第197話 タルトは甘い恋の様になりうるか その二

「ク、クラム君。あのね。私、お願いがあるんだ……」


 席に案内され、店員が水を届けに来てすぐのことだ。

 クラムはつぐみが顔を完熟したトマトのように真っ赤に染め上げ、話しかけてくるのを笑顔で受け入れる。

 自分を見上げる彼女の瞳は、恥ずかしさもありうるんだ様子だ。

 年上の女性には到底見えないとクラムは思う。


 あぁ、相変わらず彼女は可愛い。

 そんな初々しい仕草で、何をお願いしてくるのだろう。

 まぁ大体のことならは、自分は叶えてあげられるのだが。


 何か買って欲しいものがあるのであれば、いくらでも言ってくれればいい。

 自分は『お仕事』をしているから、金はそれなりに持っている。

 どこか行きたいところでもあるのであれば、好きな所へ行ってあげよう。

 その力は十分に持ち合わせているのだから。

 そう考えながら、クラムはつぐみを見つめる。

 

 もじもじとして、口を開きかけては閉じるを彼女は繰り返している。

 この子は、とても遠慮深い子だ。

 そんな子がこうやって、「お願い」と言ってくるのだ。

 さて、どんな難問なんだろ……。

 ぱん、と前から音が聞こえ、そこでクラムの思考は止まる。

 両手を胸の前で合わせて、こちらを拝むようにしてつぐみがクラムの顔を覗き込むように見あげてきた。


「あっ、あのね。ここのタルトがとても美味しいの! だから私、いろいろな種類をたくさん食べたくて……」


 

 これは以前のパンケーキのように、シェアしていろんな味を楽しみたいというお願いか。

 それくらいなら、お安い御用だ。

 相変わらずこの子は、子供のような可愛いおねだりをしてくる。

 そのいとおしさにクラムは思わず「いいよ」と言おうとするが、それをとどめる。


 せっかくのおねだりだ。

 この間のように、こちらも条件を出して「あーん」でもしてもらおうではないか。

 彼女が困って真っ赤になる様子を、こちらからのおねだりとして楽しませてもらうのも悪くない。

 そんなたくらみを抱え、クラムは口を開く。

 

「大丈夫だよ、僕もタルトは好きだから。じゃあ、種類とかはお任せしようかな? つぐみちゃんの好きなもの頼んでくれればいいから。その代わり僕も後で一つ、わがままを聞いてほしいなぁ」


