第40話 人出品子と靭惟之の場合
「冬野さんね、可愛い子だねぇ。ああいう料理好きの子はポイント高いよな」
ふざけた口調の惟之に品子は苛立ちを隠せない。
「……何しに来た? 資料はこちらから返しに行くと言ったはず」
つぐみに聞こえないようにと、品子は小声で惟之へとささやく。
彼も同様に声を潜め返事をしてくる。
「いや、ついでにこちらに来る用事あったからさ。だったら俺が、そのまま資料を持って帰ればいいなと思ってここに来ただけだよ。そうすれば、お前も来なくて済むから一石二鳥だなと思って。ほら、本部には会いたくない人達もいるだろうし」
「それはどうもご丁寧に。資料は今すぐ返却しよう。彼女は今、友人の件でとても不安になっている。何も知らない彼女にこれ以上、負担をかけたくない。飯を食ったらすぐ帰れ」
品子の提案に、惟之は不満そうに言葉を続ける。
「なんでだよ。あの子が千堂沙十美の情報を今、一番もっているんだろ? なら解析組の俺だって話を聞かせてもらってもいいはずだ。違うか? それとも俺がここにいるのは何か不都合でもあるとでも?」
台所の方からいい匂いがしてきた。
もうじき料理が届くだろう。
いま彼女にこちらに来られて、惟之と話をさせるのは避けた方がいい。
品子はそう考え、つぐみに追加で料理を頼み時間を稼ぐ。
「あの子は普通の人間だ。力も持っていない子を必要以上に動揺させてまで、彼女に聞く必要がどこにある?」
「あるだろうよ。……なぁ、品子。あの子に、その無力とお前が言っている彼女に」
惟之はサングラスを指で押し上げると、品子をまっすぐに見据える。
「お前は何をしようとしている? 一体、何をさせようとしている?」
◇◇◇◇◇
ガタンと大きな音が、リビングから聞こえた。
その音に思わずつぐみは振り返る。
二人に何かあったのだろうか。
コンロの火を消し、リビングへと向かう。
部屋に入ってすぐに、つぐみは思わず息をのんだ。
惟之に上から覆いかぶさるようにしながら、右手首を掴まれ自分の下にいる彼を鋭く睨んでいる品子。
そしてそれに動ずることなく、今にも額に触れんばかりの品子の指先を、下から見上げ笑みを浮かべている惟之がいたからだ。
「なっ、何が? 先生!」
「冬野君! 体調はもう大丈夫だろう。今日は帰りなさい。後はヒイラギ達がやってくれるから!」
「でも先生、こんな……」
「いいから帰るんだ! 早くっ!」
「いやいや、まだ帰りたくないよね? 『無力な』つぐみちゃんはどう思ってるの?」
その呼びかけに、品子が自分へと目を向けた。
その隙を突き、惟之は品子の手首を強く握り直す。
握られた痛みに品子は顔をゆがませる。
惟之はそのまま横に押し倒すように、もう一方の手で品子の体を強く突き飛ばした。
そのまま体勢を崩し、倒れてしまった品子を横目に、惟之は立ち上がる。
「あー、やだやだ。暴力的な女って怖いなー」
腕をぐるぐると回しながら、つぐみの元へと惟之がやって来る。
「さてっと、俺さぁ。つぐみちゃんに、聞きたいことがあるんだけど」
「……私に、答えられることでしたら」
「そんなに怖がらなくても大丈夫だよ。初対面でまだ知らないから、警戒しているだろうけどさ。俺、結構いいやつだから」
「そうですね。確かに私は靭さんとは初対面ですが、そちらは私をよく知っているようで?」
「えー。どうしてそんなことを言うんだい? さっきお互いに自己紹介したばかりでしょ?」
近づいて来る惟之の姿に、つぐみは無意識に一歩、後ろへと下がった。
「確かに自己紹介はしました。でも私、苗字だけでしか名乗っていませんが?」
「あれ、そうだっけか? 品子が言っていなかったっけ?」
「先生も確かに、私の苗字は何度か呼んでいました。ですが名前は言っていませんし、私も名乗っていないです」
「惟之! この子は友人の件で今とても不安な精神状態にいる。変な質問をしてこれ以上、惑わせることは私が許さない!」
手首を押さえながら、品子が二人に向かい叫んでくる。
「うるさいなぁ。別に取って食うわけじゃないんだから。……さてと、冬野さん。君に聞きたいんだが」
惟之は、改めてつぐみに向き直った。
その顔に浮かぶのは笑顔だ。
だが、張り付いたような笑みだとつぐみには映る。
「俺が今日、ここに来たのはある資料を人出さんに貸していた。それを返してもらいに来たんだよ。それはとても大事な資料でね。第三者に見られるなんて、あってはならないものなんだ」
「待て、惟之! 私は……」
「人出品子。私はあなたに
惟之は胸元のポケットからスマホを取り出し操作をすると、ポケットに戻し品子を見つめる。
「……」
品子がうつむき、黙りこむのをつぐみは目にする。
これは、とてもよくない状況ではないのだろうか。
自分の答え方によっては、品子が罰せられるかもしれない。
ならば、これからの発言を間違えることは許されない。
落ち着いて、しっかり考え答えなければ。
ゴクリとつばを飲み込むと、つぐみは前に立つ惟之を見上げていった。
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