第163話 夕食にて

「ううっ、おかしい! おかしいよこんなこと!」


 品子が鼻をすすりながら、台所で寿司を食べているのをつぐみはつい見てしまう。

 さぞ寿司は涙と合わさり、しょっぱい味がしているのだろう。


 リビングでは皆が。

 正しくは品子以外の皆は、リビングで寿司を食べていた。

 あれから『さとみの前で理性をしっかり保ちます』宣言をしたつぐみは、無事に解放された。

 だが品子は違ったのだ。


「も、もちろんするよ~。……多分」


 と宣言の際に、見事にフラグを立ててしまったのだ。

 その為、本日二回目の木津家会議にて、「品子は台所以外移動禁止」の議案が成立。

 ちなみにつぐみ以外は、全員賛成だった。

 それにより品子は、台所以外の他の部屋への移動を禁じられているのだ。


「うっ、ぐすっ。惟之はっ! こんな可哀想な私の姿を見て、何とも思わんのか!」

「……風呂とかの生活に必要な時の移動は、認めてやったんだ。十分な慈悲じひだろうよ」


 吸い物を飲みながら、惟之は品子に声を掛けている。


「そうそう。素直にやりませんって、決意するだけで良かったのに。それが出来ないのなら自業自得だろう」


 甘エビの寿司を手に取ったヒイラギが、続けて話す。


「さとみちゃん。玉子食べる~? これねぇ、甘い味がするんだよ。」

『あまい? 食べたい! あすと、ちょうだい!』


 さとみと明日人は、すっかり仲良くなったようだ。

 嬉しそうに隣同士で並んで食べている。

 さとみはまだ箸が使えないので、明日人がそのつど彼女の口に「あーん」をしてあげているのだ。

 その姿につぐみの口からはつぶやきがもれる。


「うぅ、……羨ましい」


 つぐみは理性が飛ぶといけないと思い直し、そっと見つめるだけにする。

 玉子をぱくりと食べたさとみは、目を大きく開く。

 そうして立ち上がり大きく手をぶんぶんと振り回す。


『おいしい! これおいしい!』

 

 そう叫びながら、きらきらと目を輝かせるではないか。

 次の瞬間、リビングにいた全員が自分の寿司桶から玉子を差し出そうとした。

 ――もちろん台所にいた品子も。


「品子姉さん。せめてものという気持ちでつぐみさんは、品子姉さんのお吸い物に、皆より多めにお麩を入れていましたよ。つぐみさんの優しさに感謝して、そこで大人しく食べていて下さいね」


 いつも通り淡々と、シヤが品子へと声を掛けている。


「ぐあぁぁ、足りないんだよぉ。ちっとも足りないんだよぉぉぉ。お麩が足りても、さとみちゃん成分が全然足りていないんだよぉ!」

「何だよ、そのさとみちゃん成分って」


 惟之があきれたようにつぶやいた言葉は、台所からの品子の呪詛じゅそのような声にかき消される。


 そんなこと言ってたら、一生台所から出られなくなるのでは。

 最後に残しておいたマグロのにぎりを堪能たんのうしながら、つぐみはそう思うのだった。



◇◇◇◇◇



「ううっ。美味しいはずのお寿司が、しょっぱいだけの味気ない食事になろうとは。……しかも私のおごりなのに。ううっ」


 皆が食事を終え、つぐみは台所で洗い物を始める。

 後ろからは、品子の恨めしそうな声。

 結局、今回は全て品子の支払いとなった。

 せめて自分の分は払いたいと、つぐみは提案をした。

 だが品子からは二人のお祝いをしたいと言われ、その好意に甘えさせてもらったのだ。


 さとみは今、シヤと一緒にお風呂に入っている。

 ヒイラギは、午前中に出来なかった課題を済ませるために自室に戻っていった。

 惟之と明日人は、リビングで茶を飲みながらゆっくりとしているようだ。

 それぞれが時間を過ごしているのを眺め、つぐみはこの場にいられる満足感に浸る。

 そんな中、ふと疑問が浮かび品子に向き合う。


「先生、さとみちゃんは私の所に来てくれました。彼女のこれからですが。室さんと沙十美みたいな感じで、私の体の中に入ってくるんですかね?」


 つぐみの問いに品子は、しばらく考えこんでから口を開く。


「うーん。そういえば彼女はかつては、ヒイラギの中にいたんだよねぇ。別に体内に居ないといけない、というルールがあるわけでもないだろう。別に彼女が命を狙われているわけでもないし。外にいても問題ないだろう。どうするかは、二人で話し合えばいいんじゃないかなぁ?」

 

 確かに行方不明扱いの沙十美と違い、こちらのさとみは他人に見られても困るわけではない。

 だが夏休みが終われば、つぐみは大学に行くことになる。

 そうなるとつぐみの部屋で、さとみを一人で待たせることになってしまうのだろうか。

 一人で部屋にぽつりといるさとみの姿を想像する。

 その彼女の姿に過去の自分の姿が重なっていく。


 そんな可哀想なことは絶対にしたくない。

 ならば自分の中に居てもらった方がいいだろうか。

 そう悩むつぐみの視界に、シヤとさとみが風呂から出てリビングにやって来るのが映る。


「あれ、さとみちゃんパジャマ着てる? いつの間に?」


 つぐみの不思議そうな表情に気付いたシヤが台所にやって来た。

 冷蔵庫からお茶を取り出しながら、つぐみへと説明を始める。


「惟之さんが出雲さんに、連絡をしてくれていたみたいです。二条の方がこちらの家に、さとみちゃんのパジャマや下着などを一式、届けに来てくれました」

「さすが靭さん、というか出雲さん。自分もその視野の広さを見習いたいなぁ」


 二つのコップにお茶を入れたシヤは、その言葉にうなずきながらリビングへと戻っていく。

 シヤはさとみと二人で仲良く並ぶと、お茶を飲みはじめた。

 その愛らしさに、同じテーブルに居る惟之と明日人にも、そしてもちろんつぐみにも笑顔が浮かんでいく。


「……ふふ、可愛いのに手が届かないっていやぁね。本当に嫌になっちゃうわぁ」


 後ろからオネエ言葉で話す品子の言葉を、つぐみは聞かなかったことにする。


 一通り片づけは終わった。

 今のうちに、さとみと自分の体に入るかの相談をしておいた方がいいだろう。

 そう判断したつぐみは、リビングへと再び目を向ける。

 可愛い女子二人組は、ちょうどお茶を飲み終わったようだ。

 それを見届け、つぐみはさとみへと近づいていくのだった。

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