第125話 人出品子は動揺する

「あら、皆さんどうしたんですか? 真面目な顔して」


 にこにこと満面の笑みを浮かべたつぐみが、目の前にいる。

 彼女には車の中で、連絡をするまで待機と言ってあったはずだ。

 だがこのタイミングで、彼女は現れた。

 一体、何が起こっているというのだ?

 混乱する品子をよそに、つぐみは室へと向き直る。


「室さん。先に人出先生から、話は聞いていると思いますが。ある方について伺いたいのです」


 彼女は室に再び微笑む。


「私もお相手の方からの伝言を、もちろん聞いていますよ。『助けたいけどもう出来ない』ですよね? それに対する私の答えをお相手の方に」


 この言葉は奥戸の事件で、沙十美からつぐみへ宛てられていたものだ。


『許されないとはわかっています。あの子を助けたくても私にはもう出来ない。せめて、あの子にごめんなさいと……』


 あの時の沙十美の悲しみと後悔の思いに包まれた言葉。 

 それを反芻はんすうするかのように、つぐみは目を閉じている。

 それからゆっくりと目を開き、はっきりとした声で言った。


「私は、あなたの助けが必要です。今、必要ですと。そう伝えて頂ければ」


 室は黙っている。

 その一方で、相変わらず品子の体は動けないままだ。


 どういう訳かは分からない。

 だがつぐみは品子達のピンチに気づき、助けに来たのだ。

 しかしながら相手が悪すぎる。

 せめてつぐみだけでも、ここから離れてもらわなければ。

 そう思い見つめた、つぐみの後ろ姿ごしに見える室の様子がおかしい。

 先程までの無表情だった顔を、自分の右手で覆いうつむいている。


「……うるさい、じゃじゃ馬」


 そう呟く声が聞こえ、室が大きなため息をつき顔を上げた。

 それと同時に、品子の体にあった拘束感が唐突に消え失せる。

 想定していなかった動きに、たまらず品子は前に倒れこみそうになってしまう。

 だがその正面には、自分に背中を向けたつぐみがいるのだ。

 このままでは彼女にぶつかってしまう。

 とっさに横にあるソファに手を掛けようとするが、掴むことが出来ず空を切る。


「冬野君っ!」


 声を掛けるのが精いっぱいだ。

 品子の声に反応して、彼女が振り返ろうとしている。

 室はそんな品子の動揺した様子を、表情のない顔で見ているだけだ。


 次の瞬間、品子の体はぐっと後ろに引っ張られる。

 惟之が品子の手首を掴み、自分の方に引き寄せたのだ。

 そのままもう一方の手を品子の肩に添えると、後ろから強く引き寄せてくる。

 品子の体はくるりと半回転し、惟之の胸に頬が当たり止まった。

 何とかつぐみにぶつからずに済んだようだ。

 品子はほっとして、彼女の方に首を傾けていく。


 一方のつぐみも、同時に品子から離れる様に後ろに下がっていた。

 室に体を預けるようにして、彼女がこちらを向いて呆然としている姿が見える。

 その体には、室の右腕が後ろから肩を抱くように回されていた。

 室が、二人がぶつからないように彼女を抱きとめていたのだ。


 ……さながら室は、お姫様の危機を救った王子様のようだ。

 品子がそう思った瞬間、周りから起こる複数の黄色い悲鳴。

 ようやくそこで、つぐみと自分の状態に気づいた。


 転倒しそうな品子を抱えて助けた惟之。

 同じようにぶつかるのを避けるために、つぐみを抱き寄せた室の姿。

 年頃の女子大学生の皆様方には、実にたまらないシチュエーションといえるこの状態。

 理解をした途端、自分の顔が急激に熱くなるのを品子は感じる。

 すぐにこの場から去らねば。

 品子の頭には、その考えしか浮かんでこない。


「むっ、室さん。続きの詳しい話をしたいので、……一旦ここから、で、出ましょう!」


 品子は上ずった声で、室に話しかける。


「……わかりました」


 室は素直に返事をしてきた。

 うつむいて、店の出口へと向かう。

 他の客と目が合わないように。

 室の分の会計も共に済ませると、逃げる様に店を出ようと急ぐ。


 周りの客が、ひそひそと話しているのが聞こえてくる。

 今は全てを忘れようと品子は足を進める。


(いや。むしろここに居る全員に、『忘れて』もらった方がいいのか?)


「あ、人出さーん。業務に必要のないことは、しない方がいいと思いますよー」


 最高に嫌なタイミングで、後ろの「旅行業者」が何か言ってきている。

 この声の調子からいって絶対に、ニヤついているのだろう。


 ……殴る。

 今日この件が終わったら、絶対に殴ってやる。


 品子はそう心に誓うのだった。



◇◇◇◇◇



「それで今、彼女と話は出来るのですか?」


 信じられないほど素直に、室は品子の車に乗り込んできた。

 今は後部座席で、彼はつぐみと話をしている。

 助手席に座る惟之は何も言わず、ただ後ろの二人の会話に耳を傾けていた。


「話をするよりも、実際に見せた方が説明の手間が省ける。ここは狭いから周りに誰もいない所で、車を停めてもらえるだろうか?」


 見せるとはどういうことだろう。

 室の意図はよくわからないが、とにかく指示のある場所の候補をと品子は考える。

 この先には、遊戯施設があったはずだ。

 平日の今日ならば、そこの一番店から離れた駐車場なら誰もいない。

 五分ほど車を走らせ、目的の駐車場に着く。

 予想通り、辺りに人がいる様子はない。

 室が車から降り、品子達にも降りてくるように促す。

 全員が下りたことを確認し、周囲を見渡し人がいないことを室は確認していく。


「早く済ませてくれ」


 室はそう呟いてから、煙草に火をつける。

 煙草から揺蕩たゆたう煙を眺めていると、その煙の前に黒い霧が唐突に表れる。

 霧はまるで蝶のような形になった後、徐々に大きくなり今度は人の形になっていく。

 目前で起こっている出来事に頭がついていかず、品子はただ口をぽかんと開けたまま立ち尽くすことしか出来ない。


 目の前には、黒いワンピースを着た女性が。

 死んでしまったはずの千堂沙十美が立っているのだから。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る