第233話 靭惟之は絡まれる

「お寿司っていいな。……じゃなかった。皆でご飯を食べられるっていいな」


 賑やかなリビングの光景を見ながらつぐみは思わず呟く。


「つぐみさんっ! 僕ね! お吸い物は絶対お代わりするからさ、一杯分は残しておいてね!」

「ずるいぞ明日人! 冬野君、私もだ! 私は君の吸い物が飲みたいんだ! っておっ、これはプロポーズだね! 冬野君、幸せにするよおっ!」


 隣同士に並んだ品子と明日人が、台所にいるつぐみに向けて叫んでくる。


「うるせーぞ! そこの二人! さとみちゃんはきちんとお利口りこうに食べているというのに」

「そうですね。こんな小さな子供ですら、前を向いてきちんと食べているというのに」


 賑やかな品子達を挟み、テーブルの向かいに座っているのはヒイラギとシヤだ。

 そしてその二人の間にいるさとみが、大好物の卵焼きをぱくんと食べ終えるとヒイラギを見上げる。


『ひいらぎ君。おりこうは早く大きくなれるって大きな私が言っていた。それは本当なのか?』

「あぁ、本当だよ。だけどね、さとみちゃん。あっちにいる大人みたいにはなってはだめだからね」


 品子達を指さし、優しい笑顔をさとみに向けてヒイラギは話す。

 ダメ出しをされた大人の二人組がさっそくそれに噛み付いていく。 


「ちょ、ヒイラギ君、それはないんじゃないかなぁ!」

「そうだぞ、ヒイラギ! 私はきちんと納税もしているし、学校の先生だってしっかり頑張っているぞ!」

「やかましいわ! そんなにいい大人になりたいんだったら、惟之さんを見習えよ。まったく! 隣に良い見本がいるじゃねーか!」


 その言葉に惟之の肩が、びくりと震えた。

  

「兄さん、その発言はあちらのダメな大人二人に、惟之さんに攻撃をする口実となりますよ」


 シヤの言葉通り騒がしい二人組は、自分達から少し離れて横に座っていた惟之にターゲットを定める。

 惟之を挟むように座り直すと、品子と明日人はそろって彼の肩にそれぞれ片腕を回していく。

 そこにはがっちりと肩を組み合うような三人並びが完成していた。

 もっとも真ん中の人物は、この状態を受け入れているわけではないのだが。


「ねぇーん、惟之ちゃーん。良い大人って何なのかしらねぇ~」


 品子がそう言いながら惟之の頬をつついている。

 いや、そんな生易なまやさしいものではない。

 彼の頬に食い込んだ指先の窪みが、明らかに深いのがつぐみにも見てとれる。

 

「僕も。僕も知りたいですねぇ~」


 反対側の頬も明日人の指が同様に貫かんとする勢いで、クレーターを形成していく。

 この状況は明らかに、とばっちり以外の何物でもない。

 それなのに、惟之は沈黙を保ったままだ。

 これはさすがに見ていられない。

 そう思いつぐみがリビングへと向かいかけたその時。


 ――沈黙は、破られた。


「……なぁ、お前達。もうすぐ人事考課じんじこうかがあるのを覚えているか?」

「え? もちろん覚えていますよ。たしか来週あたりから上長との面談も始まりますよね?」

「うんうん。私も来週のはじめに清乃様に時間を空けておけって言われているよー」


 人事考課。

 つまりは自分の上司にどれだけ頑張ったかを評価されるものだ。

 どうしてそんな話が突然でてくるのだろう。

 つぐみがそう思いながら見つめていると惟之は、箸を静かにテーブルへと置いた。

 そうして己の頬を貫こうとした彼らの指をそれぞれゆっくりと握り、力を込めていく。


「いた、痛たっ。ちょっとぉ! 惟之、何するんだよ」

「そうですよ。僕はともかく一応、品子さんは女性なんですから。もっと優しくしてあげて下さいよ~」

「そうだぞっ! って明日人、一応ってひどくないかい?」


 わいわいと言っている二人の指を頬から外すと、惟之は静かに呟いた。


「お前達は、俺の所属先。そして来週からの人事考課のデータがどこから出ているのか。もちろんそれを分かってやっているんだよな?」


 明日人が「ひっ」と小さく叫んだのを聞きつぐみは悟る。

 惟之の所属先の二条は解析班。

 様々なデータが集まるであろう場所。

 そしてそれは、品子と明日人の人事考課のデータも含まれるということだ。


「当然ながら、そのデータを見て判断するのはお前達の上長だ。そしてこれまた知っているだろうが、俺は二条ではデータの管理を任されている立場だ。具体的に誰とは言えないが、上の方々からもこの時期には意見を求められることも、……多々たたある」


