第365話 千堂沙十美は赤面する

「それはそれは。随分とふざけたおたわむれをなさった方がいらっしゃること」


 普段使うことのない千堂せんどう沙十美さとみの言葉遣いに、むろ映士えいじは彼女の怒りの大きさを知る。


「お怒りはごもっとも。なにせ千堂さんの親友ですからね。そこでですね……」

「ふざけんじゃないわよ! あの子がどうしてそんな目に遭わなければいけないわけ!」


 強く机を叩きながら、沙十美は部屋の天井近くに向かって叫んでいる。

 対話の相手である観測者かんそくしゃは、今日も姿を見せることはない。


「わわっ、だから話の前に言ったではないですか、『どうか落ち着いて聞いてください』って」

「落ち着いているわよ! 心の底から落ち着いているわ!」

「今のあなたを見て、そう認識できる人は誰もいないと思いますよ。えぇと、室さん。何とかしていただけませんか?」


 困り果てた男の声が室の名を呼べば、沙十美の視線が自分へと向けられる。


「室、すぐに探しに行くわよ! あの子、きっと泣いてる。許せない、絶対に許さないんだから!」

「……もう少し、冷静になれ千堂。あまりにも情報が少なすぎる。行動するにしても、観測者の話を聞いてからにすべきだ」

 

 室の言葉が正しい。

 そう思える判断力は、まだ残っていたようだ。

 沙十美は、どかりと室の向かいのソファーに座ると、ぐっと天井をにらみつける。


「観測者、あなたの知っていることを、全て話してちょうだい。今、あの子はどこにいるの?」

「あぁ、やっとお話が出来るようになりましたね。さて、そんな矢先に申し訳ないのですが」


 言葉を途切れさせた観測者に、沙十美がいぶかしげな表情を浮かべる。


「冬野つぐみさんがさらわれた。それ以上のことは分かりません」

「はぁ? どういうことよ、それ!」

「言葉そのままですよ。居場所も犯人も、全く分かっていません」

「……、そういうことなのか?」


 室の問いかけに、観測者はわずかに間をおいて答える。


「……その通りです。ですので私は、千堂さんに協力を求めに来ました」

「えぇっと、つまりは『おぼろ』につぐみを呼び出して、居場所を尋ねてほしいってことなの?」


 戸惑い気味に尋ねる沙十美へと、観測者は答える。 


「それが出来たらお願いしたいですね。……おそらくは、無理でしょうが」

「えっ、そうなの?」

「その接触が出来る程度の相手であれば、すでに観測者が見つけ出しているはず。それが出来ないということは……」


 室の言葉に、睨むように眉を寄せ、沙十美が口を開く。


「少し時間をちょうだい。私、今から朧に行ってあの子を呼んでみる」


 ソファーから立ち上がった沙十美だが、その動きがぴたりと止まる。

 ぐっと唇をかみしめ、天井を見上げる彼女の顔は真っ赤だ。


「……観測者。いっ、今からする行動に少しでも口をはさんできたら、あなたとはもう絶交するから! わかったわね?」

「えっ、それは一体どういうことですか?」

「いいから! しばらく室と大人しく待ってなさいってことよ!」


 話を続けながら、沙十美はクローゼットからブランケットを取り出した。

 彼女はうつむきながら早足で、室が座るソファーの後ろへと回り込んでいく。

 背中に来る軽い振動で、彼女がソファーの背面にもたれかかってきたのがわかった。


「はぁ、なるほ……」


 観測者がそう言いかけるのを、小さく手を上げて制し、そのまま煙草へと手を伸ばす。

 彼女が朧へ向かうまでは、このまま大人しくしていた方がいい。

 観測者もそう理解したようだ。

 静まり返った部屋には、煙草の煙だけがゆらゆらとその存在をあらわしていく。

 やがて沙十美の規則正しい寝息が聞こえてくると、「もういいですかね」と再び観測者の声が響いた。


「可愛らしいですね、千堂さん。そこが朧に行く際の、定位置ということなんですか?」

「知らん。興味があるなら、本人に聞けばいい」

「嫌ですよ。そんなことをしたら私、口をきいてもらえなくなるんでしょう」


 からかうような口調に、わずかに不服があったのは否めない。

 淡々とながらも、室は観測者へと問いかけていく。


「今回は、随分と余裕がなさそうだな」


 訪れたのは、しばしの沈黙。


「おや、室さんにはそう映りますか? いや、これはまいったなぁ。ちなみに、どうしてそう思ったのかをお伺いしても?」

「いつもならお前が必ず使う言葉があるだろう。今日のお前からは、一度もそれを聞いていない」

「……あぁ、なるほど。それはそれは、大変に『面白い』ですね」


 どこかわざとらしい口調。

 それは、この指摘が正しいと答えたに等しい。


 室が知る限り、彼がこんな対応をするのは初めてだ。

 それだけ今回の相手は、厄介な存在ということ。

 室は、新たな煙草に火をつける。


「面倒ごとで割を食うのはごめんなんだが」

「えぇ、もちろん室さんを巻き込むつもりはありませんよ」


 いつもの人を食ったような話し方に戻り、観測者は答えてくる。


「……しらじらしい。千堂に冬野つぐみの話をしておいて、よくもそんな言葉が出てくるものだな」


 自分は沙十美と『契約』をしている。

 冬野つぐみの安全を守ること。

 それが存在する以上、自分は動かざるを得ない。

 諦めのため息をつき、観測者へと尋ねていく。


「千堂が眠っているうちに、聞いておいた方がいい話はあるか」


 いつものようにふざけて話を逸らすのかと思いきや、彼は落ち着いた口調で言葉を返してきた。


「そうですね。では少し、お話をしましょうか」


 ならばこちらも、それ相応の対応を。

 室は煙草の火を消し、観測者からの言葉を待つのだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る