第263話 蛯名里希は問う

 品子の言葉をさえぎり、里希はつぐみへと視線を向ける。

 たじろがずに受け止めようとつぐみは勇気を奮い立たせ、彼の次の言葉を待つ。


「さて、本来の予定に移らせてもらおう。冬野さん、『覚悟はある』と言ったね。君が入るであろう一条は、他の場所と違って特殊な仕事をすることが多いんだ。それらの守秘義務を君は守れるかい?」

「はい。黒い水の事件から私は、自分に起こったことや見たことは他言しておりません。自分への調査でそれは把握してみえるとは思いますが」


 正直なことを言えば、つぐみにとって里希は怖ろしいと感じる存在だといえる。

 だが今は彼に自分が、白日にふさわしい人物であると認めてもらわなければならないのだ。

 これまでの言動を観察するに、彼は優柔不断な態度を好まない。

 

「このことで少しは私の『覚悟』に対する信憑性があるかとは思います。いかがでしょうか?」


 ならば返事はしっかりと。

 更にはただ問われたことに答えるだけでなく、相手へと自分への評価に対する問いかけも一緒に返す。

 自分が彼の望む『使える人間』であるということをアピールしていくのだ。

 つぐみの返答に対し、彼は意外だという表情を見せた。


「おや。僕の見た資料では、君は大変おとなしい人物ということだったのだけれど。どうやら違ったみたいだね。この資料が作成されてから君が変わったのか、それとも」


 一拍おいて言葉が放たれる。


「こうしてはっきりと物事をこなす姿が本来の君の姿だった。けれども大人しくならざるを得ないことがあった。そう判断しても?」


 先程からの彼の発言を聞くに、資料には自分の家庭環境のことが間違いなく書かれている。

 おそらく彼の目的は、特殊な冬野家の事情をつぐみに突きつけること。

 それにより自分を試しているのだ。

 質問を重ねるにつれ、つぐみはその確信を深めていく。


 触れてほしくない部分にあえて踏み入り、つぐみがどうするのかを見ているのだ。

 それが分かっている以上、たやすく動揺などしてはならない。

 ぎゅっと膝の上の手に力を入れる。


「自分はただ思うように、正しくあるようにと行動しております。変わったと言われるのならば、それは白日の皆さんに変えていただけたということなのでしょう」

「なるほど、実に『お綺麗』な回答だ」


 里希の口の端がわずかに上がる。


「では次の質問を。冬野さん、あなたはこの資料を見るに親御さんとは離れて生活しているようだ。中学二年生で祖母とともに生活。だがそれを公にしていない。その理由はなぜ?」

「里希、いい加減にしてくれ。それは面接とは無関係のものだ。彼女のプライバシーに君がそこまで入り込む必要などない!」


 立ち上がった品子から、噛みつかんばかりの抗議が里希へと向けられる。

 だがそれに動じることなく、里希はつぐみを見据えたまま答えが来るのを待っている。


 一条は他の所属先と比べて、心の強さが必要である。

 したがってこの程度のことは、答えられなければならない。

 彼はそう言いたいのだろうとつぐみは理解する。

 脇腹に手を動かそうとしている心を抑えながら、つぐみは里希にしっかりと目を合わせていく。


「私は兄との折り合いが悪く、家族の皆が兄妹の関係の悪化を望んでおりませんでした。そこで私が祖母の家に行くことでそれを解消しようとしたのです」

「そうですか、なるほど。いろいろと大変だったご様子で」


 感情のこもらないねぎらいの言葉が里希の口から表れる。

 あくまでも社交辞令といった調子を崩すことなく、彼はつぐみへと質問を続けていく。


「当時のあなたは中学二年生。お兄さんは高校二年生だね。そんな年頃の兄妹喧嘩で家族の関係が悪化する程のことがあるなんで僕には想像できないんだ。そうだなぁ……」


 男性とは思えない細くて白い指。

 それをするりとした動作で顎の下に運ぶと、つぐみを見据えたまま彼の口元に冷笑が浮かぶ。


「例えば、何か兄妹らしからぬことが起こってしまったとか、……かねぇ?」


 つぐみの心臓が大きく跳ねあがる。

 それにより心の中で必死にこらえていたものが、耐えきれずにこぼれはじめていく。


 自分は今、一体どんな顔をしているのだろう。

 みっともなく顔をゆがめながら、里希を見ているに違いない。


「わたっ、私……は」


 つぐみは目を閉じてわき腹へと手を移す。

 うつむいていくのは顔だけではなく心も一緒のようだ。

 冬野家が家族というその形を失ってしまった。五年前の出来事が彼女の頭の中に浮かび上がってきてしまう。

 いつも通りに学校が終わり家に戻った、あの日。

 いつも通りに終われなかったあの日に。

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