第110話 二条の人々
つぐみを明日人に任せた連太郎は、黙々と歩く。
さして疲れてもいないのに、足が思ったように進まない。
自分の心が、体に重りを科しているようだ。
それでも何とか前を向き、ただただ足を動かす。
ビルに戻ると二階を通過し、惟之がいる三階の部屋へと向かう。
「失礼します。九重、戻りました」
連太郎は扉をノックして入室する。
部屋の中には、惟之が一人でいるのみ。
サングラスを机の上に置いたまま椅子に座っていた惟之は、眉頭を人差し指と中指で押さえながら口を開く。
「お帰り、連太郎。いろいろと迷惑を掛けてしまったな」
顔を覆っていた手を降ろすと、ゆっくりと連太郎へと目を向ける。
普段はサングラスをしているのに、珍しいこともあるものだ。
その素顔を見慣れないこともあり、思わずまじまじと顔を見てしまう。
緩やかに下がった目尻が連太郎の視線を感じて淡く微笑む。
それを見て、はっとなり慌てて言葉を続ける。
「いえ、自分は迷惑など!」
「彼女に対しての言葉、お前に言わせてしまったことも含めてだよ。本来は俺か品子が言うべきことだったのに、お前に嫌な役割をさせてしまった」
今の言葉。
それは、つまり。
「逃げた犯人の方に鷹の目を使わずに、自分にずっと発動を行っていたという事ですか?」
「相手はお前に相当な怪我をさせられている。俺の発動を使わずとも、いずれ足が付くだろうよ。お前さん、思いきり加減なくやっていたようだし」
多分、違う。
きっとこの人は……。
「自分を心配してですか? そこまで、……そこまで自分は弱くはありません!」
叫ぶように発した声。
その大きさに何ら惑うことなく、言葉が返ってくる。
「あぁ、知ってるよ。これは俺の勝手な老婆心から出た行動だ。勝手な上司ですまないな」
そう言った後、惟之は連太郎をただ見つめている。
「ならば、……ならばどうして聞かないのですか? どうして冬野さんをすぐに助けずに、しばらく見ていたのだと」
つぐみを助ける。
連太郎は、もう少し早くそれが出来ていたのだ。
……それをしなかったのは。
「お前にも、いろいろと考えることもあるだろうよ。結果的には彼女を助けることが出来た。更に言えばだ。こういった暴走行為は、自分のみならず周りに迷惑を掛ける。それを彼女は学んだだろう。極論ではあるがこの件は、彼女にも俺達にも必要だった。俺はそう思うね」
「……適切な判断をしなかったのにですか?」
「それを決めるのは俺なのか? それこそ鷹の目を使う相手で俺は、適切な判断とやらをしていないんだがね」
言葉が出てこない。
いつもそうなのだ。
この人はこうやって全てを許容していく。
――自分にはそれは出来ない。
なぜなら、彼女を助けそびれた理由は。
「もう少ししたら品子が、冬野君と明日人を連れてこちらに来る。今日は帰るといい。明日、落ち着いたら品子に説明をしてやってくれ」
「……はい、では自分は帰ります。明日はきちんと説明しますので」
「わかったよ。じゃあ、気を付けて帰りな」
「はい、失礼します」
重苦しい気持ちを抱えながら部屋を出て二階に戻ると、出雲が書類の整理をしている。
目が合うと穏やかに微笑み、声を掛けてくる。
「今日はお疲れ様。大変だったみたいね。ゆっくり休んでね」
「……はい、では失礼します」
「あ、九重君。あのね」
出雲が連太郎の前にやって来る。
少しためらってから、おもむろに手を伸ばすと彼の頭をぽんぽんと撫ではじめた。
「何か惟之様がね。今日のあなたは優しさに飢えてるから、こうしてやってって言われたんだけど……。迷惑だったらごめんなさいね」
戸惑いを浮かべながらも、頭を撫で続けている出雲の表情に。
失礼だと思いながらも、連太郎は笑いがこみあげてきてしまう。
「ぷっ、だ、大丈夫です。でも確かに、確かに元気になりますね、これ」
いつまでも笑い続ける姿に、出雲はさらに惑いが増したようだ。
「とりあえず元気になったのならよかったわ。じゃあ、また明日ね」
「はい、今度こそ失礼します」
部屋を出てからそっと自分の頭に手を置いたまま、階段を下りていく。
改めて上司の器の大きさに驚かされる。
同時に自分の心の弱さも。
冬野つぐみ。
あの人は何も力を持っていないのに、あっという間に自分の周りの人達の心を惹きつけていく。
そして無茶な行動をしても見返りなどなくとも、皆が必死で彼女を守ろうとするのだ。
正直に言えばその中の一人に、自分も入っている。
少なくともあの倉庫に入るまでは、自分は本当に彼女を心配し探していたのだから。
それなのに、助けるのが遅れた理由。
それは。
……そう、これはきっとそんな彼女を
いやそれすらもとうに超えた、もはや嫉妬だ。
彼女の口から、兄への謝罪が出た時。
その時になってようやく我に返り、足が動き出した自分は。
心も体も傷つけられて打ちひしがれた彼女に、更に傷つけると分かっていながらも、次々と心無い言葉をかけ続けた自分は。
足を止める。
頭にのせていた手を下ろし、強くこぶしを握りしめ連太郎は思う。
あぁ、自分は。
……自分はとても卑怯で、とても醜い。
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