第123話 ある喫茶店にて
ここはタルトが一押しの店だ。
「え、それは一体? ……はぁ、わかりました」
店長である
ここの辺り一帯の地主から突然の電話があり、今から「イトウ」なる人物を寄こすので、その人物の要望に可能な限り応じてやって欲しいという。
電話の後に現れたイトウと名乗る男は、古津に奇妙な三つの依頼をしてきた。
断ることも出来る。
だが地主の反感を買って、ここの土地を出て行けと言われても困るのだ。
それほど困難な依頼ではないこともあり、受けることにした。
店の時計をちらりとみれば、午後三時を少し過ぎたところだ。
今は近くにある大学の生徒達が授業を終え、くつろぎに来る時間帯。
いつも通りに満席の中、イトウとの話を終えた古津はバイトの女性店員を呼ぶと、ひそひそと他の客に聞かれないように小声で話を始める。
彼女は店長からの指示に驚きながらも、うなずいてその指示の為の準備を始めていく。
午後五時半。
いつもならばここ数日は、この時間から大学の女生徒が押し寄せるように来店する時間となる。
その目的はこの後に時間に現れる一人の男性。
通称『午後六時の
数日前からふらりとこの店に現れ、一人でタルトとコーヒーを頼み、それを食べ終えるとすぐに帰っていく。
その彼の姿がそれはそれは
この情報があっという間に大学で広まったようで、ここ数日は彼を見たいという客が押し寄せる結果となっている。
古津としてもこれはチャンスとばかりに、彼が最初に座った一番奥の席を午後六時前になると必ず空席にしておく。
そうして彼の来店と共に、そこへ案内するという一種の「予約」状態を作っているのだ。
そんなことを知ってか知らずか彼は結構な頻度でこの店を訪れ、いつも十分程で食事を済ませると
午後五時四十五分。
今日は店内の様子が少し違う。
一番奥とそのひとつ前の二つのテーブル以外はすでに満席になっている。
次々と来店する女性客達は、彼の指定席の前のその空席を希望してくる。
だが、今日は古津によってことごとくその希望を阻止されて帰っていくのだ。
イトウからの一つ目の依頼。
一番奥の席とその隣の席を空けておくこと。
既に席を確保した客達は、その開いた空席を不思議そうに眺めながら、奥に座るであろう男の登場を待っている。
午後六時二分。
ドアベルの音が鳴り、客のほとんどが入口に視線を送る。
そして彼女らのお目当ての姿を見つけると同時に、空気が張りつめていく。
見るだけだ、抜け駆けは許さないという空気が店内に広がっていく。
以前、彼に話しかけた女性客がいた。
その時に彼は憂いの表情を浮かべ、彼女にこう言ったのだ。
「すみません。自分一人の時間が欲しいのです。それが出来ないとなるとここにはもう……」
たった一回。
深みのある声でそう彼が言って以来、彼の傍に近づく女性はいない。
ある意味で彼女達の情報共有力に驚きながら、古津は彼から受けた今日の注文品のブドウのタルトの準備に取り掛かる。
午後六時四分。
再びドアベルが鳴り、二人の客が店に入って来る。
一番入口に近い席に座っていた女性客はその二人の客を見て驚きの表情を見せた後、二人のうちの一人に声を掛ける。
「え、ちょ! ひ、人出先生。ひょっとしてデートですか?」
その声に店内に居たほとんどの客は入口に再び視線を向け、一様に驚いた様子を見せる。
分かってはいたが、ほぼこの中の客は大学の生徒達のようだ。
そこには人出先生と呼ばれた、ピンク色のヘアゴムで髪を束ねた背の高い綺麗な女性。
そしてその隣には彼女より頭一つ背が高いメガネをかけた、優しげな風貌をした男性が立っている。
「ははは。この人は、今度の語学研修の打ち合わせに来た旅行社の人だよ。冗談でも失礼だろう。……主に私に」
教師だけあってハキハキとしたよく通る声で、話しかけてきた女生徒に笑いかけながら、女性は答える。
「ははは。これはこれは、人出さんに失礼でしたか。奇遇ですね。後半の発言部分、自分も同じように思っていましたけれども」
一方の男性も凛々しい顔立ちながら、眼鏡越しに見える目尻の下がった優しげな目を細め朗らかな口調で答えている。
互いに笑顔でありながら、殺伐とした雰囲気を醸し出している二人の様子に、話しかけた女生徒は言葉を失っている。
女生徒の沈黙を会話の終了とみなし、二人は奥から二つ前の席へと向かっていく。
イトウからの二つ目の依頼。
六時過ぎに来店するピンク色のヘアゴムを付けた女性と眼鏡の男性客が来たら、その空席に座らせる。
全く意味は理解できないが、とりあえず二つの依頼は完了させることが出来た。
しかしイトウは一体、この女性に何をさせたかったのだろう?
そう思いながら古津はブドウのタルトを『六時の君』に届けるため、奥の席へと向かうのだった。
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