第92話 秘書にしてください

「冬野君、今日の買い物についてなんだけど」


 麦茶を二つ用意して机の上に置くと、つぐみは品子の向かい側に座る。

 さすがにシヤは今日は疲れたようで、お風呂から出た後にすぐに自室に戻っていった。

 リビングで品子は、つぐみの渡したレシートを机に並べていく。

 ここでの食費は、品子が払っている。

 つぐみは、生活費の代わりに家事を請負う約束で木津家に滞在していた。


「今日の美味しい生チョコの材料費。この中の費用に入ってないよね? 冬野君、自分で払ったでしょう?」

「あ、はい。それは私が、個人的に作りたかったものだったので」

「でも食べてたのは、君以外の他の人でしょ? だったらこちらに入れてくれても良かったんだよ」

「そう、……ですね。では次から甘えさせてもらいます」


 いつも自分が世話になっているので、少しは恩返しを。

 そう考え、別会計にしたがかえって良くなかったようだ。


「……冬野君は、少し人に気を遣いすぎるところがあるね。もう少し私達に甘えてもらってもいいのだけどな」


 少し困った顔で、品子が笑っている。


「こんな話をするのも何なんだけど。君は今までアルバイトをしていないよね? ご実家からの援助もあるだろうけど、あまり君自身が自由に使えるお金はないのでは?」

「……はい。私の家庭事情は、もう先生はご存じだと思いますが」

「アルバイト禁止はご家族からのお願いで、そうしているのかな?」


 品子は、冬野家の家庭事情を知った後でも態度は変わらない。

 つぐみはそんな彼女の態度に優しさを感じていた。


「はい、学業に専念してほしいということと……」

「あまり表に、出て欲しくないと?」

「そうですね。でも、学費や一人暮らしの家賃や光熱費などは実家が出してくれています。だから、私はそれについてはとても感謝しています」

「そうか。人様のご家庭の事情に、私がとやかく口出し出来ることではないからね」


 レシートを片付けると、品子はつぐみの前に立つ。

 そしておもむろに両手で、つぐみの両頬をむにゅっと挟んだ。


「で! す! が! ワタクシ、人出品子、冬野つぐみさん個人には介入かいにゅうさせて頂きますことよ!」


 つぐみの頬をくるくると、手のひらで回すように品子が触れてくる。


「はい、という訳でですね。明日から冬野君を、期間限定で私の秘書に任命いたします。主な仕事は書類整理といったところでしょうか」


『秘書、期間限定』

 言われていることに、頭が追いついていかない。

 ようやく理解し出た答えを、つぐみは品子へと聞いてみる。


「あの、つまり明日。私も二条の資料室という所に、一緒に行かせて頂けると?」

「うん、そうだよ。人が多い方が探しやすいだろうし。……とはいえこの話は今、思いついたからねぇ。惟之に一度、許可を得ておいた方がいいよなぁ。あ、もちろん秘書さんだからアルバイト代も出すからね。しっかり賃金の分は働くんだよ~」

 

 つまりこれは、自分が品子に認められたということ。

 手伝いを許されるところまで近づいているのだという嬉しさが、つぐみの体を包みこんでいく。


「……っ、はい! 頑張ります。しっかり働きますっ! だから私を秘書にしてください!」

「いいねぇ、その健気けなげさたまんないね~。はい採用! よろしくね、……っと?」


 品子のスマホから、着信音が鳴っている。


「……もしもーし。うわ、タイムリーだな惟之。明日の資料室の件、冬野君も連れて行っても大丈夫かなぁ? ……うん。そう、連れて行きたいからさ。え? 今、隣にいるよ。代わった方がいい?」


 品子がつぐみに、スマホを渡してくる。

 そのまま受け取り、そっと耳に当てていく。


「もしもし?」

「冬野君、靭だ。明日、品子が君を連れて行きたいと言っているが、君は迷惑でないのか確認として聞いておきたい」

「はい、私も一緒に行きたいです! よろしいでしょうか?」

「君がいいというのなら問題ない。では明日、品子と一緒に来てくれ。それでは失礼するよ」

「はい、では失礼します」


 嬉しさを抱え、つぐみは通話を切る。


「先生、電話をお返ししますね」


 弾んだ声を隠さず、品子へとスマホを差し出す。

 だが品子は、つぐみが握ったスマホを見つめたままだ。


「先生?」


 声を掛けると、品子はようやくつぐみの方を向いた。


「……さて。明日は頑張ってもらわなきゃいけないからね。もう休みなさい。私は車に忘れ物をしたから、取りに行ってくるね。悪いけど今からシヤに、明日は出掛けることを伝えておいてくれるかな」


 渡されたスマホと車の鍵を持つと、品子はリビングから出ていく。


 確かに自分が出かけるとなると、明日はシヤが家で一人になる。

 品子の言葉にうなずき、つぐみはシヤの部屋へと向かうのだった。

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