第269話 冬野つぐみは飲み物を買う
明日人へとかけられた女性の声に、つぐみは驚き思わず足を止めてしまう。
「
驚いていたつぐみとは違い、品子は困惑を隠しきれないながらも冷静になるようにと女性に伝えている。
当の女性はといえば、攻撃的な視線を相変わらず明日人へと向けている。
キリリとした顔つきもあり、その綺麗に整った鼻筋や目つきの鋭さに。
まるで自分が睨まれているかのような気持ちになり、つぐみはついうつむいてしまう。
真那と呼ばれた女性は、吐き捨てるように言葉を出す。
「もうここでの用件は無いわ。私は失礼する。
途切れた言葉に顔を上げれば、女性は視線を品子からつぐみの方へと向けている。
「あなたが冬野さん?」
「は、はいっ! 冬野つぐみと申します」
緊張と怯えという悪い癖が出てしまう。
震えがちのつぐみの声に、「そう」と小さく呟く声が聞こえる。
「冬野さん、あなたを驚かせるつもりはなかったの。そこは謝らせて頂戴」
女性の目には明らかな後悔が表れているのをつぐみは目にする。
「そんな、謝る必要はありません。えぇと」
つぐみの戸惑いを察し、ほんの少しだけ表情を和らげた女性は小さく咳払いをして口を開く。
「そうね、自己紹介がまだだったわね。私の名は
語りながら明日人を見る鶴海の顔はとても冷たいものだ。
その明日人は、つぐみ達を心配してということもあろうが顔色がとても悪い。
「誰かさんのせいで、すべき行動が上手くいかなかったの。あなた達は何も悪くないわ。それじゃあ」
しゃんと背筋を伸ばし、鶴海はつぐみ達から離れていく。
その後ろ姿を見つめる明日人が、なぜだかとても悲しそうにつぐみには映った。
◇◇◇◇◇
他人に話を聞かれるのは好ましくない。
そういった理由でつぐみ達は品子の車の中で話をすることにした。
駐車場へと向かうために、エントランスを出ようとしたつぐみを品子が引き留める。
「何か飲み物を買おうか。緊張もしたし、話もするから喉を潤す存在は必要だからね」
入り口近くに設置されていた自販機でそれぞれが飲み物を買う。
運転席に乗り込んだ品子は、買ってきた缶コーヒーを開けると、グイっと一口目を豪快に飲む。
とりあえずの危機をしのいだという思いもあるのだろう。
満足そうに息をつき、にんまりと笑う。
「ん~、疲れた体にしみるなぁ! やっぱコーヒーはこれ位の甘さが必要だよねぇ」
「そうですよねぇ。こんなに美味しいのに、どうして他の場所でも取り扱ってくれないのでしょうね」
後部座席に座る明日人は、そう答えながら幸せそうに缶コーヒーを口にしている。
同じ飲み物を満足そうに飲んでいる二人とは違い、つぐみはお茶のペットボトルを選んだ。
当然のように二人には、この缶コーヒーを勧められたのだが、丁重に断らせてもらった。
賑やかに話す二人を助手席から眺めつつ、蓋をゆっくりと開けてお茶の苦みを味わう。
二人が熱く推薦してきた缶コーヒー。
『
一言でいわせてもらおう。
「甘すぎる」
『気分上糖』どころか『気分加糖』。
いや、それすらも生ぬるい。
これは『気分過糖』に名称変更をすべきではないかとつぐみは思っている。
今まで彼女が生きていた中で、見たことも味わったこともなかったコーヒー。
それがこの白日内の自販機にあるのだ。
思わず「どうしてこれが」と呟いたのを二人は聞き逃さなかった。
「これはねっ! 美味しいから
嬉しそうに明日人が話す隣で、品子はうんうんとうなずいている。
「いやぁ、盲点だったよ。ここに設置しておけばいつでも飲めるものな! 明日人、実に素晴らしい提案をしてくれたよ。君にこの素敵な飲料の存在を知っておいてもらえてよかったよ」
「ですよねぇ、ただ出雲さんてば『この入り口の一台のみです。他の自販機に入れることは出来ません!』って言うんだぁ。ひどいよねぇ~」
そんな彼の言葉に『需要、ニッチ』といった単語がつぐみの頭の中に浮かぶ。
気持ちをリセットしようと、お茶とその考えをつぐみは喉の奥にぐいっと流し込む。
「さて、では情報共有といこうか。心配をかけていた明日人にも説明しなくちゃね。まずはどこから話そうか……」
品子はコーヒーの缶を指でパチリと弾く。
そうしてくるりと後ろを振り返り、明日人の顔を真っ直ぐに見据える。
弾いた音が彼らのリセットの合図になったのだろう。
二人の表情からは笑顔が消えていくのをつぐみは見届ける。
「ではまずは品子さんからお願いします。僕はその後から話をしましょう」
品子はその言葉にうなずくと、明日人に説明を始めていくのだった。
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