第255話 朧にて その3
「ねぇ、沙十美。彼女は私達が呼び寄せたのかしら」
握った手を離さないまま、つぐみは問いかける。
「私にも分からないわ。あの子には怖い思いをさせてしまったわね」
少女に対する申し訳なさを顔に出しながら、二人は共に月を見上げた。
どれくらいそうしていただろう。
沙十美の手がそっとつぐみから離れていく。
思わずつぐみが隣を見れば、考えこんでいる様子の親友の顔が映る。
やがてためらいがちに沙十美は口を開いた。
「ねぇ、つぐみ。本当はこんな話は……。あまりしたくはないのだけれど」
何かを決めた表情だ。
そう感じたつぐみは彼女の言葉を待つ。
「私がもし消えてしまって、それでもあの子がまだ存在するときには。あなたに彼女のことをお願いしたいの」
この話はつぐみにとっては聞きたくない内容のようだ。
驚いて見つめた沙十美の顔には、悲しげな表情が浮かんでいる。
「私の宿主は室よ。あいつの仕事を考えても、いつあの男が死んでしまうか分からない。そうすれば恐らく私も消えるでしょうね」
『いやだ。そんな話をしないで』
そう言いたいのに。
言葉がつぐみの喉に張り付いたように動こうとしない。
胸が苦しくて、言葉を出すことができないのだ。
「もちろんそんなつもりも予定もないわよ。知っていると思うけど、あいつ本当に強いから。もちろん私もね」
何かがふっきれたような声と表情で沙十美は小さく笑う。
つぐみはこらえきれず、ぽろぽろと涙をこぼしながら彼女に抱き着いていく。
「嫌だからね。私に黙って沙十美が勝手にどこかに行ってしまうなんて、絶対に許さない。そ、そんなふうに言うのだったら私だって、いついなくなるか分からないんだから! そうしたらあなたにさとみちゃんを私がお願いするんだもん!」
もはや自分で何を言っているのか分からない。
だが、『いなくなる』ということに彼女は覚悟を決めてしまっているのがつぐみにも伝わってきてしまう。
万が一そんな状態になってしまった時に、沙十美には簡単に諦めないでほしいのだ。
願いを込め、つぐみは言葉を重ねる。
「だからお互いに約束しよう。私は沙十美の前から勝手にいなくならない。だから沙十美も私の前から勝手にいなくならないで!」
すんすんと鼻を鳴らして泣きながら、つぐみは沙十美の体を強く抱きしめる。
「ばかねぇ、つぐみは」
頭を優しく撫でながら、沙十美も腕に力を込め互いに強く抱き合う。
「いいわ、約束しましょう。私達は二人で小さな私を守り続ける。そしてお互いに勝手にいなくならない。それをここに誓うわ。それでいいかしら?」
ちっとも良くないのだ。
冗談でも例えでも、本当はこんな話はしたくない。
その考えがつぐみの頭の中でぐるぐると回る。
だがその一方でつぐみは気付いているのだ。
二人は共に発動という存在を知り、もう普通の世界からは離れた立場にいるのだと。
今までに起こった出来事はどれを見ても、命をなくしていてもおかしくはないことばかりだったのだから。
この約束により、少しでも彼女に生き延びたいという思いが生まれるように。
そしてつぐみ自身がこれから先、どんな大変な出来事が起こっても決して諦めない心を忘れないために。
互いに『
「わかった、私も約束する。ここに誓う。私達は決してお互いを、さとみちゃんを一人になんてさせない!」
つぐみはゆっくりと体を戻し、沙十美の顔を見る。
泣きはらして顔も心もグチャグチャのつぐみと違い、沙十美は目の隅にほんのりと涙が留まっているだけだ。
そんな少し潤んだ瞳につぐみは思わず見とれる。
どんなときでも沙十美は強くて綺麗だ。
涙で光るその目の輝きは、頭上でつぐみを見守る星のようだ。
そして優しくつぐみの手を包んでくれているその手のひらは。
今ここに二人が存在しているという力強さを気づかせてくれるのだ。
「さて、そろそろ朝が来るわ。今日は付き合ってくれてありがとう。もし、観測者から何か話や接触があったらすぐに連絡するわ」
沙十美は立ち上がり、自分の手のひらをじっと見つめる。
そうして小指だけを立てると、つぐみの方へと差し出してきた。
「ほら、約束するならばこれでしょ?」
彼女の言葉につぐみもうなずくと手を伸ばして、互いの小指を絡める。
二人で上下に手を振りながら指切りげんまんを歌っているうちに、笑いがこみ上げてくる。
とうとう最後まで歌えぬまま、共にお腹を抱えて笑ってしまう。
「ちょっと! 私達もう二十歳ちかいのに何やってるんだか!」
「そうね。ずっと歌ってなかったわね、この歌」
今までと変わらない会話。
これからもずっと変わらずに続けていこう。
静かにつぐみは願う。
沙十美の手のひらが、つぐみのまぶたを覆うようにそっと添えられる。
「じゃあね、つぐみ。小さな私によろしく言っておいて。……おやすみなさい」
ひんやりとした手。
その心地良さにつぐみは心を委ねる。
「おやすみ、沙十美。またいつでも呼んでね」
声を掛けて眠りの世界へと戻って行く。
――大切な誓いを忘れないように、守っていけるように。
今一度、その念いを抱きしめつぐみは意識を眠りに託した。
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