第347話 松永京は説明をする

「おかえりなさーい、ご主人様ぁ~ん! ってうわぁ!」 

 

 一条いちじょうの自室への扉を開けると同時に、里希さときは部屋の中にいた松永まつながへと発動を放った。

 器用に体をひねり避けながら、先ほどまで自分がいた場所でうごめく風を見つめ彼は叫ぶ。


「ひどいですよ! これ、本気の発動じゃないですか!」

「迎え入れるんなら、ご主人様の発動くらい受け入れたらどうなの」

「嫌ですよ。だってこれ、死んじゃうやつですもん」

「それくらいのことをした。その自覚はないわけ? 上司への報告って、すごく大事だと思うんだけど」


 里希の言葉に、松永はぽんと手を打った。

 直立した姿勢をとり、「たいへんです、品子しなこ様がさらわれました」と棒読みで答えてすぐ、後ろへと下がる。

 数秒前に松永の首があった場所に、再び小さく渦を巻く風が起こった。

 余裕たっぷりな笑顔で、松永はそれを見つめている。

 里希は、そんな彼へと語気鋭く問いつめていく。


「答えろ。なぜ惟之これゆきさんに会う前に、僕に品子先輩の話をしなかった」

「え~。ちゃんと話しますから、とりあえずは席に座ってください。なるべく冷静に聞いてくださいね~」


 主の怒りなど気にする様子も見せず、松永は椅子を指し示す。

 里希が座ったのを見届けると、松永はのんびりとした口調で話を始めた。


「一つ目。この話をしたら、里希様ってば絶対に全てぶん投げて探しに行こうとするでしょう? これだけでも困りますけど、この件が一条がらみかもと知ったら。面会禁止になっている吉晴きはる様の所まで飛び込んでいきそうですもの。そんなことになったら、後始末する俺と浜尾はまおさんが泣いちゃいますよー」

「なに言ってるのさ。主をサポートするのが、あなたの役目でしょう?」


 にこりと笑い、松永は答える。


「えぇ。だから俺なりのサポートとして、うつぼ様とお話をしてもらい、冷静になっていただく時間を置かせてもらいました」

「……」

 

 舌打ちしたくなるのを、どうにかこらえる。

 松永この男の手のひらで踊らされている。

 そう思う一方で、間違った判断をせずに済んだという事実は認めざるを得ない。


「それで、一つ目と言っていたね。ならば二つ目は?」

「『靭様からの依頼を受ける』。これにより彼個人に、あるいは三条さんじょうへの貸しが出来るではないですか。あの方は、いずれ三条の上に立つであろう人です。そんな方に恩を売っておけば、将来的になんかいいことありそうではないですか~」


 ふざけた調子ながら、あの短時間でそこまで見通しているとは。

 口にこそ出さないが、彼の判断力に里希は感服かんぷくする。

 それと同時に、いつもなら共にいる、もう一人の男がいないことに気づく。


「そういえば浜尾さんは? まだ帰ってきてないみたいだけど」

「あぁ。浜尾さんには、里希様が靭様とお話しをしている間、高辺たかべさんへの足止めをお願いしておいたんです。十五分過ぎても戻ってこないなんて。結構、頑張ってるんだなぁ」

「高辺さん一人だけ? それでは……」

「ちなみに十鳥とどりさんは、四条で打ち合わせだそうなので、そちらは心配ないかと。……さて」


 松永は、里希へと真剣な表情を向ける。


「それでは里希様。ご命令を」

「……先輩をすぐに探してきて。ついでに冬野つぐみも。言っておくけど、僕は待つのは嫌いだよ」

「承りました。ご期待に添えるよう、尽力いたします」


 うやうやしく一礼すると、松永は部屋を出ていった。

 一人になった部屋で、里希は惟之のことを思い返す。


『お前には後悔してほしくない』

 

 惟之からの言葉に、偽りがないことは十分に理解している。

 彼はいつもそうなのだ。

 人のことばかりを気にかけ、自分をさげすんできた相手ですら見捨てようとしない。

 そんな人だから、品子は惟之を選び、里希との婚約を破棄した。


 ――ずっと、そう思っていたのに。


 十年前、父の部屋の前を通った時に、わずかに開いていた扉から聞こえてきた父と高辺の会話。

 偶然とはいえ、耳にしてしまったことを、どれほど悔やんだことか。


 父達は里希の存在に気づいておらず、自分も話を聞くつもりなど全くなかった。

 そのまま去ろうとしたその時、品子の名前が聞こえ、つい足が止まる。

 それが間違いだったのだ。


「では先方が、この婚約を破棄してきたと?」

「えぇ、品子様もまだお若いのです。慕われる方がいるのであれば、そのようなお話があっても」


 話を聞いたのは、そこまでだ。

 耳にした言葉を受け入れることが出来ず、里希はその場から逃げるように駆けだしていた。


『自分は彼女に選ばれない』


 その事実だけが、ただ胸をえぐる。

 同時に、いつも彼女のそばにいる惟之の顔が頭から離れようとしない。


 きっと慕っている相手というのは彼だ。

 彼さえいなければ。


 そうは思うものの、彼女が答えを出している以上、もう自分は権利がないと思い知るだけ。


 納得など、到底できるはずもない。

 それでも認めたくないという感情を、一晩かけて自分の中から削り、捨て去りながら眠れぬ夜を過ごした。

 そうして翌日、顔を合わせた高辺へと里希は告げる。


「婚約破棄の件は理解した。今後、二度とその話を僕にしないでくれ」


 高辺は当初、話を知っていたことに驚いた様子を見せた。

 だがすぐにいつも通りの表情に戻り、「承知しました」と告げてくる。

 それ以降、この話が自分の前でされることはなかった。


 それで終わった話のはずだったのに。


 泣きじゃくりながら、一条の応接室で品子は、『自分からは破棄をしていない』と語ってきたのだ。

 今一度、彼女から、その言葉の意味を聞く必要がある。

 だから……。


「先輩、僕はあなたを取り戻しますよ。たとえどんな手を使ってでもね」

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