第183話 井出明日人は相談に乗る

「……今、何か困っているの?」


 明日人から掛けられた言葉にどくり、とつぐみの心臓が大きく揺れた。

 今、表情を見られるのはまずい。

 下を向き、声が上ずらないようにとゆっくりつぐみは口を開く。


「……え、どうしてですか?」


 口元に笑顔を浮かべてから、明日人の顔を見上げる。

 自分を心配そうに見つめているその表情に、つぐみの心がじくりとうずいた。


「僕は治療班だからね。普段の様子をみるのも仕事だから。この部屋に来てから、つぐみさん何だか顔色が悪いんだ。いや、何といえばいいのか。とても悩んでいるというか、困っているように感じるんだけど……。僕で良かったら、相談に乗るよ?」

 

 困り顔ながらも微笑む明日人を見つめ、つぐみは気付く。

 自分が皆の様子を見ながら話をしていくように、彼もつぐみのことを見て話しているのだと。


 もっとも、明日人と自分では全く違う。

 純粋につぐみを心配し、声を掛けている明日人。

 一方で正直に話すことも出来ず、人の言動を探るような行動をする自分。

 その違いに後ろめたさを抱えながら、再び偽りの笑みを浮かべていく。


「すみません。私には何が出来るのだろうと考えていました。皆さんのように、人を救えるようになりたい。そのためには私は、どうしたらいいのだろうと」


 これではまるで、先程の惟之のようだ。

 真実を話せずに、ぼやかしてしか話すことが出来ない、話せない。

 言葉を出すごとに、心に後ろめたさが増していく。


「私は、皆のそばにいたいです。皆と笑っていたいです。ここにいる大好きな人達が突然いなくなったり、悲しいことにならないようにしたいのです! だったら! それだったら私は、自分の変化を使って……!」

「それはさせない」


 つぐみをさえぎり、明日人は答える。


「品子さんはね、君がその力を使い傷つくことをとても恐れているよ。僕としても、……君がこちらの側に来るのは、賛成しかねる」

 

 いつもの物柔らかい明日人らしからぬ、強い口調。

 つぐみはその強い思いに一瞬、言葉を詰まらせてしまう。

 明日人は普段と違う、鋭く射抜くような視線のままで言葉を続ける。


「組織の上の人達に君の存在。特にその貴重な能力が明らかになれば、君は間違いなく利用されるだろう。それを僕達は望まないし、させたくないんだ。そうなる位なら僕は、君にこのまま一般人として過ごしていて欲しいと願う」


 膝の上で、強く握り締められている明日人の手は震えている。

 自分を思うからこその厳しい言葉に、どう答えるべきかとつぐみは迷う。


 だがここで引き下がるわけにはいかない。

 つぐみには変えたい、変えなければいけない未来があるのだ。


「……今までの私は、人に流されてばかりでした。周りを伺いながら、ずっと生きてきました。その生き方しか、私は知りませんでした。でもここで皆さんに出会い、命を救われてここにいます。たくさんのことを学び、自分で前に進むという道を教えてもらいました」


 一呼吸おいて、つぐみは言葉を続ける。


「次は私がもらった、たくさんのものを返す番です。私は自分が前に進むために必要な力のきっかけを今、握っています。そしてそれは自分で選び、掴み取ろうとしたものであると思っています」


 明日人は何も言わず、じっと次の言葉を待っている。

 普段『自分』というものを出さないつぐみが、伝えようとする気持ちに応えてくれているのだ。

 ならば自分は、相手の真摯な気持ちにぶつかっていくだけだ。


「思われている、守られている。これはとても嬉しいことです。幸せなことです。私は今まで、これらの感情を知ることなくここまで来ました」


 ヒイラギの肩代わり。

 沙十美の命を懸けたつぐみへのおもい。

 彼らは自分のために自らの命すら掛けて、つぐみのことを守ってくれたのだ。


「出来ることがあると分かっているのに、それをしない私は……。私という存在は、あると言えるのでしょうか?」


 問いかけを静かに聞いていた明日人は、つぐみを見つめながら答える。

 その目はとても優しく温かく、そしてあまりにも美しいもの。

 つぐみは少しの間、彼に見とれてしまった。


「僕らは、いや。少なくとも、僕にとってはというべきかな。君がここに居てくれる。皆に笑いかけ、受け入れてくれる。そして僕が嬉しい、幸せだと思える時を作ってくれている。それは十分に存在するという意味を成していると思うのだけれど。それだけではだめなのかな?」


 明日人の優しい、偽りのない素直な心の内。

 それを知り今この時に感じるべきではない、喜びという感情を胸の内に覚えてしまう。


 自分の存在が認められる。

 かつては望み、欲しくて欲しくて仕方が無かったもの。

 どれだけ手を伸ばしても求めても、掴むことすら許されなかったもの。

 それを自分は、手に出来ているというのを知ったのだから。


 ――でも、それだからこそ。


「ここで前に進むのを止めて、出来なかったことがあったときに、後悔をしたくはないのです。失ってから悲しむのでは遅いのです。それならば私は、皆から間違っていると言われても、自分の選択で前に進みたい。そう、願います」


 はっきりと語るつぐみに、明日人は苦笑いを浮かべる。


「まいったね。僕がつぐみさんに困っているの? と聞いたのに逆に今は、僕が困っているのだから」


 明日人は立ち上がり、部屋の扉の方に向かうと声をかける。

 

「ということなんですけど、どうします〜?」


「えいっ」と声を出しながら、明日人は扉を開く。

 その先の光景につぐみは言葉を失う。

 誰もいないはずのその場所には。

 何だか気まずそうな表情をした惟之と、難しい顔をした品子が立っていたからだ。

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