第203話 人出品子は戸惑う
三条の管理室から出てすぐに、品子はある人物への対話を試みる。
断られるであろうと思っていた相手は、案外あっさりと了承してくれた。
時間を取るということで、品子は相手の予定を聞き都合を合わせることにする。
互いに本部にいる、相手も予定が入っていないというのが幸いした。
今からでも問題無いとの返事をもらい、品子は指定された場所へと向かう。
数分後、一条の管理地にある一室に品子は案内されていた。
案内してきた事務方の女性から、相手に取り急ぎの用件が入ったしまったこと。
そのためにこちらで待っていて欲しいとの言伝を聞き、待つことにする。
手持ち無沙汰なのもあり、品子は六畳ほどの部屋をぐるりと見渡す。
中央にあるテーブルを挟み二人掛けのソファーと、一人掛けのソファーが二つ並んでいる。
ならばこちらだと、一人掛けの方に腰を下ろす。
組織内では、自分は下座に座る立場なのだから。
取り急ぎの用件とやらも、実はただ品子を待たせて楽しんでいるだけ。
その可能性も考えられる相手だ。
かなり待たされるを覚悟し、品子は時間が過ぎるのを待つ。
五分ほど経過したころで、ノックも無くおもむろに扉が開く。
その音に振り返れば、待ちわびていた相手である、
「……お待たせしましたね。あなたからお話があるなんて驚きましたが」
待たされるかと思いきや、意外に早く来た。
その考えが品子の顔に出てしまったようで、里希は
よく見れば、彼は少々息が上がっているではないか。
額には、汗が浮かんでいるのも見える。
用件があったというのは、事実であったのだ。
それにもかかわらず品子の都合に合わせ、こうやって駆け付けてくれたのか。
彼も忙しい身であろうに、突然の自分の要望に応じてくれている。
心苦しい一方で、どうしたことか芽生えてしまうのは喜びの感情。
そんな思いから、品子は思わず口元に小さな笑みを浮かべてしまった。
まずい。
こんな失礼な態度を見せてしまったら、また前回のように怒りを買ってしまうではないか。
里希に平手打ちをされたのを、品子は思い出す。
だが里希は機嫌を悪くするかと思いきや、ついと視線を逸らしただけで何も言わない。
今日の彼は一体、どうしたというのだ。
走ってきたことで上気した彼の顔が、昔を思い出させる。
まっすぐに自分を見てくれていたあの頃の彼が、重なって見えてしまうのだ。
そのせいもあるのだろう。
今日の彼がいつもよりも、雰囲気が柔らかく感じられるのは。
ひそかに動揺する品子に、里希が声をかけてくる。
「それでどうしたのですか? どういった用件で私に?」
里希の問いかけに、品子は我に返る。
あまり時間を取らせても申し訳ない。
早めにこちらの用件を伝え、退出せねば。
ソファーから立ち上がり、品子は口を開く。
「さとっ……、いえ、失礼。お時間を頂きまして、ありがとうございます。蛯名様」
品子は慌てて言葉を言い直す。
つい昔のように「里希」と呼んでしまいそうになってしまった。
品子の挨拶に、里希の表情は変わり、冷徹ないつもの姿に戻っていく。
今の言葉がスイッチだった。
そうとしか思えない変化に、品子は戸惑う。
「……手短に、お願いします。僕もそれなりに忙しいですから」
彼を怒らせてしまった。
相手から言われるまでもなく、それを品子は理解する。
自分の口から出た言葉を悔いるが、今更遅い。
言われた通りに、早く済ませたほうがいいと判断をし言葉を続けていく。
「十年前の話になります。私と、……あなたとのことを今一度、お聞きしたい」
◇◇◇◇◇
「他人の介入なく、個人的な話をしたい。そう言われてここに来てみれば昔話ですか? 随分とあなたはお暇なようだ」
先程、品子を案内してくれた女性がお茶を運んできた。
女性に里希が呼ぶまで誰も部屋に入らないように指示を出すと、彼は品子の顔を見ながら呆れたように話してくる。
彼から放たれる言葉に、先程まであった柔らかな空気は
最悪の始まりになってしまった。
だがこのまま何もせず帰るということだけはしたくない。
品子は気合を入れなおし、里希へと尋ねていく。
「単刀直入に申し上げます。私は三条の人出品子としてでなく、個人の人出品子としてあなたに聞きたい。十年前、私は何をあなたにしてしまったのですか? どうしてこんなに、あなたとの距離が離れてしまったのかを。……私はそれを知りたくて、今日ここに来ました」
「距離? その言葉の意味が、私にはわかりかねますが」
品子の問いかけに動ずることなく、里希は淡々と言葉を返してくる。
「今更なぜと言われても、仕方のないことではあります。今までに尋ねる機会は何度もあった。にもかかわらず逃げるようにしていた。そうしていたのは、ほかならぬ私ですから」
「ではそのあなたがなぜ今、聞いてくるのです? 今更、詫び言ですか? 何かしら、心境の変化でもあったといったところですかね?」
詫び言という言葉を、品子にぶつけてきたこと。
そんな言葉が里希から出てくるということは、やはり彼に対して自分は何かをしているということだ。
「その詫びるにしてもです。私はなぜ、あなたがそんなに心を閉ざしてしまっているのか。それが分からないのです。非があるのならばきちんと認め、向き合わせてほしい。そう思うのです」
品子の言葉に目を閉じたまま静かに耳を傾けていた里希は、ゆっくりと目を開く。
そうして品子を柔らかな瞳で見つめた後、静かに微笑む。
「……そう、ですね。逃げていたという意味では、私も同様と言えるのでしょうね。品子さん。……いえ、品子先輩」
里希からの懐かしい呼ばれ方に、品子は思わず目を見開く。
そんな自分の態度に、彼はくすくすと笑っている。
「そんなに驚くことはないでしょう? 先輩が言ったのではないですか。個人の人出品子として聞きたいって。だから僕も、それに答えてるまでですよ」
「さと、……き。わたっ、私は……」
品子は言葉が上手く出せない。
嬉しいような、長かったような。
とにかくたくさんの感情が、あふれ出てしまう。
喉がそれらで塞がれてしまったかのようだ。
「ふふ、そうだ。昔みたいに、隣り合わせで座って話でもしましょうよ。ねぇ、先輩?」
彼は、自身が座っている二人掛けのソファの隣をポンと軽く叩く。
「え? それはちょっと。私には、照れるというか……」
「おや? でも以前はむしろ先輩からでしたよ。そうやって、僕を誘ってくれていたではないですか」
確かに、昔の自分がそうしていた記憶はある。
だがこちらを見つめながら話してくる彼に対し、妙に羞恥心が出てしまうのは否めない。
あの時はまだ少年だったが、今や彼はすっかり大人の男性になっているのだ。
改めて里希を眺める。
以前と変わらないのは、白い肌と静かに美しさをたたえた瞳。
だがしなやかだった体つきは、すっかり引き締まった大人の体つきへと変わっている。
惟之や明日人に対してとは違う、よくわからない恥ずかしさ。
これがあり、品子としてはどうも近づくのには抵抗がある。
「どうしたんですか? らしくないですよ、先輩。何も遠慮しなくても、いいじゃないですか。だって僕達は……」
里希は品子の元へやってくると、手を取り二人掛けのソファーへ一緒に座らせる。
恥ずかしさで顔を上げられず、うつむいてしまう品子に彼は続けた。
「親の決めたこととはいえ、僕たちは
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