルールを守れなくなったら」
沙十美の顔を両手で掴むと奥戸は言葉を続ける。
「返してくださいってね」
沙十美が奥戸から借りた力。
それは未来を予知するという人ならざる力だった。
店にあるアクセサリーにはそれぞれにキャッチフレーズが付いている。
それを二つまで組み合わせることで、その言葉に応じた未来を知ることが出来るというものだ。
例えば、『明日の輝き』というネックレス。
そして『あの人に会いたいから』というイヤリング。
この二つを試着室で身に着けることにより、部屋の鏡にその未来が浮かび上がってくる。
この場合、沙十美の憧れの存在である坂田に会うときにどう動いたら彼から見て輝いた女性として見えるのかが示されるのだ。
奥戸はこの不思議な力を『よちょう』と呼んでいた。
――あなたの思う『予兆』とは漢字が一文字、違う字なんですよ。
そう言って沙十美へと笑みを浮かべた奥戸の表情は今、目の前にいる時と全く同じだ。
「だからって何で!」
「あなた、私の力を使っていることを他の誰かに知られましたよね?」
「!」
沙十美の脳裏に駅の近くで会った少年と少女の顔が浮かんだ。
「そ、それは……」
「困るんですよ。その人達に私の存在を知られると。説明してありましたよね? 私の力は誰にも知られてはいけないと」
「だ、だから誰にも言ってなかったわ! お店のことだって誰にも知られないように注意していたもの!」
「だったらなぜその人はあなたに接触するんですかね? これはルール違反です」
いつもと違い苛立ちを含んだ奥戸の声に、沙十美は言葉を詰まらせる。
「……おや、怖がらせてしまいましたね。そのつもりは無かったのですが」
一転して、くすくすと笑いながら奥戸は沙十美の顔を覗き込んできた。
「ルールを破ったからにはそれなりにペナルティが必要ですよね? それで私なりに考えてみたのですが」
再び沙十美の頬に触れながら、奥戸は続ける。
「どうでしょう? お友達にも責任を取ってもらうというのは?」
「な、何を言って……」
「ほら、冬野つぐみさん。あなたの大切な、優しいお友達。きっと友達の不始末を一緒に責任を取ってくれると思うのですよ」
「ふざけないで! あの子は何も関係ないでしょう!」
「いやね。お話を聞いている限り、とてもいい素材のようですので。あなたには強い『渇望』。そして彼女には『自己犠牲』を感じます」
奥戸は視線を下に向け、椅子の下に溜まっている黒い水に触れている。
ちゃぷりと音を立て水が揺らめく。
それを満足そうに眺めながら、彼は水面を揺らし続けている。
「私達はね、ご存じの通り不思議な力を使えます。ですが、それを使うと心とか体が苦しくなるんです。本来、人が持っていけないものを手に入れている為でしょうかね。そこでお薬と言いますか、鎮痛剤的なものが必要になって……」
指先に付いた水を舐めると、奥戸は嬉しそうに沙十美へと笑いかけてきた。
「それを作るのが私の仕事なんです。前にも言ったでしょう? 別のことでお金は稼いでいるって。材料はあなた方のような強い感情、思い。……いや
沙十美は話される言葉が理解できず、声を発することすら出来ない。
「いままでは己の強い欲望ばかりでしたから、今度は人に与えるという欲で作ったらどうなるんだろうって考えたんです。実に彼女の感情はそれに相応しい。何事も初めてのひらめきって、ドキドキしますよね。あぁ、とても楽しみです」
自分だけでなく、つぐみの命をこの男は狙っている。
その事実に沙十美は顔色を失う。
「でも私は、あの子にこの店の場所を話していない。どうやってここに連れてくるつもりなのよ?」
「大丈夫です。あなたがここにいるから。彼女はきっとあなたを捜しに来るでしょう? それを迎え入れる。ただそれだけですよ。もっとも彼女が来る頃には、あなたはもうここにはいないでしょうが」
「そんな……」
「あぁ、いい顔ですね。やはり最後まで顔を残しておくのがいい。それに私もただ、手をこまねいているつもりもないですよ。こちらから呼ばせていただきます」
「……呼ぶ? それは一体?」
自分のために友人が犠牲になってしまう。
その状況に失意を隠せぬままの声で沙十美は問いかけた。
「あなたと彼女の絆の証。二人の大事なお揃いのブレスレット。これが彼女を導いてくれます。なに、あなたは何も心配せずにそこで私達の糧になっていて下さい。素晴らしいですよね、私達の一部になれるのですから」
愉快そうに笑うと、奥戸はどこからか手にした小さなガラス瓶に黒い水を入れると部屋を出て行く。
沙十美はその姿を呆然と見送る。
「……どうしよう、このままではつぐみまで」
奥戸の言うとおり、このままでは勘の鋭い彼女のことだ。
今までの会話などでこの店の存在に気づき、ここに来る可能性は高い。
「どうしたら、……どうしたらいいんだろう。危険を伝えたくても、今の私に伝える手段は……」
諦めるわけにはいかない。
沙十美は必死に頭を回転させる。
「何か、何か考えるんだ。今の自分がつぐみに出来ることを」
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