第42話 触れられたくないもの

「じゃあこの資料は返してもらうわ。って、痛って! まだ怒っているのかよ」


 惟之が資料を車に積み込んでいる最中、品子は持っていた大き目のファイルを彼の頭へとぶつける。


「当たり前だろう。だまし討ちみたいなことされて、ご機嫌でいられるほど私の心は広くない。それで、お前の本当の目的は何だ?」


 頭をさすりながら、惟之は恨めしそうに品子を見てくる。


「いや、先程の通り資料の回収。そしたら予想外に、冬野つぐみがこの家に居たから。しかしお前さ。仲間に発動を使う気満々って、ありゃまずいだろうよ。規定違反もはなはだしいわ」

「え? だってお前、仲間じゃないし。だから違反でもないし」


 品子は笑って惟之に言い放つ。

 まじか、と呟く惟之の声が品子の耳に届いた。


「本気で言ってそうなところが怖いんだよ。一応、言っておく。今回の俺の行動は独断だ。他の連中はこの話は知らない。だから冬野つぐみがここにいることも、情報を得ていることも知っているのは俺だけだ。今度こっちに来るときに、余計なことを言わないように気を付けておけよ」

「はいはーい、ところでなぜ彼女を試す必要があったんだ?」

「試した訳じゃない。最初は本当に、お前を断罪する気だったからな」


 資料の不足が無いかを確認しながら、惟之は続ける。


「そもそもだ。こんな内密にして資料を冬野つぐみに見せずとも、彼女を協力者として上に報告して堂々と見せればいい話だろう。それをしなかったのは、彼女の存在を知られたくないというお前の意思か?」


 ちらりと品子を見て、惟之は再び資料に目を戻す。


「まぁね。今回は巻き込まれたとはいえ、彼女は一般人だ。あの子の観察力を知られたら、きっと上は喜んで彼女を次からも『ご協力』させるだろうから」

「しかもあの子、いい子そうだからな。きっと『はいっ、私で良ければ喜んで! 頑張ります!』とか言うだろうし」

「……使われるのは、私達みたいな悪い奴だけで十分。この件が終わったら、彼女には普通の生活に戻ってもらうよ」


 ざあっ、と風が吹いた。

 肌に触れるまとわりつくような夏の熱気が、利用しようとする誰かのようだ。


(……気持ち悪いね)


 気分を変えるように、品子は頭を振ると惟之に問う。


「なぁ、わざとだろ。冬野君の名前を先に言ったり、千堂君の情報を先に出したりしたのも」

「……さてね。しかしそれを踏まえても、彼女のとっさの機転は大したものだ」

「あぁ、私も何度も驚かされているよ。これで力を持っていたら彼女、凄いことになるだろうね。あ、それで彼女からの意見なんだけどさ」


 手短に、つぐみの考えを惟之へと伝える。


「へぇ、特定の人にしか見えない扉ねぇ」

「あぁ、だからお前の発動でみて欲しいんだよ」

「わかった。が、少し時間が欲しい。あちらさんに気づかれないように準備をしておく必要がある。早くて決行は明日の夕方以降といったところか」

「仕方がないね。こちらでやっておけるものはあるか?」

「いや、……こちらで全て準備する」

「ん、了解」


 自分を眺める惟之の表情に品子はため息をつくと、にらみつけるように見上げる。


「……何? 言いたいことあるなら、さっさと言いなよ」


 品子の言葉に惟之は、戸惑い気味に口を開いた。


「なぁ、品子。この件が終わったら彼女を普通の生活に戻すって言ったけど、それはつまり」

「もちろん消すよ。私達に関する全ての記憶。じゃないとあの子、きっとまた協力するって言ってきそうだもん」

「そこまでしなくてもいいんじゃないのか。今回のように上には内密で彼女の意見を聞かせてもらうとか。先程もそうだが、えらくお前は彼女にご執心しゅうしんのようだが」


 ぴくりと品子の肩が揺れる。


「それはやっぱり彼女があの方に……」

「ねぇ、惟之。駄目だよ、……それ以上は」

 

 笑いながら品子は惟之に告げる。


「その人を『守れなかった』くせに。どうしてそんなことを、私に言うの? ……その人の犠牲で助かったお前が、どうして私に言うんだ?」


 品子の言葉に惟之は黙りこむ。


 そう、彼は黙るしかない。

 偽物の笑顔を張り付けたまま、品子は目の前の男を見つめる。

 こうなるのを知っていて、自分は言葉を出した。

 彼が傷つくと分かりながら、品子は言葉の刃を振り下したのだ。

 

(卑怯だ、……私は)


 この行動は正しくない。

 品子はそれを十分に理解しているというのに。


「……すまない」


 だが先に謝ったのは、品子ではなく惟之だった。


「明日、準備が整い次第そちらに連絡する」


 それだけ告げると、彼は車へと乗り込んでいく。


 品子の頭には、今すべき行動がいくつか浮かぶ。

 だが自分は、それを一つとして行うことが出来ない。

 足が、凍り付いてしまったかのように動かせないのだ。

 もどかしさを感じながら、ただ彼の行動を見ているのみ。


「あ、惟……」


 エンジンの音を聞き、ようやく品子の体は前に動く。

 それは後悔の念からか、良心の呵責かしゃくか。

 あるいは罪悪感か。

 手を伸ばし、品子は運転席を覗き込もうとする。

 それに気づいてか、窓が開き始めた。 

 やがて窓から惟之の右手があらわれたかと思うと、品子の頬を掴んでくる。

 あろうことか、そのままその手を滅茶苦茶に振り回し始めるではないか。


「え、ひぇ?」


 あまりの予想外の行動に、完全に思考が停止し品子はすっとんきょうな声を上げた。


「最後に言っておくぞ、品子。その顔と頭、しっかりとリセットしてから戻れ。じゃないと、あいつらが心配する」

「ひ、ひらい。わかった。……って何でヒイラギもお前も、人の顔をグニグニするの? お前ら、私の顔の形が変わったら責任とれるのか?」

「そんときゃ、綺麗になりましたね人出さん。とでも言ってやるよ」


 ニヤリと笑って、惟之はようやく手を離した。


「……女性に対してする行動ではないな」


 品子は呟きながら、ヒリヒリとした頬にそっと指を添えた。

 どうしたことか頬の痛みの分だけ、心の痛みが消えたように感じる。

 だがその気持ちをこの男に素直に出せるほど、品子はまだ大人にはなりきれていない。


「……はいはいはい、どうもありがとうございます。では明日のご連絡、心よりお待ちしておりますわー」


 閉まりゆく窓に品子はそう叫ぶ。

 惟之の車を見送り、まだ痛みの残る頬を撫でながら家へと戻っていく。

 先程と違い、心が落ち着いているのが自分でも分かる。


 もうリセットの必要はないだろう。

 うん、惟之に感謝しなければ。

 明日、会ったらこの礼ぐらいは言ってやろう。


 そう考えリビングに戻った品子を見たつぐみが、顔がこわばらせると同時に叫び声を上げた。


「おかえりなさい先生! ……ってきゃああ! 先生! ほっぺどうしたんですか? すごく赤くなっていますよ!」


 つぐみの慌てようを見るに、どうやら頬は凄いことになっているようだ。

 品子は察すると、一つの誓いを立てる。


 うん、惟之。

 明日、会ったら殴る。

 大き目のファイルじゃなく直接、拳で殴ろう。

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