第75話 肩代わり★
「なんで、さっきまではこんなっ……、どうしたらいいんだ?」
目の前で痛みを訴え続けるつぐみに対し、何もできないヒイラギは天を仰ぐ。
「兄さん、これは一体?」
悲鳴を聞いたシヤが、ヒイラギの元に駆けつける。
「わからない。今まで痛みは無いって言ってたのに、急に痛いって言いだして!」
「多分だけどさ。発動者が瀕死、あるいは死んだんじゃないかと思うよ」
後ろからの声に振り返ると、一人の男が扉の前で腕組みをしてヒイラギ達を見つめている。
「あなたは確か……」
「うん。四条治療班の
苦し気な悲鳴が響き続ける中、この状況でのんびりとこちらへと歩いてくる彼に怒りがわく。
だが今、つぐみを助けられるのは彼しかいない。
「井出さんお願いだ! いや、お願いです。この人を俺達は巻き込んでしまいました。どうか、どうか助けてください!」
こうやって人に頼ることしか出来ない。
己の無力さに、ヒイラギの噛んだ唇が震える。
「とりあえず診させてもらうね」
井出は持ってきた鞄から白衣を取り出し
「相手は蝶の発動者だそうです。蝶の毒なのではないかと、品子姉さんは言っていました」
シヤが井出に説明を始めた。
その声にヒイラギは、疲れとそれ以上の悲しみを含んだシヤの思いを感じ取る。
「ん、了解。情報は沢山あると助かるから、何かあったら教えて。……って言いたいけど」
井出は、兄妹を見ることもなく淡々と伝える。
「悪いけど、この子に僕が出来ることは無い。僕は惟之さんの治療に入らせてもらうから」
「井出さん、お願いです。治療発動者のルールは十分に理解しています。ですが、何かっ! この人に私達が出来ることは無いのですか?」
シヤの苦しそうな思いにも、井出は振り返らず言葉を続ける。
「ごめんね。普段こんなに取り乱さない君がここまでしている。それだけ彼女が君達にとって、大切な存在なのは分かるのだけれど」
シヤもヒイラギも、それ以上は何も言えない。
治療班。
発動者の回復を行う彼らは、上級者ともなれば蘇生以外の治療が可能だ。
治癒というその能力が、他の組織に利用されることの無いように。
それぞれの組織は、治療発動者にルールを課している。
一つ目。
自らの組織の発動者のみに治療を行うこと。
このルールはどのような状況においても、どの組織においてもそれは厳守されるべきもの。
ルールを破ることは組織への
そのため一般人であるつぐみは、治療の対象外となるのだ。
「おーい、惟之さーん。返事ないけど、治療班宛の緊急コール貰っているので。了承とみなしますねー」
二つ目。
本人の了解なく、治療は出来ない。
今回は事前連絡もあり、後で意識の戻った惟之が了承すれば認められるもの。
こちらは比較的ゆるめなものだ。
十年前の惟之は、目の治療を拒否したと聞いている。
自分達に対する
以前、ヒイラギは品子にそう尋ねたことがある。
だがその時の品子は、寂しそうに笑うだけだった。
井出が惟之のスラックスにはさみを入れ、ざくざくと布地を切っていく。
あらわになる足に、思わずヒイラギは目を背けた。
肌色ではない赤や白色と言った色が、足のいたるところに見えている。
足の太さも左右でかなり違っていた。
「そうだねぇ。結構グロテスクだから、見ない方がいいよ~。あ、二人のうちのどっちでもいいんだけどさ。惟之さんの着替えを、二条の人に手配を頼んでおいてくれる? 今、服を切っちゃったからさ」
相変わらずのんびりとした口調で語りながら、井出は惟之の足に触れる手前でじっと手をかざしている。
明日人の様子を眺めていたヒイラギの後ろでガタンと大きな音が響き、つぐみの悲鳴が途切れた。
ソファーの方を見れば、つぐみが転落しそうになっている姿が目に入る。
