第39話 靭惟之

「いやー。最初はてっきりヒイラギが、彼女が出来て連れてきたのかと思っちゃったよ」


 嬉しそうに話す男を、つぐみは黙って眺める。

 男は、出来上がったかき玉にゅうめんをあっという間に食べきった。

 そのまま隣に座るヒイラギの背中を、楽しそうにバシバシと叩いている。

 一方のヒイラギはと言えば、無表情でただ天井を眺めているだけだ。

 どうしたらいいかわからず、つぐみはシヤへと目を向ける。


 彼女は、何もなかったかのようにご飯を食べ続けているのみ。

 品子はまだ眠っているのか、リビングにはいない。


 誰も自分に、この人の話と状況を説明してくれないのだ。

 このままでいけないと思ったつぐみは、自分から動くことにする。


「あの、すみません。よろしかったらおかわりお持ちしますけど? ええと、何とお呼びすれば……?」

「え、いいの? 気が利くねぇ。そうそう自己紹介! ごめんね、まだだったね」


 男はにこりと笑い、つぐみに空になった椀を差し出してきた。


「俺の名前は靭惟之うつぼこれゆき。この子達とは……」

「暇さえあれば、あんなことやこんなことをしてやろうと考えてる、ただの変態野郎だよ」


 後ろから掛けられた言葉に、つぐみが振り返る。

 そこには、不機嫌そうに自分達を見つめてる品子の姿があった。


「お前。初対面の人間に、何とんでもない嘘を刷り込もうとしてんの?」


 惟之は驚いた様子で、品子へと視線を向けていく。


「……うるさい。お前がここに来るなんて聞いてない。昼過ぎに、こちらから行くと言ってあったはずだ」


 品子のいつもと違う、冷徹れいてつな態度につぐみは戸惑う。


「彼女は私の生徒で、冬野君という子だ。私は彼女の友達との関係について相談に乗っていた。その話の途中で、彼女が体調を崩したんだ。更には独り暮らしで不安だと言っている。だから、近くにあるこの家に連れてきたんだよ」



 どうも話がおかしい。

 だが、品子が冗談で言っているわけではないというのは、雰囲気で分かる。

 つまり沙十美の話を、この男に知られてはいけないということだ。


 ならば、自分は品子に合わせよう。

 先程の品子の言葉を思い返し、つぐみは口を開いた。


「……初めまして。冬野です。先生がおっしゃったように、相談をしていたら気分が悪くなってしまって。申し訳ないと思ったのですが、こちらに泊まらせて頂きました」

「そうなんだ、体調は良くなったの?」

「はい。おかげで元気になりました」

「それはよかったね」


 改めてつぐみは、惟之を見てみる。

 アンクル丈の黒のスラックスに淡い青のオープンカラーシャツという涼し気な姿。

 センタパートの短髪のくっきりとした顔立ちには、同級生にはない大人の雰囲気が漂っている。

 すらっとしているけれど、華奢というわけではない。

 褐色に焼けた体はしっかりと引き締まっている。

 サングラスで隠れているので、目はよく見えない。

 にこやかに自分を見てくる様子は、穏やかな人という印象だ。

 あまりにまじまじと、顔を見ていたためだろう。

 サングラスに触れながら、惟之はつぐみへと話しかけてきた。


「俺は目が他の人より悪くてね。礼儀を欠いて申し訳ないとは思うが。……これは外せないんだ」


 初対面の人の顔をここまで見るのは、たしかに失礼だ。

 あわててつぐみは、惟之へと言葉をかける。


「も、申し訳ありません。初対面なのに失礼なことを。えっと、おかわり持ってきますね!」


 惟之の椀を受け取り、つぐみは台所に戻る。

 鍋の汁を温めていると、リビングから品子の声が聞こえてきた。


「おーい、すまないが冬野君。私の分も、お願いしていいだろうか。あ、ネギがもっと食べたいな~」


 品子の声に、つぐみは返事をする。


「わかりました! ネギを追加で切りますね。少し時間かかりますが、待っていてください!」


 あまり仲が良くなさそうだが、二人にしておいていいのだろうか。

 だが、ヒイラギ達がいるから大丈夫だろう。

 そう思っていたのだが、気が付けば兄妹ともリビングからいなくなっていた。

 自分達の部屋に戻ったのだろうか。

 気にはなりつつも、つぐみは料理に再び取り掛かることにした。

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