第69話 靭惟之は懐う

「よし! あとはヒイラギ達がこちらに帰ってくれば、ここを撤退だな」


 惟之は小さく息をつく。


 出来ればヒイラギ達だけで障壁を抜けてくれれば良かったのだが、さすがに経験が足りていない。

 むしろよく頑張ったというべきだろう。

 彼らのおもいは、間違いなく本物だったのだ。

 二人の成長を見届けた惟之の胸に、じわりと温かな感情がこみあげる。

 一段落付けたことに安堵し、惟之は窓近くの壁にもたれかかった。


「ははっ、……気を抜くとまずいな」

 

 とぎれがちになる意識と戦いながら、惟之は自身の足を眺めた。

 そこには、ありえない方向に捻じ曲がった右足が見える。

 思わず触れてみたその「右足だった部分」は、自身の体とは思えない柔らかくブニブニとした感触を伝えてくれたばかりだ。


「まぁ、骨折ってやつだろうな。……いや、骨折と呼んで済むものだろうか」


 痛みをごまかし、意識を保つために惟之は言葉を出し続ける。 


 惟之が障壁を砕くために使用した発動『鉤爪かぎづめ』。

 

 かつて、両目が使えてた頃ですら、滅多に使わなかった発動能力。

 鷹の鋭い爪は、狩猟の時のみ現れるその時に真価を発揮するもの。

 それを使い惟之は障壁を砕いた。


 左目のみでの発動だ。

 かなりの反動が来るだろうとは覚悟はしていた。


「そうだよな、鷹が使う爪って足だもんなぁ」


 妙な納得と共にくくくっとひきつるような笑いをしながら、自身の限界が近いことを知る。

 その場に崩れ落ちる様に、惟之は座り込んでしまう。


「むしろこの程度で済んでいることを、感謝すべきだよなぁ」


 鷹の目の発動も普段よりも念いを上げ、ヒイラギに指示を送ることも併用していたのだ。

 鷹の目こちらの方の反動は、もっと酷いものになるだろうと惟之は予想している。

 気が付けば、座っていたはずの体が勝手に傾いていく。


「そろそろのようだなぁ……」


 スマホで出雲への緊急コールのボタンを押し、ポケットからあらかじめ書いておいたメモを取り出すとしっかりと手に握りしめておく。


 左側のまぶたは過剰な熱を放っている。

 だが手のひらで触れようにも、その手すら動かすことを惟之の体は放棄していた。

 知りうる感覚を越えた熱。

 それを帯びたまぶたの裏側は赤いわけではなく、ただくらい。

 その世界で動くことが出来ないことを補うように、惟之の思考はぐるぐると巡っていく。


 とうとう両目が駄目になったか。

 でも、これで。

 これでやっと、楽になれる。

 この十年という年月。

 ヒイラギ達と居られて、本当に楽しかった。

 そして本当に、……苦しかった。


 心の中でうずもれるように隠れていた罪悪感。

 今、自分が生きているということ。

 それは彼らの母親を奪って、生き延びたという事実なのだから。


 ずっと頭の中で、消えなかった後悔の念。

 今回の行動が贖罪しょくざいになるなどと、おこがましいことを言うつもりはない。

 ただ自分はマキエとの約束を守っただけ。

 思うことがあるとすれば、約束通りに自分は生きてこられたか。

 ただそれだけなのだから。


 何も映さない世界の中、何かの景色がぼんやりと見えるような気がしてそちらに意識を向ける。

 そこには明るく、だがふわふわと揺れるような景色が広がっていた。


「これは、走馬灯そうまとう? 死ぬ間際に見るっていうやつか?」

 

 自身が声を出せている、痛みが全く感じられないこともそれが答えだといわんばかりの状況。

 だからそれを惟之は受け入れることにした。


「まぁ、それなりの代償だったということか。仕方がな、……ん? あれは」


 惟之の目に二人の女性の姿が映る。


「あれは品子とマキエ様、……か?」


 品子の来ている制服は彼の記憶にしっかりと残っている。

 紺色のセーラー服に三つ編みの姿。

 これは品子が中学生の頃の姿だ。


「まだ、俺の両眼が見えてた頃だなぁ」


 呟いた声に気付いたのだろうか。

 惟之に向かって品子が駆け寄ってくると、楽しそうに話しかけてくる。

 声を聞こうと惟之は意識を集中させていく。


「……ですから、惟之先輩の考えと私は違うと思うんです」


 その自分に対する呼び方に惟之は苦笑する。

 まだこの頃は、品子にもまだあどけなさと素直さが残っていたのだ。

 自分を先輩と呼び、敬語で話しかけてくるその姿に惟之は懐かしさを覚える。


「今じゃ、すっかり変わり果てたものだがな」

 

