第352話 『彼女』は動く その1

 惟之これゆき達の処分が決まった日の昼下がり。

 深刻な表情をした女性が、四条のある部屋の前で溜息をついていた。

 これからの行動で、自分の全てが変わる、決まる。

 その恐ろしさに、彼女はしばらく立ちすくんだまま、動けないでいた。


 いつまでもこうしている訳にもいかない。

 やがて気持ちを奮い起こした彼女は、無理やりに笑顔を作ると、ノックをして扉を開いていく。



◇◇◇◇◇



真那まなちゃ~ん。元気ぃ? 三時のおやつの時間ですよ~」


 笑顔で飛び込むように入室してくる人物を、鶴海つるみ真那まなは冷たい眼差しで迎え入れる。

 腕時計をちらりと見て、彼女の言葉が正しいことを確認すると口を開く。


「……緋山ひやま、元気なのは大変に結構。だけど、相手の了承の前に入室するのは間違っているわ」


 可愛らしい袋を掲げながら登場した部下、緋山ひやま晴沙はるさへと苦言を呈し、真那は手元の書類へと目を戻す。


「ごめんなさいねぇ。朝一の仕事の帰りに、美味しいクッキーを買ったの。ねぇ真那、そろそろあなたも休憩しない?」


 冷静な表情を崩すことなく、机の上の書類を隅にやり、真那は淡々と返事をする。


「そうね、悪くはない」

「でしょ? この後は確か、何も予定は入っていないのよね」

「えぇ、その通りよ。だから……」


 真那は席から立ち上がると、緋山の元へと向かう。

 自分へと向けられた、彼女の顔に浮かんだ笑顔を。

 そして、その瞳の奥に見え隠れする感情を、真那は見逃さない。

 

「何か言いたいことがあるのでしょう? 聞かせてちょうだい」


 真那からの言葉に、緋山の笑顔が消え失せる。


「私が気づかないとでも思った? そこまで私の目は、節穴だと思われているのかしら?」


 緋山のことを、心配している。

 それなのに、どうして自分はこんな言い方しかできないのだろう。


 心の中と、言葉として出ていく思いの違い。

 真那はそのもどかしさに、思わず目を伏せてしまう。


「違う! 真那に限ってそんなことはない!」


 切迫した口調で、緋山は不器用な自分の言葉にもまっすぐに答えてくる。


「私は真那を本当に尊敬しているの! だから、だからこそっ……」


 緋山はうつむき、言葉を途切れさせた。

 表情こそ見えないものの、何かをこらえるように、その唇はかみしめられている。


 このまま彼女は、自分の前からいなくなってしまうのではないか。

 そんな不安に駆られた真那は、思わず緋山の手を掴んでしまう。

 つられて見上げてきた、緋山の顔は真っ青だ。

 笑顔で周囲を朗らかにし、見守るいつもの彼女の姿はそこにはない。


 何か伝えたいことがある。

 だがそれを話すのには、相当な勇気が必要ということであろう。


 そう理解した真那は、緋山の手を両手でそっと包み込んでいく。 


「あなたとの付き合い、どれくらいだと思っているの? 白日ここに入る前から、私達は一緒にいたわよね」


 再びうつむきながらも、緋山は小さく首を縦に振った。


「聞きなさい、晴沙。私は上官としてあなたを守りたいと思う。そして、親友としてあなたが隣で笑っていてくれる人間でありたいの。何かあなたが一人で抱えているというのであれば、それを私にも分けてほしい。私はそれをしてもらえる信頼を、これまでのあなたと築いてきたつもりよ。……どうかしら?」


 そう、学生時代から彼女とは一緒に過ごしてきた。

 一つ年下のこの子は、いつもそばで笑って、温かな眼差しを自分へと向けてくれていたのだ。

 四条の後継者になると決意し、今後は決して弱音や泣き言は言うまい。

 そう誓った自分を見守り、泣けない自分の代わりに、涙を流し寄り添ってくれたのだから。


 彼女がそうしてくれていたように、自分もうれいを断つ手助けがしたい。

 その思いを込めて、真那は緋山と繋がりあった手を握り直す。


「……真那様、お聞きください」


 そんな自分へと、掛けられるのはりんとした声。

 顔を上げた彼女からは動揺が消え、代わりに瞳に宿るのは強い意志。

 緋山は真那から手を外すと、目の前に手のひらを差し出してくる。

 手のひらの上に赤い球体が浮かび上がると、彼女はそのまま握り締めた。


 緋山の手のひらが赤に染まっていく。

 彼女の『井守いもりしるし』が発動したのだ。

 この赤い水は、偽りを吐けばたちまちに消えてしまう。

 つまり彼女がこれから語ることは、すべて真実だということ。


「真那様、これは私の覚悟。この話を受け入れるかは、……あなた次第です。緋山晴沙の全てをかけて、あなたにお話ししたいことがあります」

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