第115話 届けに来ました★

「いない……」


 倉庫に人の気配はなく、くしゃりと置かれた二枚のスカーフが落ちているだけ。

 つぐみ達の姿がないことに女は焦る。


「やっぱり田中に連絡が取れないな。どこに行ったんだ?」


 山田がいらいらとした口調で、スマホを耳に当てている。


「……誰もいないのならば、早くここを出た方がいいわ」

「そうだな。……お、田中からの電話だな。もしもし、今どこだ?」


 折り返しの電話に、山田が応対している。


「え、そうなのか。それはちょっと困るんだが……。なんだ。案外、近い所にいるな。じゃあ取りに行くから、そこで待っていてもらえるだろうか? すまないな」


 山田は電話を切ると、女へと向き直る。


「田中はどこにいるの?」

「相手が田中ではなかったよ。このスマホが落ちていたから、警察に届けていいかって電話してきたんだ。それは困ると言ったら、近くに居るから取りに来たら返すってよ」


 田中ではない相手。

 そしてそいつは近くに居ると言っている。


「……ねぇ、相手はどんな人だった?」

「若い男だな。学生じゃないかと思うんだが」


 山田の言葉に、女の全身から血の気が引いていく。

 緊張のせいで、吐き気すらしてくる。

 ここから早く逃げねばならない。

 それだけを思い、出口へと駆け出していく。


「く、車へ戻るわよ! すぐにここから離れなきゃ!」

「おい、どうしたんだよ。田中のスマホ取りに行かなけりゃ……」

「そんなものどうでもいい! 死にたくなかったら早く移動するのよ!」


 緊張でいつものように動かない手足を必死に動かし、出口へと急ぐ。

 外への扉を開け、車の方に目を向ける。

 女の口から「ひっ」という声が勝手に出てきた。


 ――車の前に、少年の姿をした死神が、自分達を待ち構えていたからだ。



◇◇◇◇◇



「こんにちは。スマホを届けに来ました」


 にこりと笑い、少年は二人の方に歩みを進めてきた。

 それを見た女は、山田の後ろに隠れる様に下がっていく。

 山田の目線が、不思議そうに女と少年を行き来する。

 次第に近づいて来る少年の、天使のような美しい顔の左頬。

 そこには、大きなガーゼが貼られていた。


「あれ、俺って場所って伝えたっけ? すまないな。わざわざ」


 山田は呑気に話しかけている。

 少年が、この男に気を取られているうちに逃げなければ。

 そう思い、女が足を踏み出そうとしたその時。


「……あぁ、お姉さん。あなたにも聞きたいことがあるんですよ」


 ぞわりと、体を何かが這いまわるような感覚。

 途端に、女の体の自由が利かなくなる。


「……うん、やっぱこうやってやるんだ。室さんのレベルまではいかなくても、僕にも出来るんだぁ」


 嬉しそうにしている少年を見つめながら、女はただ震えることしか出来ない。

 山田は女が突然おびえたのを見て、少年を不思議そうに見つめた。


「あ、そうでしたね。落ちていたスマホなんですが」


 ごそごそと自分の鞄をまさぐった後、少年が出してきたスマホに山田は息をのむ。

 彼の手に握られた、透明のビニール袋に包まれた見覚えのある田中のスマホ。

 それが、赤黒い塗料のようなもので染められていたからだ。


「僕の鞄が汚れるのも嫌なので、これに包みました。僕はそのビニールはもういりません。だから捨ててくれていいですよ」


 にこにこと、まるでお使いで届け物に来た幼い子供のような姿と会話。

 その『届け物』との相違に、二人の思考は停止する。


「あれぇ、要らないんですか? ……まぁいいや。僕ね、聞きたいことがあるんです」


 そのまま少年は、田中のスマホを地面に落とす。

 アスファルトに当たったスマホが、がしゃりと音を立てた。

 耳障りな音など意に介することなく少年は、顔に貼ってあったガーゼをゆっくりと剥がしていく。

 そこにはつぐみに付けたものと同じ場所に、赤い線のような傷が三本。


「素直に話せば、多少の慈悲は考えます。この傷を彼女に付けたのはどちらですか?」



◇◇◇◇◇



「こ、この男です。こいつが彼女の頬に傷を付けました!」


 女は、山田を指差し叫んだ。

 自分の体と同様に。

 いやそれ以上に震えた声が、口から飛び出していく。


「な、何を言ってるんだよ! あの娘を傷つけたのはお前じゃないか! 俺はあの娘には触れてもいないぞ!」


 山田が女に怒鳴りながら、胸ぐらを掴み上げてくる。

 呼吸が苦しい。

 でもそんなことはどうでもいい。

 そんな苦しさよりも、もっとおぞましい怪物がこちらを見ているのだ。

 女はもはや、その怪物から目を離すことが出来ない。

 目を合わせようともしないことに気づいた山田が、女の目線の先を追う。

 そこには、相変わらず微笑み続けている少年の姿があるのみ。

 山田は女から手を放すと、少年に歩み寄り話しかけていく。


「なぁ、お兄ちゃん。スマホはありがとうな。どういった訳かスマホにとんでもない装飾が出来ているんだが、これは誰の仕業かお前は知っているのか?」

「あ、はい。知っていますけど……。でも、僕の方が先に質問した答えが聞けてないんです。どちらが彼女にひどいことをしたのですか?」

「なんだ、あの娘の彼氏か? お前」

「……いいえ、違います」

「髪の色が違うから、兄妹と言うわけでも無さそうだが。とにかく傷は俺が付けていない。あの女が爪でバリバリ何回も引っ掻いていたんだよ。そういえばその時、あの子は痛そうに泣いてたな」


 やめて! 余計なことを言わないで!

 そう叫びたくなる衝動と恐怖をこらえ、女は二人を見つめる。


「……では、彼女を襲った理由は?」


 相手の姿と低姿勢な態度を見て油断している山田は、鼻で笑いながら女を指差すと話を続ける。


「この女が俺達に襲われていると勘違いして助けに来たんだよ。こいつがグルだとも知らずに一生懸命だったぜ。さぁ、答えたぞ。お前の番だ」

「……ふうん、なるほど。教えて頂いてありがとうございます。では」


 少年は自分の右手を静かに胸の前へ持ってくると、ぐっと握り締める。

 ちらりと自分の手を眺めた後、山田の方を見てにこりと笑い、その拳を大きく横に振り抜く。


「さようなら」


 その声が山田の耳に届いたのだろうか。

 山田の耳は。

 いや山田の頭はその体から離れ、捻じれ飛んでいた。

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