第49話 昼下がり、多木ノ駅周辺にて


「ふざけるなよ! この僕が、こんなぶざまな……!」


 汐田クラムは怒りが収まらないことにいら立ちながら、店を出てただひたすら歩いていた。

 だが怒りは歩みが進むごとに、収まるどころか増していく一方ではないか。


 あの奥戸の薬は、何としてでも手に入れたかったのに。

 クラムはやり場のない不満を抱え、同時に今回の目的であった薬のことを思い返す。


 あの味は凄かった。

 今まで支給されてきたものとは大違いの逸品と言っていい。

 それこそもう他の薬が欲しくなくなるくらいの甘美な味だったのだ。


「ほとぼりが冷めたら、また行ってみるか?」


 思わず口にしたが、クラムは即座にそれを否定した。

 おそらく室は、それを見越している。

 今度あの店で会ったら、きっと次は。

 ぞくりと背筋に冷たいものが走った。

 歩みを止め、近くの店の窓ガラスを眺める。

 映った景色を見るわけではなく、いるわけのない室の姿を無意識のうちに探している自分に気づくと、再び怒りが沸きあがって来た。


 あの時の情けなさが、屈服感が胸にぐっと押し寄せてくる。


「あぁ、腹が立つなぁ。僕がこんな思いするのは、どう考えたっておかしい話だよね」


 クラムの口元に笑みが自然に浮かんでくる。


「この不条理な怒りを収めてかなきゃ、帰れないなぁ」


 そう呟き、クラムは周りをぐるりと見渡した。


「……いた。面白そうな奴ら。えーと、一人、二人……全部で四人か」


 彼らと楽しい時間を過ごそうと決め、その『遊び相手』の元へと向かう。


「だってさ。きっとそうしたら、このイライラも消えてなくなるよね?」


 呟くその言葉は、夏の暑さの中へと静かに溶けていった。



◇◇◇◇◇


 

「うん! 冬野つぐみ、実にいい買い物を完了いたしましたっ!」


 つぐみは手のひらに収まっている可愛らしく包装された袋を見つめた。

 その口からは笑みがついついこぼれてしまう。

 本当はあれから真っ直ぐに帰ろうと思っていた。

 だがつぐみは予定を変え、多木ノ駅で電車を降りてシヤに渡すハンカチを買っていたのだ。


「ふふ、喜んでくれるかな? だったら嬉しいんだけどな」


 機嫌よく歩みを進めていく。

 ハンカチを買った店は、多木ノ駅とつぐみの家の中間地点にあった。

 そのこともあり、そのまま店から歩いて帰ることにする。

 夏の昼過ぎという時間帯、暑さもピークに近い。

 駅の周辺から離れつつあるのと、暑さのせいか人通りもまばらになってきた。


「日傘でも、持ってればよかったなぁ。さすがに、暑いや」


 休憩をした方がいいとつぐみは判断するが、ここは涼を取れそうな喫茶店やコンビニもなく、工場や民家が立ち並ぶ場所だ。

 ましてや今日は土曜日ということもあり、工場も休みが多いようで辺りは静まり返っている。


「仕方がないや。もうひと頑張りして帰ろう」


 幸いにして自販機を見つけたので、お茶を買い一息ついて気合を入れなおす。

 歩き出した先の光景に、つぐみは足を止めぐっとそれを見据える。

 しばしうつむいた後くるりと背を向け、もと来た道へとつぐみは走りだした。



◇◇◇◇◇



「だから、謝ってくれって言っているんだよ」


 ニヤニヤしながら話しかけてくる会ったばかりの男を、クラムはさめた目で見つめる。


「言葉、わかんないのかなぁ。そんな目でずっとみていたら、嫌な思いするんだよ!」


 どん、と押され彼はよろめく『振り』をした。


「こいつ気持ち悪いよな。俺達の後ずっとついて来てさ」


 男の言葉に突き飛ばしてきそうなのを察して、怯えた顔をしてクラムは一歩さがる。


「おい。もうそんな奴、相手にするの止めようぜ」


 四人のうちの一人が言うと、残りの二人も同意しているのが聞こえる。


(なんだ、つまんないな。じゃあ残りのお兄さん、あなたは?)