 ゆっくりとした口調で話される言葉に、品子の体がかたかたと震え出す。


「やばい、清乃様に。こ、殺されるかもしれない。……いや、待て! さすがにお前の個人的感情を仕事に持ち込むのは、解析班としてあってはならないだろう!」


 そう言って立ち上がると、指をびしりと惟之につきつけた。


「あぁ、そうだな。当然ながら職務を最優先する。だがなぁ、俺も人間だ。感情というものがある上に、問われた相手から『君の忌憚きたんなき意見を聞きたい』と言われたらどう答えるか。それは俺の自由だよな。……まぁ、そういうことだ」


 彼の言葉を聞き、つぐみから自然と言葉がこぼれていく。


「……強い。靭さん強すぎる。これが大人の頭脳戦っ!」


 惟之の言葉に明日人が一歩さがると口を開く。


「ここっ、これゆきさん! こっ、この件に関しては何といいますか……」


 あまりの動揺の為に明日人はニワトリのようになっている。

 そんな彼に、惟之は優しく口元に笑みを浮かべるとこう続けた。


「なぁに。心配することはないだろうよ。なんせ君たち二人は『組織での実績と、相応しい人格を兼ね備えた人間』の象徴である上級発動者だ。俺の意見など気にせずとも何ら問題はな……」


「「すみませんでしたぁぁぁ!」」


 惟之の言葉を最後まで聞くことなく、上級発動者二人は彼の両脇で土下座をしている。

 そしてその様子を、果てしなく冷たい目で見ていたヒイラギが両手を合わせると口を開く。


「……ふぅ、ご馳走様でした、なぁ、シヤ。俺はこれから何を目標に、この組織で頑張って行けばいいのかな? とりあえず俺の上司がどうしようもない人間というのを、目の当たりにしてしまっているわけなんだが」


 食事の終了を告げた彼はその上司を見ながら、シヤに問いかける。


「そういった意味で言ったら、私も同様ですけどね。……さて、ご馳走様です。ここはさとみちゃんの教育にもよくないです。私達は別室へ行きましょう」

「そうだな、さとみちゃん。もうご馳走様なら一緒に俺達と遊ぼうか」

『わぁい、ごちそうさまするー! よし、遊ぶぞ! でも何でしなことあすとは、あそこでねむねむしてるんだ?』


 どうやらさとみは、彼ら二人の姿を寝ていると勘違いしているらしい。

 その方がいい。

 この部屋にいる全員がそう思っているはずだ。

 その証拠に、土下座二人組はぴくりとも動かない。


「さ、何して遊ぶ? とりあえず俺の部屋で遊ぼうな、さとみちゃん」

『うん、ひいらぎ君! おねえちゃんも行こう』

「そうね。ここは『大人』に任せて私達は向こうで遊びましょう」


 そういってちらりと惟之を見ると、シヤはさとみを促しリビングから出て行った。

 楽しそうに話をしているさとみの声が、だんだん遠ざかっていくのを聞きながらどうしたものかとつぐみは思う。

 この場を収めることが出来るのは惟之だが、時間が止まってしまったかのように彼は全く動かない。

 一連のクレーター作成により、かなり立腹なのは間違いない。

 そうなるとこの場に残り、かつ中立の立場でいるのはもはや自分だけ。

 頭をフル回転させて考えたつぐみの結論、それは……。

 

「み、皆さ~ん。お吸い物をたくさん作りすぎちゃって、まだ残っているのです。お、お代わりする人いませんか~」


 戻ろう!

 この土下座騒動のきっかけのお吸い物で話を戻すしかない!

 そう考え盆を抱えてリビングに戻ったつぐみの声かけに、彼ら大人組からの返答は、……無い。

 三人は彫像のように全く動かない。

 思わず泣きそうになるつぐみの様子を見て、惟之が「仕方がない」とぽつりと呟いた。


「二人とも顔を上げろ。冬野君に免じて先程のことは忘れてやる。ヒイラギ達が席を外したことだし、ちょうど彼女の件で話したいこともある」


 その言葉に品子と明日人は、恐る恐るといった感じで体を起こす。

 二人の戸惑った様子から、今から惟之が何を話すのかを彼らは聞いていないようだとつぐみは理解する。

 惟之がつぐみの顔をじっと見つめた後に、口を開く。


「冬野君。待たせていた、君の白日所属についてだ」

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