 笑いそう呟く惟之に対し、不思議そうな顔で見上げ品子はきょとんとしている。

 

「まぁ、でもお前が変わったきっかけ。それを作ったのが、他ならぬ俺だけにそんなことは言えたものではないか」


 彼ら二人の会話をマキエは、ただ微笑んで聞いている。

 鎖骨のあたりまで真っ直ぐに伸びた、絹のような美しい黒髪。

 その前髪には、二筋の銀色の髪がある。

 白日の中で『発動の痛み』を浄化することが出来る、唯一の力を持った存在である人物。


 浄化の力を特に強く持つものは「マキエ」と呼ばれ、他の発動者の浄化を使命とする。

 血統によるものではなく、その人物が持ちうる元来の性格や環境で「マキエ」は選ばれる。

 その資格があるものには、証として二筋の銀髪が現れるという。

 発動者からすれば、「マキエ」の存在は喉から手が出るほど欲する存在だ。

 だから「マキエ」の存在の保有を、どの組織も求める。

 白日においては必要不可欠な存在でありながら、他組織からの必要以上の攻撃を呼び寄せる存在。

 それは感謝でもあり畏敬いけいでもあり、また忌まわしい存在でもある。

 そんな皮肉を込めて、彼女の呼び名は付けられたらしい。


 「マキエ」つまりは『』なのだと。


「マキエ様! 先輩、やっぱりぼーっとして聞いてないです」


 笑っていたはずの品子の顔は、いつの間にか怒りの表情へと変化していた。

 ひどく機嫌が悪そうな様子に助けを求めるように、惟之はついマキエへと視線を向けてしまう。

 マキエは困ったように眉を下げて、それでもまだ優しく自分達に微笑み続けていた。


「惟之先輩。実は私、以前から言いたいことがあったんです。聞いていただけますか?」


 いつの間にか、品子はマキエの隣へと移動していた。

 二人は惟之の返事を待つようにじっと見つめてくる。

 だが惟之は、何も言うことが出来ない。

 先程までしていた話すということが出来なくなっているのだ。

 それどころか体が全く動かせず、ただこの状況を見ているだけ。

 自分の指先ですら動かすことが出来ないでいる。

 たん、と品子がそんな惟之の方へ一歩ちかづく。


「先輩、先輩の発動の……」


 品子の口が動いているのに、惟之の耳にその声は届かない。


 もうそろそろ、終わりなのか。

 自身の生の終わりが近いのだと惟之は覚悟を決める。


(なぁ品子、何て言ってるんだ。俺には聞こえないんだよ)


 残った力で惟之はその思いを込め品子を見つめようとする。

 そこに、……そこにいたのは。


「惟之のさぁ、『鉤爪』って発動名、似合わないって。いーじゃん、『鷹の爪』でさぁ」


 あどけない少女がいつの間にか、変わり果てた方の品子になっている。


「ん、んなぁ!」


 惟之の口からは、目の前の出来事を受け止めきれなかったことによる声がこぼれる。

 あまりに理不尽な出来事に裏返ったみっともない声を出し、更にはその場にぺたりと惟之は尻もちをついてしまう。

 その行動に恥じ入るとともに起こる疑問。


「声? 声が、出せている?」


 まるでその疑問に答えるかのように、くすくすという小さな笑い声が聞こえる。

 品子の隣にいるマキエが、惟之を見て楽しそうに笑っているのだ。

 久しぶりに彼女の声が聞けたことで、惟之の胸には喜びの感情がこみ上げてくる。


 マキエはそのまま笑顔で惟之に近づくと、そっと指先で惟之の右のまぶたへと触れた。

 ただそれだけなのに、惟之の右目からは涙が溢れて止まらない。

 それはとても懐かしく、優しい触れ方だったからだ。


 自分ではなくヒイラギとシヤにその指で触れてもらえたら。

 それができたのなら、もっと嬉しいのにと惟之は強く思う。

 そう願ってやまない気持ちを伝えるべく、マキエを見つめ口を開きかける。

 そんな惟之の頭を、ふわりとマキエは抱きしめると耳元で囁いた。


「こーちゃん、もう大丈夫。でもこのことはあの人達に知られないようにして。お願い」


 そう言うと惟之の体をとん、と押し出す。

 倒れる衝撃に備え、惟之は体を固くこわばらせるが何も起こらない。

 不思議に思った瞬間、強い風が吹き思わず惟之は目を閉じる。

 意識が、自分の意志とは別に体から切り離されるような感覚。

 その強さに、抵抗できない何かの力に惟之は意識を奪われていく。

 薄れゆく意識の中、マキエの語った言葉が惟之の頭の中で疑問として残っていた。


『あの人達』とは一体、誰のことを言っているのだろうと。

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