第56話 鷹の目

「あー、今日も暑いな」

「惟之さん、暑いの苦手ですか?」

「あぁ。暑いのも寒いのも、どっちも苦手」

「ちょっ、何ですか。それ!」


 昨日の夜の雲はどこかに行ってしまったようで、今日も見事な晴天だ。

 じりじりと肌を焼いてくる太陽にうんざりしながら、惟之は隣にいるヒイラギと話をしていた。


 他愛もない会話を続けながら惟之は、ここ最近で何度も見た地図のページを開く。

 昨日と同じビルの屋上に立ち、惟之は再び発動の準備を始める。


「俺、惟之さんの発動を見るの初めてだ」


 ヒイラギが風でページが変わらないように、地図を押さえながら惟之の顔を見上げてくる。


「そうだっけか。まぁ、これと言って見てて楽しいものでもないけどな」


 そういって惟之はサングラスを外し、目を閉じた。

 隣にいるヒイラギは彼が発動を始めたのを感じ、黙ってその様子を見ている。


「始めるぞ。何かあったらすぐに撤退だ。いいなヒイラギ」



◇◇◇◇◇



 目を閉じたまま動かなくなった惟之を見つめヒイラギは呟く。


「これが、惟之さんの発動の『鷹の目』なのか」


 靭惟之。

 『鷹』の力を媒体にして発動する能力者。

 その発動能力の一つである『鷹の目』はこの場から離れた場所も見ることができ、同時に発動者がどこにいるかを把握する力。

 右目を失うまでは、その能力は千里眼を持つとまで言われていた男。

 だが彼は十年前、ヒイラギの母であるマキエの死亡事件の際にそれを失っている。

 その代償は大きく彼の右目の視力と能力は失われ、日の光やそれほどまでに明るくない電灯の光ですら痛みを伴うものになっていた。

 そんな彼の様子を見ながらヒイラギは惟之からの指示をじっと待ち続ける。

 


◇◇◇◇◇



 すぅと体が浮かび上がる感覚を惟之は感じる。

 発動が完了したのを確認すると、彼は再び集中力を上げていく。

 前回は駅の周辺500mの範囲で広げてみたが、今回は範囲を狭める。

 精密度が上がる分、何か変化があれば気付きやすい。

 まず惟之はあたりの発動者の気配があるかを確認する。

 幸いにして今日は大きな気配を感じない。

 ほっとしながら一旦、目を開く。

 隣で待機しているヒイラギを見やると彼に言った。


「今日は奴らはいないようだ。ヒイラギ、品子に伝えてくれるか」


 だがヒイラギからの返事がない。


「ヒイラギ?」


 ヒイラギは黙ったまま惟之を見ていたが、二度目の呼びかけでようやく返事をした。


「あ。ごっ、ごめん。連絡だよね?」


 慌てたように、目を逸らされる。


「……初めて俺の目を見て、怖かったか?」


 ヒイラギを動揺をさせないようにと、なるべく穏やかに惟之は話しかける。


「ううん、違うよ。話は品子から聞いたことあったし。本当に片目だけ金色になるんだなって」


 ヒイラギはスマホを取り出すと品子との通話を始めた。

 その様子を見ながら惟之は自身の右目のまぶたにそっと触れる。


 そう片方だけ。

 もう片方はもうない、使えない。

 中途半端な発動者。

 それが今の自分なのだ。


 苦しみに似た思考を漂う中、ヒイラギから呼ばれ、惟之は彼に視線を向ける。


「品子が了解したって。あと、惟之さん、あのね」


 ヒイラギは惟之をじっと見た後、口を開いた。


「俺も品子と一緒で惟之さんの目は綺麗だなって思った。品子ってさ。惟之さんのことは結構、辛口に言うじゃん」

「結構どころか、俺は辛口しか聞いたことないんだがな」

「何か昨日も暗い夜道なのに、コーヒー買って来いって走らされたって。すごく辛かったって言ってたよ」

「そうか。次の通話の時にあいつに、アイス代とコーヒー代を全て返せと言っておいてくれ」


 惟之の言葉に、小さく笑うとヒイラギは続ける。


「でもね、いつも言うんだよ。惟之さんの目は本当に綺麗だって。人はどんどん変わってしまうけど、惟之さんの目はずっとずっと変わらない。それがいいんだって」

「……」

「惟之さん? どうしたの?」

「……何を言っているんだか、わからないな」


 そう、本当に分からないものだ。

 惟之の口に小さく笑みが浮かぶ。

 普段は自分に対し厳しいことしか言わない品子の一面を知り、よくわからない心のむずがゆさに思わず惟之はヒイラギの頭をくしゃくしゃと撫でる。


「うわ、何! 惟之さん。俺、子供じゃないからそういうのは要らないんだけど!」


 ヒイラギは顔を真っ赤にして怒っている。


「悪い悪い。さて、本来のお仕事に入りますかね」


 惟之は改めて地図を見直す。

 予定している場所は昨日、打ち合わせた二ヶ所だ。

 

「まずは、こちらの二つの気配を感じた方からみていくとしよう。まぁ、恐らくこちらではないかと思うんだが」

 

 そう呟き惟之は意識を眼下に向ける。

 歩いていく人々、車にどれも違和感はない。

 惟之は次第に範囲を広げていく。

 周りを見渡していると、チリリと惟之のまぶたに刺激が来る。

 惟之はそちらのほうを見ると、軽くまぶたに触れながらヒイラギを呼ぶ。


「ヒイラギ、俺が向いている方向は?」

「え? ええっと、ここから南西方向。地図に印かなんかつければいい?」

「そうだな、今から距離を確認する。赤い屋根が見えるんだが、ここからお前は見えるか?」

「あ、うん、200m位離れた屋根だよね」

「あの辺りに何か感じる。もう少し近づいてみ……」

「どうしたの、惟之さん?」

「まずい、ヒイラギ! いますぐに品子に伝えろっ! リードの対象者をあの子に変えろと! 今、言ったポイントに取り急ぎ向かってくれと。あの近くに、……冬野つぐみがいる!」



◇◇◇◇◇



「どういうことだ?」

「それはこっちが言いたいんだけど。とりあえずそこにあいつがいるらしいんだ!」


 ヒイラギからの連絡を聞いて品子は焦る。


「そんなはずはない。彼女は自宅に居たはずだ。午前中に何度かシヤにリードで確認してもらっていたから間違いない」

 

 品子は助手席に座るシヤへと視線を向ける。


「……品子姉さん。確かにこの近くに、つぐみさんがいます」


 信じられないという顔で、シヤが呟く。


「シヤ、案内して!」

「はい、車は降りて行った方がいいと思います。この辺り、狭い道が多そうですし」


 ストールを首に巻きながら、シヤは車から降りる。


「わかった、行こう」


 車を降り、品子はシヤの後について走る。


「とにかく今は、彼女との合流を。急ごうシヤ!」


 つぐみの無事を祈りながら品子はシヤの後を追い走り出した。

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