第79話 人出品子は悔やむ

 シヤが自分の方へと駆け寄ってくるのを品子は確認し小さく息をつく。


「品子姉さん、いったい何が?」

「やぁ、ただいま。お土産、買ってくるの忘れちゃったな」


 シヤの顔を見て、落ち着いたのだろう。

 自然と出てきた軽口と共に品子はにやりと笑って見せた。

 品子の様子に呆れた顔をしながらも、シヤは肩を借してくれる。


「井出さん! 品子姉さんをお願いします!」


 部屋に入ってすぐにシヤは、彼女には実に珍しい大声で中にいる人物へと声を掛けた。


「えー、なにこれ。今日すっごく忙しいんだけどー」


 相も変わらずのんびりとした口調を耳にして、品子は明日人がまだここにいることを知る。

 まずはつぐみの状態の確認をしなければと、品子は部屋を見渡す。

 室内にはシヤと明日人、それにソファーに誰かが寝かされているのが目に入る。


「あ、あれは冬野君か? そうだとしたら惟之とヒイラギはどこだ? シヤ! 彼女は生きているのか?」


 取り乱し叫ぶ品子に、明日人がゆっくりと答える。


「はいはい~、話は後でしてください。取りあえず治療から始めますよ。了承お願いしまーす」


 白衣を羽織はおりながら、気だるげに明日人が品子の傍らにやって来る。

 どうやら彼には、相当な無理をさせてしまったようだ。


「気持ちはありがたいが明日人。今の君の顔色は、随分よろしくない。私は取り急ぎではない。君は一度、戻った方がいいのでは?」


 品子の提案に、明日人は頭をかきながら苦笑いを浮かべている。


「僕より明らかに体調が悪い方に言われても説得力ないですね。落月の上級者とたっぷり遊ばれていたと聞いていますよ」

「どうしてそれを?」

「この部屋の治療済みの人達を、二条の人に運んでもらっていますので。その時に報告も貰ってます。品子さんが落月のやつを連れてここから離れてくれたでしょう。おかげで随分、運びやすかったって言ってましたよ。床が固いですが、そこのシートが敷いてある所で横になって下さーい」