シヤが落ちる前に気づいて傍に寄り添い、必死に支えていた。
慌てて駆け寄り、シヤと共にもう一度ソファーに寝かせていく。
先程から一転し、静かになったつぐみにヒイラギはそっとブランケットを掛けてやった。
「つぐみさん、気絶してしまったみたいです。……その方が、いいのかもしれません」
持っていたタオルでシヤは、つぐみの汗をぬぐっている。
苦しそうな表情、青白い顔。
つぐみを見つめながら、自分を責める以外に何か出来ないかとヒイラギは考えていく。
このまま彼女は、死んでしまうのだろうか。
せっかく取り戻すことが出来たというのに。
でも、これでは助けたとは言えない。
治療もしてもらえないならば、どうやったら彼女を救えるんだ。
考えろ。
何でもいいから考えるんだ。
「……あ、あった」
一つだけ。
つぐみの体を治す方法があることにヒイラギは気付く。
「シヤ。二条の人に、惟之さんの着替え手配のお願いをしておいてくれるか? 俺は冬野が落ちないように見てるから」
「わかりました。少し席を離れますね」
シヤは自分のスマホを取りに、鞄がおいてある部屋の隅へと向かう。
それを見送ったヒイラギは目を閉じ、集中を始めた。
一度も試したことはない。
だが知識だけはある発動を、ヒイラギは行おうとしていた。
マキエが死んでから少し経った頃。
次のマキエ候補として、ヒイラギとシヤは治療発動の訓練を受けていた時期がある。
だが発動の兆候もないということで、訓練こそ受けたものの適格性はなしと当時は判断されていた。
上手く行くか行かないかじゃない。
上手く行かせるんだ。
俺はあいつを助けたいんだ。
強く、ヒイラギは
「井出さん! 三条発動者、木津ヒイラギ。……あなたに治療をお願いします!」
大きく叫ぶヒイラギの声に、シヤと井出が振り返る。
「兄さん、いったい何を?」
「その力は……? ヒイラギ君! まさか、治療発動者でないのに『肩代わり』を使っているのか!」
そう。
そのまさかを、ヒイラギは実行していた。
訓練で学んだ内の一つ『肩代わり』。
これは人の債務などを、かわって引き受ける発動だ。
ヒイラギはつぐみの債務を。
奥戸の毒とそれに伴い引き起こされた体の変異を、全て引き受けようとしていた。
手のひらに力を込め、ヒイラギはつぐみの腕へと指先を伸ばしていく。
触れた瞬間、彼女の黒く染まっていた部分が流れる様に自分の指先へと集まってきた。
そのまま黒い塊が流れ込むかのように、指先を伝い自分の体の方へと移動してくるのを感じる。
「あが、がぁっ」
まるで指からおぞましい虫が、這いずりながら入ってくるような感覚がヒイラギを襲った。
気を失いそうになるが、歯を食いしばり、ぐっと堪える。
耐えてみせる。
こいつが完全に自分の中に来るまで。
熱いような痛いような感覚を抱え、つぐみを見つめる。
彼女の肌から、次第に黒い部分が減っていくのが目に映った。
視線をそのまま下ろし、彼女の足に向けていく。
少し前までなかった足先の膨らみがそこにはあった。
治ってきているのだ。
もう少しで終わるから、待っていろよ。
苦しいにもかかわらず、笑みを浮かべ、ヒイラギはそう願う。
痛みをこらえ、浅い呼吸を繰り返していると、ぐにゃりという感覚を足元に感じた。
「……そうか、俺の足がそうなるってことだよな」
自分の重さに耐えきれなくなった足を曲げ、膝立ちになる。
足元からは、黒い水がじわじわと床に広がっていく。
奥戸の毒は体を這いずり回り、出てきた汗ですら黒く変化させている。
気付けば白かったはずのTシャツは、白と黒のまだら模様のようになっていた。
そんな中で、触れている指先から流れ込んでくる移動の勢いが、徐々に減ってくるのが分かる。