 期待を込めて。

 だが表面上は不安そうな顔つきで、クラムは突き飛ばして来た男を見やった。


「俺は何だかまだ、むしゃくしゃしてるなぁ」


 その言葉にクラムはうつむき、顔を隠しながら静かにわらう。


「それじゃあ俺は、こいつに少しお兄さんとして。『世の中の厳しさ』ってやつを教えてから行くわ」

「ほどほどで帰って来いよ。先に行ってるからな」


 意気揚々と仲間に別れを告げた男は、クラムを見つめにやりと笑う。


「じゃ、言葉が解らないだろうけど、教えてやるよ」


 男はぐっとクラムの肩を引っ張る。

 それを振り払い、怯えた風を装いクラムは駆け出した。

 目を閉じ静かに発動を開始すると、彼のまぶたの中で周囲の景色が広がっていく。


 ここから右に行くと狭い道で、こちらには人が一人いる。

 反対側の左側は同じく狭い道で、こちらには辺りに誰もいない。

 ならば左だ。

 どうだろう、ついてきているだろうか。


 そう考えながらクラムは目を開き後ろを振り返ると、よろよろとした足取りで走りだす。

 望み通りに男は、にやついた顔で自分を追いかけてきていた。


 しばらく走ってから、誰もいないことを確認しクラムは立ち止まる。

 近づいてきた男は、嬉しそうにクラムの前に立つと拳を振り上げた。

 一回、二回。

 クラムの顔に男の拳が次々と襲いかかる。

 彼の口の中には血の匂いが充満していく。

 抵抗もせず尻もちをついたクラムの目に、男が膝を曲げて大きく蹴り上げようとしているのが見えた。

 クラムは腕を交差させて顔を守る。

 その動きを見た男はニヤリと笑う。

 次の瞬間、クラムの腹に痛みが走った。

 出すつもりもないうめき声が、クラムの口からこぼれていく。


 そのまま続けて肩に二回、衝撃が来る。

 ここまでで五回。

 クラムは冷静に自分への攻撃を反芻はんすうし呟く。


「もうさ、これ正当防衛でいいよね?」


 クラムは右手に集中して力を込めた。

 発動の完了を体に感じると、黒く膨らんだ今までの怒りがクラムの心の中から溢れ出していく。


「さぁ、解放しよう。……さようなら、お兄さん」


 言葉と共に見上げた自分の表情を見た男が、驚きに顔をゆがませていく。

 自分が一方的に殴っていた少年が、喜びに満ちた顔をしている。

 そのことに、男は得体のしれない恐怖を覚えているようだ。


 クラムが右手を振り上げたその時。


「いたー! アンドリュー君ここにいたのね! 先輩方! 見つけましたー!」


 この場にとてつもなく相応しくない、のんびりとした声が響いた。

 想定外の出来事にクラムは思わず右手を止め、声の主の方へと目を向けていく。

 クラム達が来た方向からビニール袋を下げた女性が、笑顔でこちらにやって来るではないか。


「とうっ! 鳥海大学柔道部マネージャー冬野! 参上です!」



◇◇◇◇◇



 息を切らしながらやってきた女性は、クラムに向けてビニール袋を掲げて見せる。

 ビニールには飲み物が数本、入っているようだ。


「もうアンドリュー君。勝手にいなくなるんだもん。おかげでみんなの飲み物、私が運ぶことになったじゃないですか」


 頬をぷぅと膨らませて、女性は一人で話し続けている。

 その行動に男とクラムはただ茫然とするだけだ。

 そんな様子にお構いなく、彼女は来た道を振り返り叫ぶ。


「先輩方~! 私達ここにいま〜す。早く来てくださ~い!」

「な、誰か来るのかよ!」


 複数の人間が来ると聞いた男は、慌てて彼女が声を掛けている道の反対側へと走り去っていった。

 それを見送りながらクラムは考える。


 一体なんなんだ、こいつは。

 そもそもこの周りには誰もいないではないか。


 目を閉じクラムは周りを気配を察知する。

 やはり今この辺りにいるのは、さっき逃げて行った男と自分とこの女性の三人だけだ。


「つまりは。これは女の嘘。……何のために?」


 呟きが聞こえたのだろうか。

 後ろを向いていた女性はふうとため息をつくと、厳しい表情を向けたままクラムの方へと向かってくる。

 その表情にクラムはこの相手が敵の発動者ではないかいう考えを抱いた。


「まさか白日か? まずい、早くこちらも発動しないと」


 クラムは自身の右手に集中しようとする。

 だが、先ほどの発動を急に解除した反動が来て体に力が入らないのだ。


「う、嘘だろ。こんなところで僕が?」


 声が震えていることにクラムはいら立ちを募らせる。

 自分は上級発動者なのだ、その辺の低レベルの奴らとは違うはずなのに。


「嘘だ! このまま殺されるなんて!」


 必死に力を入れるが、体は動こうとしない。


「ぐうっ」


 みっともなく後ずさるのが今の自分の精いっぱいだ。

 真っ直ぐに自分の方へと向かいながら、女性は鞄から何かを取り出している。

 こんな所に来たせいで。

 ……やり場のない屈辱に堪えきれず、クラムは思わず目を閉じる。