 つまりは惟之とヒイラギは、二条の人に搬送されたのか。

 状況を理解した品子は、言われるまま床に仰向けになる。


「タオルを掛けますね。スカートは脱いでもらってもいいですか。着替えはたくさん準備してあります。動くのが辛いならこちらで処理しますけど?」

「いや、いい。自分で出来るよ」

「……はい、ありがとうございます。あらー。折れていますね、これ」

「例の上級者に、膝と肘でサンドイッチされたからな」

「あぁ。蹴りだけや殴打だけなら逃げ道もあっただろうけど、挟み込まれたんだ。女性に対して、こんなに痛めつけるなんて容赦ないなぁ」


 明日人が淡々と状況を報告していく。


「なあ。個人的には、あの時の痛みを思い出すのでやめて欲しいのだが」

「あれ、そうですか? 分かりました。では治療をさっさと始めましょうか。改めて了承お願いします」

「……三条発動者、人出品子。治療を依頼します」

「はい、では始めます。右足がちょっと熱く感じると思いますが、そこは我慢して下さいねー」


 天井を眺めていると、シヤが恐る恐るといった感じで品子の視界に入ってくる。


「教えてくれ。冬野君はどうなったんだ?」

「つぐみさんは、助かりました。体の毒も消えています」


 毒が消えたとはどういうことだ。

 明日人が治療したというのか。

 いや、それはあり得ない。


 考えがまとまらず、品子は思わず大声で叫びながら起き上がろうとする。


「シヤ、それは一体? どうして彼女の毒が消えている?」

「わあっ! ちょっと、品子さん動かないでください! シヤさん、この人を落ち着かせて! ……ああもう! ここの人達って、ちっとも僕の話を聞いてくれないんだから」


 明日人がぼやく中、品子はシヤに肩をそっと押さえ込まれる。

 大人しくしてなければいけない。

 ようやくそれに気付いた品子は、深呼吸をして心を落ち着かせていく。


「つぐみさんは、兄さんの肩代わりによって助かりました」

「肩代わり? でもそれは治療発動者の能力のはず。ヒイラギは、そんな発動能力は持っていないはずだ」


 品子の言葉にシヤはうつむいて言葉を続ける。


「私達はかつて、マキエ候補として治療発動の訓練を受けています。適応能力がないという判断で中止されましたが……」


 上の連中は、この子達にそんなことをさせていたのか。

 自分からその芽を潰しておきながら、よくものうのうと。


 自分の中に生まれたどす黒い感情が、体を駆け巡るような感覚。

 それを押さえようと、品子は唇をきつく噛みしめる。


「それで、それで兄さんはつぐみさんの毒の全てを引き受けました。そうしたら兄さんの体が黒くなって……」


 シヤはそこまで言ってから声を詰まらせる。


「……はい、完了です。ちょっと僕は席を外すので、その間に着替えてもらっていいですか? 脱いだ服は二条の人が持っていくそうなので、あちらの隅にまとめておいてとのことでしたよ」


 白衣を脱ぐと明日人は大きく伸びをして、廊下の方へと向かっていく。


「着替え終わったら、声かけてくださいねー」


 出て行こうとする明日人に、品子は声を掛けた。


「あ、待ってくれ。シヤ、彼に冷蔵庫から何か飲み物を出してあげて」

「わぁ、ありがとうございます。シヤさん! 僕ねっ、何か甘いやつ飲みたいなー」

「品子姉さんのお気に入りコーヒー。渡してもいいですか?」

「えー、それは駄目。私が全部、飲むから」

「じゃあシヤさん、そのコーヒーちょうだ~い。僕が全部それ飲むー」


 発動時の有能さから一転して、子供のように明日人は冷蔵庫へと走っていく。

 その姿はパッチリとした二重の目元や色白の肌も相まって、さながら仔犬のようだ。


(確かあれで二十一歳だもんな。年相応という言葉からかけ離れた男だな)


