第346話 靭惟之は判断を待つ

 行き先は屋上。

 惟之これゆきは、スマホの指示を確認しながら階段を上り始めた。

 松永まつながから届いたメッセージには、他人の介入が無いように出来る時間は十五分まで。

 説得は大変だろうが、自分は応援しているという内容が書かれていた。

 

 以前もこうして、彼に助けてもらった。

 一条いちじょうの実地選考後のつぐみを、迎えに行った時のことを思い返す。

 あれからまだ、それほど日は経っていないというのに。


 ――今、彼女つぐみは自分の手が届かない場所にいる。


 あの時は、迎えに行く『だけ』だった。

 けれども、今回は違う。

 十五分という限られた時間で、相手の協力を取り付けねばならない。

 ましてやその相手は、自分を大変に嫌っている人物だ。

 こぼれ出た溜息ためいきは、階段を上る疲れからだけではない。

 心を落ち着かせ、腕に力を込めると、屋上への扉を押し開いていく。


 昼過ぎのまぶしい日差しが、惟之を迎え入れる。

 そうしてさらには……。


「呼び出した方が遅れてくる。随分といいお立場でいらっしゃるようで」


 歓迎とは程遠い言葉に、簡単に話が進まないことを思い知る。

 だが確かに、相手を待たせてしまったのは事実だ。

 惟之は、詫びの言葉を出していく。


「申し訳ない。今日は時間を取らせ……」

「下らない挨拶は結構。用件を」


 相変わらずのとげとげしい態度に、怯んでいる場合ではない。

 冷たい眼差しを自分へ向けている男を、惟之は見つめ返す。


「分かった。では、はじめようか。……里希さとき

 

 自分より上の立場である彼のことを、普段は『蛯名えびな様』と呼んでいる。

 だが、惟之はあえて親しくしていた頃のように名前で呼んでみせた。

 それに全く動じることなく彼は。

 一条の上級発動者である、蛯名えびな里希さときは答えるのだ。


「手短に願います。私もそんなに暇ではないので」

 


◇◇◇◇◇



「それで? 松永に何を吹き込んだのですか。私はあなたとなど、内密で話をすることなんてないのですが」

「えっ? その、……松永さんから、何も聞いていないのか?」


 惟之の言葉に、里希は不快な表情を見せてくる。

 松永には今までの状況と、そのために里希と二人で話をさせてほしいと頼んだというのに。


「私も問いましたよ。けれども彼からは『本人から聞いてくれ、自分はその下準備に向かう』と言って、浜尾はまおを連れてすぐにいなくなりましたから。やっと連絡が来たと思ったら『今から屋上で話をしてきてくれ』だけですからね」

「それは申し訳……、いや、そんな話はいい」


 姿勢を正すと、惟之は里希へと告げる。


「驚かないで聞いてくれ。品子と冬野君が、昨日から行方不明になっている。頼む、お前の力で彼女達を見つけて欲しいんだ」


 目はそらさない。

 彼が本当に、松永から聞いていないのかを知りたいからだ。


 里希は、口元にこぶしを当て、何やら考え込む様子を見せる。

 やがて手を下ろし、無表情な視線を惟之へと向けてきた。


「なぜ私にそれを? その仕事ならば、二条にじょうのあなたこそがふさわしいでしょう」

「俺は、それを許されていない。もうじき俺は、謹慎期間に入る。そして一条からの指摘により、清乃様も品子達の行方を探すことが出来ない」


 惟之の言葉に、里希の口元にかすかな冷笑が浮かび上がる。


「二条と三条さんじょうは、調査を禁じられているのですか? あなたのその言い方だと、二人がいなくなったのは一条の仕業しわざではないか。そう聞こえますよ」

「断定はしない。しかし、俺はそれを疑っている」


 里希は「おや」と呟き、しらけた笑いをこぼした。


「言葉に気を付けてください。一条である私に、よくもまぁ、そんなことが言えますね。そもそもなぜ、私に品子先輩を探せと言ってくるのです?」

「お前だからだよ。一条の上級発動者である蛯名様にではない。一人の人間としての、蛯名里希に頼んでいるんだ」


 里希は眉をしかめていく。

 

「……私が、その誘拐の主導を握っている。それを考えないのですか?」

「それはない」


 即座に否定する惟之に、里希は問いかけてくる。


「すごい自信ですね。その根拠を聞かせてもらっても?」

「もし本当にお前が、そうしたいと思っているのであれば」


 言葉を切り、惟之は里希を見つめた。


「十年前にそうしているはずなんだよ。こんなに長い間、待たずに。なぁ、里希」


 この言葉を、思いを。

 もっと早く伝えることが出来ていたならば。

 もう少し違う未来を、二人は歩いていたのだろうか。


「お前達に何があったのか、俺には知る権利はない。だがそんな俺でも、言えることがある。分かんねぇことは相手に聞けよ。たぶんそれは、相手も知りたがっているはずな……」


 ひゅんと風が鳴る音がした。

 手の甲へと描かれた赤い線と痛みをちらりと見下ろし、自分へと指先を向けた里希を再び見据える。


「惟之さん、前にも言ったはずです。あなたが介入していいものではない」


 淡々と語ってはいるが、彼の目に宿るのは怒りだ。

 彼にも譲れないものがあろう。

 だが、それは自分とて同じだ。


「それがどうした。今ここで引き返せば、品子は二度と戻ってこない。あいつからの答えを聞くことなく、お前の世界は閉ざされちまう。そんなつまんねぇ終わり方なんて、絶対に認めない。俺はな、お前にも品子にも、後悔してほしくないんだよ」


 十年前には言えなかった。

 ようやく伝えた、その言葉から逃れるかのように、里希は視線をそらす。 


「……馬鹿らしい。こんなくだらない話を聞かせるために、松永にコンタクトを取ったのですか」


 里希の手が、力なく下ろされていく。


「そうだよ。今、変えられるかもしれない未来がある。だったら俺は、それをどんな手段を使ってでも掴んでやる。何より、俺自身が後悔しないために」


 思いはぶつけた。

 気持ちは伝えた。

 あとは彼の判断を待つのみ。


 その彼は、いつも通りの冷ややかな表情を取り戻すと、小さくため息をついた。 


「これ以上の会話は、必要ありませんね。あなたの急な呼び出しに私の時間が奪われ、部下二人が奔走ほんそうしている。この責任は取ってもらいますから」

「あぁ、俺に出来ることはなんだってやる。だから……」

「あなたの話を受けるとは言っていません。ここには話を聞きに来ただけです。では失礼」


 振り返ることもなく、里希は屋上から去っていく。

 その後ろ姿を見つめ、惟之は願うのだ。

 

 どうか自分の言葉が、彼に届いているようにと。

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