 次にクラムに来た感覚は、頬にひやりと濡れた感触。

 驚いて目を開ければ、女性が自身のハンカチをクラムの頬に当てている。

 クラムが視線を下に向けると、ミネラルウォーターが開封された状態で置かれていた。

 ここに来てようやく、彼女が手当てをしているのだとクラムは気付く。


「あのっ、勝手にアンドリュー君って呼んでおいて何ですが、あなたの名前なんですか? っていうか大丈夫ですか? あぁっ。また聞く順番を間違えているよ、私!」


 女性はハンカチに再び、ミネラルウォーターを掛ける。


「ごめんね、痛むでしょうけど」


 そう言いながら、クラムの顔にそっとハンカチを当ててくる。

 戸惑っているクラムの様子と沈黙に耐えられなくなったのか、女性は一方的に話し出した。


「あの。少し前にあなたが四人組に絡まれているのを見つけたんです。助けたかったんですが、その、怖くて……」


 クラムの顔を押さえてる彼女の手は、ひどく震えている。


「そ、それでおまわりさん呼ぼうと思ったんです。だけどそれじゃあ、来てくれる時間に間に合わないだろうと思って。そうしたら二人でこちらに行ったので人数が少ないなら、嘘をついて人がたくさんいるって言ったら、きっと何とかなると思って……」


 あまりにおろおろした女性の様子に、逆にクラムは冷静になっていく。


「本当は殴られる前に、こちらに来られたらよかったのですが。……ごめんなさい」


 なぜこの人が謝るんだろう。

 分からない、全く理解が出来ない。


 クラムはそう思いながら、少し向こうに投げ出されたように置いてあるビニール袋を眺める。

 近くの自販機で彼女はこれを買ったのだろう。

 連れがたくさんいると見せかけるためだけに、この人はわざわざ買ったというのか。


 クラムの視線に気づいた女性が、慌ててビニール袋を取りに行く。

 すぐさま戻って来ると、クラムの目の前にずいっと袋を差し出してきた。

 下から見上げるように自分を見つめた後に、おずおずと話しかけてくる。


「お、お好きなもの、……どうぞ」


 別に飲みたい訳ではないのだ。

 そう思ったクラムだが、口の中の血は確かに鬱陶うっとうしい。

 体が動くようになってきたのを確認すると、クラムは袋の中にあるミネラルウォーターを一本取り出し口をゆすいだ。

 血の味がだいぶ薄くなったの感じ、改めて女性を見つめる。

 その視線に気づくと、彼女はさらにおろおろしはじめた。


「大丈夫です! 私が勝手に買ったので、そのお水はもちろん私のおごりですよ!」


 話しながら彼女は手当で残った水を、がぶがぶと飲んでいく。

 次から次へと出てくる斜め上過ぎる発言と行動に、クラムはどう言ったらいいかわからない。


 馬鹿じゃないか、なぜわざわざこんなことするのだ。

 見返りもなく行動している、この不思議な女性と自分との世界はあまりに違いすぎる。

 そのことにクラムはもやもやした気持ちが消えない。

 今の自分はかなり混乱している。

 ここは退散したほうがいいと考えたクラムは彼女に声を掛ける。


「水、ありがとう」


 クラムはお礼を言って立ち上がろうとするが、ぐらりとした感覚と共によろめいてしまう。


(あれ、まだ動けないのか)


 再び座り込んだ自分に気づき、彼女が駆け寄ってくる。

 心配そうに見つめてくる、その顔は真っ青だ。


(――馬鹿じゃないの? 初対面の人間に)


 ここまでお人好しが過ぎると、呆れるしかない。

 何の迷いもなく自分に差し出される手を、クラムは一瞬つかもうか悩む。

 だが目が合った彼女は。


「大丈夫ですよ?」


 そう言って自分に笑いかけてくるのだ。

 その姿があまりにも美しく、自ら求めるかのようにクラムは手を伸ばしてしまう。

 握った彼女の手はひどく汗ばんでいる。

 気が付けばクラムは、立ち上がりざまに空いた方の手で彼女を抱きしめていた。


「え、え、え、え……」


 同じ単語を馬鹿みたいに繰り返す彼女の頬に、クラムは軽く唇を当てた。

 この暑さの為か、一連の行動の為か。

 彼女の顔には、水に掛けられたかのような汗がいっぱいに浮かび上がっている。


「!」


 硬直し何も言わなくなった彼女を置いて、クラムは歩きはじめた。

 動いてくれる足に安堵しながら、しばし歩いた後にふとクラムは振り返る。

 彼女は先程の場所で、立ち尽くしたままだ。


 ――あれ、僕。なんであんなことしたんだろ?


 自分自身の行動に驚きつつ、クラムは駅に向かって再び歩き出す。

 さらに数歩、進んだのちよくわからない感情のままに思わずクラムは振り返った。

 彼女は先程の場所で、倒れている。


 ――倒れている。


「え、え、え……?」


 数十秒前の彼女と同じように。

 馬鹿みたいに単語を繰り返しながら、クラムは彼女に向かい走りだした。

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