 思わず笑みを浮かべ、品子は彼を眺める。

 好みの味だったのだろうか。

 シヤから渡されたコーヒーを一口のみ、こちらに振り返った顔は輝かんばかりの笑顔だ。

 その顔からあふれる砂糖菓子のような甘い笑顔は、仕事時のキリリとした真剣な表情とは大違いだ。

 そのギャップでさぞ周りの女性達を虜にしてきたことだろうと品子は思う。


「さて、始めるとするか」


 明日人の行動に笑顔が出る今の自分の心の余裕を感じながら、品子は立ち上がった。

 右足には痛みも腫れも全くない。

 見事な明日人の能力に品子は感心する。

 動くようになった体を一度、大きく伸ばす。


 部屋を見渡すとシヤがいない。

 着替えが終わるまで、明日人と一緒に廊下で待ってくれているのだ。

 気を遣わせたと思いながら、品子は部屋の隅にある着替えを取りに行く。


 予備着替えと書かれたケースを開けて、中にあった服を手に取り着替えを始める。

 あつらえたように服はサイズが合っていた。


「これは多分、出雲君の手配だろうなぁ。いいよな惟之は、こんな部下がいて。えっと、ぼろぼろになったスカートとシャツは、隅にまとめておけと言われていたな」


 衣装ケースから少し離れたところに、品子の服に負けず劣らずぼろぼろになった服が確かに置いてある。

 脱いだ服を抱え指定の場所へ向かい、品子は何とは無しに置いてあった服を見た。


「あー、これ惟之のスラックスだ。うわぁ、高そうな服なのに切られてやんの。ざまぁ」


 そのスラックスの隣には、見覚えのあるTシャツが並んで置かれている。


「これは、……ヒイラギのTシャツか?」


 真っ白だった彼のシャツは、黒色でまだらに染まっていた。

 品子は思わず手に取り、近くで眺めてみる。


「赤色ではないということは、血ではないのか?」


 ひとしきり見た後、ヒイラギのシャツを戻す。


「さてっと、明日人に声を掛けにいくとするかぁ」


 彼を呼び戻そうと、廊下へと向かおうとしたその時。


「先生……」


 その声に、品子の動きが止まる。

 すぐさま声の主の元へと、急ぎ駆け寄っていく。

 つぐみがブランケットを丁寧に畳み終え、自分の方へ向かおうと立ち上がっているのを品子の目は捉えた。


「あぁ、冬野君! そのままでいい! 少し休んでいてほしい」


 つぐみの正面で屈むと、品子は肩に手を置き顔を覗き込む。

 その顔色は、とても良好とはいえない。


「ずいぶん無理をさせてしまった。今、痛むところはあるかい?」

「……いいえ。大丈夫です」


 つぐみの声に力がない。

 このままこの子は消えてしまうのではないか。

 そんな不安に駆られている品子に、つぐみはぽつりと言葉を落とす。


「先生、ヒイラギ君は、……どこですか?」


 その問いにどくん、と品子の心臓が跳ねた。


「えっと。ヒイラギは、怪我をしてしまってね。今は治療のために別の所にいるんだ。惟之も同じところにいるよ」


 彼女は品子の答えに何も言わずうつむいている。

 気まずさから思わず饒舌じょうぜつになるのを品子は止められない。


「シヤと医者が今、廊下にいるんだ。これから声を掛けて帰るところだよ。さて、少し休んだらここを出るとしよう」


 そうだ、ここから出て彼女は普通の生活に戻ってもらうのだ。

 千堂君の話を信じるならば、この子に危険が及ぶ可能性は低い。

 どうかこのまま、平穏な生活をこの子に。

 そう思う品子に対し、つぐみは口を静かに開く。


「私は……。私は、少し前に目を覚ましました」


 うつむいていた彼女は、品子の顔を見上げて言葉を続ける。


「先生。肩代わりというもので、ヒイラギ君は私の体を治したのですね」


 ――だめだ、どうしよう。

 この子を傷つけたくない。

 

 品子のその願いはもはや、誰にも守ってやれない。


「先生が着替えてヒイラギ君の。……黒くなっていたシャツを眺めているのを見て、ようやく理解しました」

「違うんだ。君は何も……。何も悪くないんだ。だから……。だから、どうか」


 消え入りそうな声で、つぐみは言葉を続ける。


「私が、私がヒイラギ君をその『怪我』をさせた張本人だということに」


 震えた声。

 彼女は。

 ……彼女は泣いていた。


「違う! それは違うんだ! それは君が負うべきものではない!」


 品子は思わず大声をあげてしまう。

 その声に反応して、シヤと明日人が部屋に入ってくる。


「私っ、私がっ、ああ……」


 彼女は顔を手で覆ったまま、泣き続けている。

 手から伝い落ちていく涙が終わることなくただ、ぽたぽたと落ちていく。


 ……どうして私は。

 こんな優しい子の心を、傷つけてしまうことばかりしてしまうのだろう。

 ごめんなさい、ごめんなさい。

 もう、これ以上はもう。


「……明日人、シヤ。先に悪いけど帰っていてくれるかい?」


 そのまま泣き続けるつぐみを、品子は抱きしめていく。


「私は最後の片づけを終えたら、彼女と帰るよ。……だから、お願い」

「……わかりました。シヤさんは僕が家まで送り届けましょう。それでいいですか?」

「うん、ありがとね。明日人」


 明日人がシヤを促すように、背中にそっと手を添えた。

 そのままシヤは数歩すすんだが、明日人を見上げると強い意志を持って告げる。


「ごめんなさい。少しだけ……」


 シヤが品子達のそばに駆け寄ると、つぐみの膝にそっと両手を乗せた。

 シヤの口が、何度か開いては閉じる。

 そうしてようやく出てきた言葉は……。


「……ありがとう、ございました」


 たった一言。

 人と接するのが苦手な彼女が、精いっぱいの思いを込めた言葉。

 それだけを呟いて、シヤは明日人の元へと戻る。

 しばらくして、扉の閉まる音が品子の耳に届く。

 今、この部屋に響いているのは彼女の悲しい泣き声だけ。


「冬野君。少し落ち着いたら、聞いてほしい話があるんだ」


 しゃくりあげる彼女を抱きしめたまま、品子は話す。


「それが。……それが、全て終わったら帰ろう」

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