 クラムの提案に、つぐみの表情がぱあっと明るくなる。

 時期もあり、まるでヒマワリのような眩しい笑顔にクラムは目を細める。


 ずるいね。

 そんな笑顔を見せられたら、誰だって君の言うことを聞いてしまうじゃないか。

 クラムはそう思わずにはいられない。

 そもそも一般人である彼女の願いなど、クラムからすれば容易たやすく叶えられるものばかり。

 彼女はそれも知らず、願いを自分が聞いてくれるだろうかとハラハラしていたのだ。


 そうなるとだ。

 一応は財布の軍資金も、確認しておいた方がいい。

 まず足りないなんてことはあり得ないが、この後にどこか別の場所に行く可能性もある。

 一度、確認しておく必要があるとクラムは気づく。


「ごめん。僕、ちょっと席を外すね。注文をお願いしておいていいかな」


 ぶんぶんと縦に、首がちぎれるのではないかと思う位につぐみはうなずいている。

 大げさすぎるリアクションに、苦笑いを浮かべながらクラムは席を立った。

 クラムが振り返れば、彼女はにこにこと嬉しそうにメニューを見つめている。

 しっぽがついていたら、完全に子犬だ。

 そんなことを思いながら、クラムは店の奥にあるトイレへ向かうふりをする。

 彼女から見えない位置に移動をして、財布の中を覗き込む。

 金額には全く問題がない。

 続けて組織からの定期連絡を確認しようと、スマホの着歴を確認する。


 ……あぁ。

 どうやらもう少ししたら、『お仕事』の時間になりそうだ。

 出来れば彼女とゆっくり過ごした後に、招集がかかるといいのだが。

 そう考えながらスマホをポケットへと戻し、再び席に戻ろうとしたクラムに、ふといたずら心が生まれる。


 そうだ、一人の時の彼女を見てやろう。

 それを観察して席に戻り、『さっき、あんなことしていたでしょう?』と言って、恥ずかしがる彼女の反応を見るのだ。


 彼女のことだ。

 きっと『もう! いつから見てたの! クラム君たらひどいよ!』と、真っ赤な顔に手を当てて照れるに違いない。

 見たいではないか、その姿を。


 クラムはつぐみから死角になる場所に立ち、こっそりと観察を始める。

 彼女は注文を終えた直後のようだ。

 店員がにこやかに彼女に話しかけた後、去っていく。

 その店員を見送ると、彼女は再びメニューを手に取り表紙をじっと見つめている。

 ゆっくりとメニューを開くと、真剣な表情を浮かべ何やら呟いているのをクラムは見守っていく。

 かなり集中しているようで、クラムの視線には全く気付いていない。


「ん? なにか変じゃないか?」


 クラムが見る限り、これは女の子がどのメニューにしよう? と悩んでいる目つきや態度ではない。

 彼女はおもむろに鞄から手帳を出すと、もの凄い勢いで何かを書き付けていく。


 それはペンが、紙をなぞる音が聞こえてきそうな位の。

 いや、なぞるといった可愛らしいものではない。

 隣のカップルが彼女の行動を見てから、時が止まったかのようにピクリともしない。

 彼女の後ろの席の女性にいたっては、カップを持ったまま口を開きこちらも動くことを放棄しているではないか。

 彼女の動きは、紙に「叩きつける」と言うべきもの。

 まさに彼女は今、魂を削り、その思いをペンを媒介にして紙に送り込んでいるのだ。


「って、待て待て! ちょっと僕、なに変なこと考えているの? まず、つぐみちゃんは何と戦っているの?」

 

 隠れるのも忘れ、呆然と見ていたクラムにつぐみが気づき笑顔を向けてくる。


「……落ち着くんだ。僕は何をここでぼんやりとしている!」


 クラムはつぶやきながら気を取り直し、彼女の元へと向かう。

 

「おかえりっ! 注文なんだけど、私の好きなものばかりを選んじゃった。クラム君も、食べれるものだといいんだけど」

「あ、あぁ。……大丈夫。好き嫌いは僕は無いから」


 クラムは話をしながらつぐみをつい眺めてしまう。

 態度がおかしいことに気付いたのだろう。

 彼女は首をかしげながら、どうかしたのかと尋ねてくる。


 クラムは悩む。

 素直に『君は一体、何をしていたんだい?」と問うべきかを。


 ――いや。

 それに対しクラムはすぐに否定の答えを出す。

 あえてパンドラの箱を、開ける必要はないのだ。


 そう思っているクラムに、刺すような複数の視線が向けられてくる。

 隣のカップルと前の席の女性のものだ。

 その目は明らかに「聞けよ! 聞いとけよ!」という思いをあらわにしてきている。


 クラムとしても確かに気にはなる。

 だが絶対に後悔しかしないであろう質問を、どうしてしなくてはいけないのだ。


 にこりと笑い「何でもないよ」と言おうと、クラムは口を開きかける。

 そんな自分の目に入って来たのは、開きっぱなしのつぐみの手帳に書かれた文字。

 これはもはや文字ではなく、もう黒い『何か』というべきであろう。

 手帳にぎっしりと、何かが書きつけられている。

 密度が濃すぎて、何が書いてあるのか、もはやクラムには分からない。

 固まったクラムの視線に気付いたつぐみが、慌てて手帳を閉じた。

 開いたままだったクラムの口が、勝手に動き出していく。


「きっ、君は一体、さっきから何をしていたんだい?」


 クラムの問いかけに隣のカップルは小さくガッツポーズを取り、前の女性は深く深くうなずいている。


 いや、別にあなた方の為ではないから。

 もう聞いてしまった以上、どうしようもない。

 そう悟ったクラムは改めてつぐみの顔を見つめ直す。

 彼女は顔を耳まで真っ赤に染め上げてクラムに叫ぶ。


「もう! いつから見てたの! クラム君たらひどいよ!」

 

 確かに少し前までその言葉を聞きたかった。

 その仕草を堪能しようと思っていたのだ。


 ――違う、そうじゃない。

 クラムの混乱した頭の中には、その言葉しか浮かんでこなかった。

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