再び見つめた彼女の細い腕は、黒い部分は消え、綺麗な白い肌に戻っていた。
その姿に、ヒイラギには安堵の表情が浮かぶ。
「よし! あと少しだ。大丈夫。助かるからな、冬野」
独り言のように呟き、思いを馳せる。
聞こえていないだろうな。
でも、だからいいんだ。
これは聞こえていないから、伝えられる思いなのだから。
「俺さ、凄く嬉しかったんだ。あんたに言ってもらったこと全部」
ヒイラギの目から涙が、勝手にぽたぽたと零れおちる。
今まで持つことのなかった感情が、思いが。
涙と共に言葉となって、あふれ出してとまらない。
「ずっと逃げてばかりの奴って言われ続けてた俺を、凄いって言ってくれた。助けてくれてありがとうって言ってくれた。あんたは俺に、言葉が温かいってことを教えてくれたんだよ」
指先からの流れが止まったようだ。
ヒイラギはそっと指先を離していく。
「……俺も言うよ。俺を認めてくれて、ありが……」
言葉を続けたいのに、頭の奥で何かが、ガンガンとなっている音がする。
何だろう、とてもうるさい。
自分の頭に触れようとして、手を上にあげようするが体がいうことをきかない。
気が付けばヒイラギの見える世界は横になっている。
シヤがこちらに向かって来るのはみえているのだ。
それなのに自分の目にはシヤの足しか映らない。
「兄さんっ、兄さん!」
上から声がする。
「シヤ! 俺に触るな!」
思ったより大きな声が出たことに、驚きながらも言葉を続けていく。
「お前に毒がうつるかも、しれっ、……しれない」
「でもっ!」
「彼の言う通りだ。万が一を考えて触れるべきではない」
シヤの後ろから聞こえた井出の声には、相当な怒りが含まれている。
「全くいい加減にしてほしいね。惟之さんの治療途中に、なんてことしてくれたんだよ。びっくりして治療を止めてたら、僕に反動が来ちゃうでしょー」
「井出さん! 兄を助けてください。お願いします。どうかっ!」
「先に言っとくけど。正直、難しいからね。肩代わりは何とか成功したみたいだけど、治療発動者でもない彼が行った発動。これはかなりの反動があると覚悟しておいてね。間に合わなくても、僕は責任を持てないから」
井出はしゃがみ込むと、ヒイラギに目を合わせてくる。
「ヒイラギ君。お嬢さんの了解なしに発動を施したというルール違反に、かなり負い目を感じているね。その心の影響か、毒の侵食がすっごく早いんだ」
井出に返事をしたいのに、声が出せない。
口を開けることすら、もう出来なくなってしまっているのだ。
「井出さん。どうか兄を……」
「もー。これかなり手当を貰わないと割に合わないよー。僕以外の人だったら、絶対に無理だったよ。シヤさん。君は惟之さんの様子を見てて。何かあったらすぐ教えてね」
「はい。どうか、どうか兄を、よろしくお願いします」
自分の話をされているのに、まるで他人事のように話を聞きながら思う。
毒が頭まで入ったのかなぁ。
でもいいや。
井出さんは、肩代わり成功したみたいって言ってたし。
よかったな、あいつ助かるよね?
もう、あいつ大丈夫だよね?
痛くも苦しくもないよね?
突然にひやりとした何かが、ヒイラギの指先に当たる。
人の肌とは違う固い感触の『何か』が自分に触れているのだ。
それを認識すると同時に、ヒイラギの体内にはおかしな動きが起こっていく。
何かがうごめきだすように、体の中を動き、かき回している感覚が起こる。
それが次第に指先の方へ進んでいくのを感じながら、ヒイラギの意識はぶつりと途絶えた。
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