第268話 鶴海真那

 明日人に名を呼ばれたその人は。

 鶴海つるみ真那まなはゆっくり自分へと振り返ってきた。

 眼鏡越しのその目には、引き留めた明日人への非難がありありと浮かんでいる。


「あなたに声をかけられる覚えはないのだけれど。どうしたのかしら? ……井出さん」


 彼女からの言葉には明日人への拒絶が込められている。

 それらを捉えられぬほど自分は鈍くも愚かでもない。

 彼女が自分を受け入れていないのは理解している。

 だがそれは、今の自分には不必要な感情であり情報。

 今更ここまで築かれてしまったものを覆せるとは明日人とて思ってはいない。


 女性にしては低めの落ち着いた声。

 向けられた眼差しは、彼女の切れ長の目も相まって、自分のことを突き刺そうとでもしているかのように鋭い。

 鮮やかなまでに赤く薄い唇はぐっと結ばれ、色白な肌に小さく咲いた花のようだ。

 もっともそんなことを口にしてしまえば、たちまちに今以上の侮蔑の表情とともに、心を切り刻まんとする言葉が自分に降り注ぐことだろう。


「鶴海様、あなたがここにいるということはつまり……」


 ちらりとつぐみ達がいる応接室へと目を向け、明日人は言葉を続ける。


「今からあの応接室へ向かわれる。そういうことなのでしょうか?」


 その問いに鶴海は眉をひそめる。


「確かに私は今からあの部屋に向かいます。ですが、あなたを帯同するつもりはありません」

「なぜですか? 今、行われている面接者は私が推薦した人物です。ならば問題はないはず」

「言葉を慎みなさい、井出明日人。あなたが私に意見するなど厚かましいにも程がある」


 一切の情もない拒否が明日人へとぶつけられる。

 次の言葉を告げることができずに明日人は黙り込む。

 この人が言っていることは事実。

 なぜなら彼女は自分よりも立場が上の人物なのだから。


「これはこれは、鶴海様に井出様。四条の上級発動者であるお二人が揃って、今日は一体どうされたのですか?」


 艶やかな声が 自分達の後ろから掛けられる。

 この空気から逃げ出したい明日人は、すがるような気持ちで振り返ってしまう。

 そこには一条の高辺が、書類を小脇に抱えこちらへと歩いてくる姿がある。

 

「こんにちは、高辺さん。私も今からあなたと一緒に応接室へ伺わせていただきます」


 鶴海の掛けた言葉に高辺は、ほんの少し眉根を寄せる。


「あら。ですが今回は一条の面接ですの。四条からのお話は伺っていませんが……?」

「そうですか。ですが三条の清乃様も先程までこの面接を行うのが三条であり、一条だと聞いていなかったご様子でしたが?」


 強い口調で鶴海は高辺へと問いを被せていく。

 その様子に高辺は戸惑いの表情を浮かべ、明日人と鶴海を交互に見つめながら口を開こうとする。

 だがそれよりひと足早く、鶴海が言葉を放つ。


「ところで高辺さん。この面接を行っているのは、吉晴様ではなく里希さんだと聞いたのですが。それは本当なのですか?」


 予想外の事実に明日人は「えっ!」と小さく声を漏らしてしまう。

 たやすく動揺した自分を責めるかのように、鶴海が明日人を見据えてくる。

 思わずうつむき、明日人はその言葉の意味を考えていく。

 面接は本来であれば長が担当するもの。

 それが守られていないということはだ。


「それが事実であれば、この面接は正式なものではない。ならばあなたの言う『一条の面接』は成立しない」


 鶴海の言葉に、高辺は口を閉ざす。


「高辺さん、吉晴様はどうしてこちらに来られないのですか? 秘書であるあなたなら知らないなんてことはまずあり得ませんよね」


 淡々とした口調で、だが逃げ道を奪いながら鶴海は高辺へと問うていく。

 いつもならば余裕や落ち着きといった雰囲気を持つ高辺だが、この時ばかりはそうはいかずしばし目を閉じ考えにふける様子を見せる。

 やがて高辺は目を開くと、鶴海に微笑みかけた。


「それでお二人は、ここに揃ってお見えになったこということなのですね。本当に、……仲のよろしいこと」


 その一言で鶴海の顔に浮かんだものは不快という感情。

 明日人が思わず目を伏せた一方で、鶴海は高辺を睨みつけていく。


「高辺さん、あなた……」


 高辺は一条の長である吉晴の秘書だ。

 だからこそ『明日人と鶴海の関係』を彼女は知っている。

 これは高辺からのささやかな意趣返しだと明日人は察する。


 それにしても鶴海は、いつからこの面接が一条により変えられたことを。

 更にはいつからこの面接相手が、吉晴ではなく里希だと把握していたのだろう。

 そんな明日人の思考は、ドアの開く音で中断される。

 顔を上げれば、応接室から品子とつぐみが出てくる姿が目に入った。

 だが彼女達は扉の前で話し込んでおり、こちらの存在は眼中にない様子だ。

 つぐみの顔色が非常に悪い。

 自分のいる状況を忘れ、彼女達の元に駆け寄りたくなる衝動を明日人はかろうじてこらえる。


 いま動くのは非常にまずい。

 自分のそばにいるこの女性二人にそんな姿を見せれば、品子達にまで迷惑をかけることになる。

 

「あら? どうやら面接は終わったようですね。では私は里希様の元へ戻ります。お二人はどうされますか? もうすでにご要件は終わりのようですが」


 その言葉で高辺が自分達をここに留めるために、時間稼ぎをしていたことを明日人は悟る。


「……そうですね。もう、ここにいる必要はありません」


 鶴海の言葉を聞き、高辺は応接室へと向かう。

 高辺とすれ違いこちらにやってくる品子は鶴海に気づいたようで、なぜといった表情を浮かべている。


「真那さん? あなたがどうして一条にい……?」


 品子が鶴海に声を掛けている最中、鶴海は明日人の方をキッと睨み据える。


「あなたさえ! あなたが余計なことをしなければ、もう少し違うことも出来たでしょうに!」


 その剣幕に品子はもちろん、周りにいた人達までがどうしたことかと様子をうかがっている。

 ただ一人、高辺は振り返ることなく応接室へと入って行く。

 だが明日人は見てしまった。


 部屋に入って行く彼女の横顔に、笑みが浮かんでいたのを。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る