第124話 室映士は判断する

 品子は店の奥へと進み、室の前の席が空いているのを確認する。

 ここの店長も突然に「六時の君の前の席を空けておいてくれ」などという依頼を受け、さぞ困惑したことだろう。

 奥から二つ目の席へと向かい歩いていく。

 彼は、品子に間違いなく気付いているだろう。


 惟之が室に背を向けて店の奥側のソファーに座ったのを確認した後、品子は惟之の向かいの入口寄りのソファーに座る。

 だがすぐさま席を立ち、室の前に立ち口を開いた。


「室さん、覚えていますか? 私、多木ノ駅の近くで先週、お会いした鳥海大学の人出です」


 自分の名刺を室に差し出すと、にこりと微笑んでみせる。

 室は裏側にして渡された品子の名刺を一瞥いちべつして受け取ると、同様に笑みを浮かべた。


「……あぁ、人出さん。あの時はどうもお世話になりまして」


 互いに偽りの笑顔を顔に張り付けたまま、二人は話を続ける。


「いかがでしょう? 例の件、私としては室さんに少しお時間を頂きたいと思っているのですが」

「……そうですね、なにせ突然のご依頼でしたので。こちらは少々、戸惑っていると言いますか。私個人と言うよりは、相手の方の問題でもあるようですし」


 室に渡した名刺の裏に、品子はメッセージを書きつけていた。

『白日という組織としてではなく、人出品子が個人として千堂沙十美と話をしたい』と。

 今の返答を聞く限り、室は品子の要望を理解しているようだ。


「では、お相手の方と私が連絡を取るのは可能でしょうか?」

「それはまず相手の都合等もありますから。ここで私が決められるものではありませんね」


 前回での、室との間に起きた体験が思い出されてしまう。

 店内は快適な温度に保たれているであろうに、体から汗が流れて止まらない。

 鞄の中からハンカチを取り出し、額の汗を拭う。

 そうして再び室に向き合った品子の汗が、一瞬にして止まった。

 己の手がハンカチを、強く握りしめていく。

 品子は顔面蒼白となり、言葉を失っていた。

 室が先程まで浮かべていた笑顔を消し、表情を無くした様子で見上げていたからだ。


「……いや、決めてしまいましょう。私としては現状、相手に聞く必要はないと判断をしました」


 ぞくりと品子の肌が粟立つのが分かる。

 無意識のうちに、足が後ろへと下がっていく。


「あなたとしては、周りの状況から私が事を起こしにくい。そう考えているかもしれませんが」


 品子の体が動かない。

 いや、動かすことが出来ないのだ。

 今は顔だけが、かろうじて動かせるのみ。

 助けを求めるかのように、自分の立っている場所から真横の位置になった惟之へと視線を向ける。

 だが彼も同様に座ったままで、不自然に小刻みに体を揺らすような動きをしているではないか。


 周りの人々には変わった様子はない。

 つまりは発動者のみの動きを制限する能力なのだと品子は悟る。

 そんな動揺など知らぬと言わんばかりに、室は話を続けていく。


「こんなものは全てをご破算はさんにしてしまえば、何も問題ないのですよ」


 それはつまり、ここに居る全員を始末するという宣言。

 この男には、一般人が何人いようが関係ないのだ。


 ごくりとつばを飲み込む。

 話し合いで解決と言うのはやはり無理であったのだ。

 非常にまずい事態になってしまった。

 惟之の体が動かなければ、今回の計画が根本から崩れてしまう。

 本来は交渉が決裂した時点で、惟之が近くで待機しているある人物に連絡を取り、この場を収めてもらう予定だったのだ。

 せめてどちらかが、体が動けるようにならなければ。

 今の状況をあの人に伝えないと。

 このままではこの店にいる人間が全員、殺されてしまう。


「……今一度、聞きたいのですが。考えが改まる可能性は?」

「無いですね。冬鳥のお嬢さんでもいたら、相手の意思もあって交渉の余地もあったのかもしれませんが。……あなたのために今回、協力させられた人達には同情しますよ」


 室はぐるりと周りを見渡す。

 品子は今更ながらに、つぐみを最初から店に連れてこなかったことを後悔する。


「室さんとの、二度目の交渉も決裂ですか。本当に残念です」


 なんとか時間を稼いで、惟之か自分の体が動くようにならないだろうか。

 いつもより早く鼓動を打つ、自分の心臓の音がうるさくてたまらない。

 さらに品子の耳には、店の入り口の方で新たな客が入店したのを知らせる、ドアベルの音が遠く聞こえてきた。

 その軽やかな音色ですら、今の品子には耳障りにガンガンと鳴り響いてくる。


「仕方がないですね。以前にも言いましたが、あなたのその気概は嫌いではないのですよ。私としても残念です」


 室が自身の右手を見つめた後、ゆっくりと立ち上がり品子へと近づいて来る。

 発動が完了したのだ。

 体が動かない以上、品子にはもう術がない。

 さすがに今回はつぐみがいない為、沙十美の助けは無いということか。


 室の手が触れた時点で、自分の命は無くなる。

 ならばせめて最期に何か、言ってやろう。

 そう考えた品子は口を開く。


「もう最期になるでしょうから、聞いてもいいでしょうか?」


 室の歩みが止まる。


十年前マキエ様の事故。……あれは、本当にこちらからの事故だったのでしょうか?」


 答えるだろうか。

 品子は室の顔を見つめる。

 彼はこちらを見つめた後、ぽつりと言った。


「……相互でしょうね。その件は」

「それは……!」


 つまりマキエの事件は白日、落月どちらにも関わった存在がいるという事ではないか。

 品子の顔色が変わったのを見て、室は続ける。


「知らなくていいこともあったでしょうにね。それではお別れで……」

「ここでしたか、室さん! あら? 人出先生、先に話してくれていたのですね」


 室の言葉を遮るように、店の入り口の方から声が響く。

 駆け込むようにこちらへと向かってくる人物に、品子も室も驚き言葉を失う。

 そんな二人に彼女は。

 冬野つぐみは笑いかけると再び口を開いた。

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