第50話 多木ノ駅、喫茶店にて

「申し訳ございません。誠に申し訳ございません……」


 うつむきひたすら謝る彼女を眺めながら、クラムはアイスコーヒーを流し込む。

 ここは多木ノ駅近くの喫茶店だ。

 大量にかいていた汗、震えていた手に真っ青な顔、がぶ飲みしていた水。

 そこから導かれた結論はあまりにも単純だ。


『熱中症』


 クラムは、彼女に病院へ行こうと提案をしてみた。

 だが土曜日の午後という時間や、何より本人が涼しい所で休めば大丈夫と言っている。

 それもあり倒れた場所から一番近くにあったこの店に二人で入り、とりあえず様子を見ようという流れになったのだ。


「すみません、本当にすみません。……アンドリュー君」


 このままだとアンドリューにされかねない。

 クラムは口を開く。


「クラム。汐田しおたクラムです」


 とりあえずは、いい子モードで対応しておくか。

 そう決めたクラムが優しく話しかけると、彼女はうるんだ瞳で見つめてくる。


「あの、ありがとうね。クラム君、助けてくれて」


 その言葉に、クラムは一瞬ぽかんとしてしまう。


 助けたというのはこの場合、おかしいだろう。

 ……きっとこの子は、思考が人より少し残念なタイプだ。

 そう判断し、そのまま話を進めることにする。


「体調どうですか? 頭痛とかあります?」

「大丈夫、……みたいです。クラム君の怪我は?」

「僕は大したことないです。ええと?」

「あ、冬野つぐみと言います。初めまして!」


(……今、言うんだ。初めましてって)


 クラムは少しだけ痛む頭を、一気に飲んだアイスコーヒーのせいだと思うことにする。


「つぐみさんは大学生ですよね? 僕は高二なので年下ですから、敬語でなくて結構ですよ」

「え、でもクラム君は二つ下なだけだよね。だったら敬語じゃなくていいよ。お互いに普通に話そうよ」

「そうですか。……じゃあ、つぐみちゃん?」


 首を少しかしげつつ、クラムは名前を呼んでみる。

 自分が世間からは端正な顔立ちと呼ばれることを自覚している彼は、更に彼女に向けて微笑んでみせる。

 ボンとでも音を立てそうな様子でつぐみの顔が赤く染まった。

 その姿に単純で扱いやすそうだという印象をクラムは受ける。


「柔道部のマネージャーさんて大変そう。どんなお仕事やるんだろう?」

「あ、ごめんね。あれ嘘なの。柔道部って言ったら、相手の人が驚いて逃げてくれるかなーって思って」


 意外に頭が回る発言だ。

 クラムは思わずつぐみの顔をまじまじと見つめる。


「でもね、鳥海ちょうかい大学は本当に通っているんだよ。一年生です! ピカピカなんですよ!」


 えっへんと言わんばかりに彼女は話してくる。

 彼女の一連の行動のギャップに、クラムはかなりの戸惑いを覚えていく。

 天然なのか、それとも演技をしているのか。

 測りかねているところに彼女から声が掛かる。


「あ、そうだ! クラム君はどこの大学を希望してるの? うちも候補に入ってるといいなぁ!」

「あ、候補に入ってるよ」 


 今、入れたばかりだけど。

 クラムは小さく心の中で呟く。


「本当? やったぁ! 一緒に通えたら楽しいね!」

「そうだね。……つぐみちゃん。もう少し水分を取っておいた方がいいよ?」

「あ、本当だね! 教えてくれてありがとう!」


 頼んだアイスティーをストローでぐるぐると回した後、つぐみは嬉しそうに飲んでいく。


「そうだ! ハンカチはそのまま使って冷やして帰ってね。打撲はね、早めに冷やすのが大切なんだよ」

「へえ、良く知ってるね」

「うん。だって顔の腫れの手当てするのが、今日は二回目だから!」

「ど、……どういった状況ですかね、それ」


 その発言を誇らしげにいう彼女を、クラムは何となしに見つめ思う。


 自分とは違う『普通』の子。

 このコーヒーを飲み終えたら、さようならする女の子。


 ふとクラムが気づくと、彼女はこちらをまっすぐに見つめてきている。


「どうしたの、何か困ったことでも?」

「えっとね。実は私、物凄い人見知りなの。特に同世代の人って緊張してしまって、まともに話せないはずなんだけど」


 うつむき加減に、彼女は続ける。


「クラム君は全然、緊張しないんだ。どうしてだろうって思って」

「うーん、そうだなぁ。……多分だけど。お互い最初にみっともない姿を、見せていたからじゃないかなぁ?」

「あ、そうか! 確かに」


 くすくすと笑い、彼女は顔を上げる。


「一番下からのスタートですね。よろしく!」


 そう言ってつぐみは自分へと手を差し出してくる。

 彼女の顔を見たクラムに、名残惜しいという感情が生まれていく。


「……よろしく。ハンカチ汚しちゃったから今度、返したいんだ。だから連絡先、聞いてもいい?」


 気が付けばクラムは、自分でも予想していない言葉を口にしていた。

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